第廿六服を書いている最中に、ひょんなことから見つけた資料等から、上三郡が畠山総州家と畠山尾州家で争っていることが解りました。

 

 そうすると色々変わってきます。

 

 また、系譜を調べていた際の英当は、どうも英家の翻刻間違いのようで、兵庫助英家は、堯家の叔父、就家の弟ということになりそうです。これは堯家は弾正左衛門尉⇒河内守、元家は弾正左衛門尉となっており兵庫助という官途が見当たらないからです。

 

 就家に子がなかったため、養子に基家を迎えたと考えられることは前に述べましたが、ここで、上三郡守護代にふさわしい人物は英盛か英家となります。

 

 就家の跡、河内守は就盛だった訳ですが、堯家が河内守になって、大永七年十一月十九日に歿しており、同年十月廿九日の朝倉宗滴との戦い(川勝寺城の戦い)で負傷して歿したと考えられます。

 

 しかも、同年二月十一日に河内守となっており、それ以前は弾正左衛門尉を名乗っています。

 

 ということは、柳本賢治はやはり京都所司代の役割を担っていたと考えないことには不自然になるわけです。

 

 というわけで、書き直しております。

 本日は旧暦三月十三日、乙巳年庚辰月己酉日。


 十三詣りは旧暦三月十三日に数え十三歳で寺社に詣でる京都の子供のお祝いです。
 
 十三歳は厄年にあたり、半元服でもあり、大人の仲間入りをすることから、初めて本裁ちの晴れ着を着ます。このとき必ず肩上げをして、着付けます。事あるごとにこの着物を着せて自然に立居振舞を身につけさせるはじめとします。
 
 また、半紙に自分が大切にしている一字を毛筆でしたため供え、ご祈祷を受けて、お守り・お供物を頂いて帰り親に感謝を述べて、お守りを身につけるのだとか。
 
 なお、参詣の帰路、本堂を出たあと、後ろを振り返るとせっかく授かった智恵を返さなければならないという伝承があって、狭い長い石段を降リ切った鳥居をくぐるまでは、または渡月橋を渡り終わるまでは周囲の誘いにも動じず後ろを振り向かないで貫き通す習俗があるそうです。黄泉の国の話のようで面白いです。
 
 主に関西の風習ですが、着物を大人のものにする機会であるため、現在は他の地域にも広まっているそうです。

 笈棚の飾り方は桑小卓と同じであると思われます。

【一つ飾り】

 天板に棗飾り

 

【二つ飾り】

 天板に棗と茶盌

 

【三つ飾り】

 天板に棗、柄杓を釜付きに立て掛ける、地板に蓋置

 ※建水は平建水ではないものにする

 

【総飾り】

 天板に棗、柄杓を釜付きに立て掛ける、地板に平建水(蓋置を仕込む)

 

 他流では【入飾り】(天板に柄杓と蓋置を飾る)や【四つ飾り】(総飾り+天板に茶盌)というものもあるそうですが、流派的にはそれはないかと思います。

 

 というのは、笈棚というのは仏像を入れることも有ったものであるので、その上に格の低い柄杓や蓋置を置くとは思えないからです。

 

 この辺りは卓と同じ扱いと考えればよいかと思います。

 

 棚であれば、【小飾り】(天板に柄杓、棗・茶盌)という飾り方もできるはずですが、これはありません。大きさ的にはやりたくなりますけれどね。

 

 【炭飾り】は香盒と羽箒を天板に飾ることになりましょうか。

 

 色々試してみたいと思います。

 少し茶道とは関係ない話になりますが、Twitterに搭載されているGROKの使い方で面白いことをされている方がいらしたので、真似してみました。

 

 自分の作品を読ませて課題や改善点を指摘してもらう……というものです。

 

 実際に読み込ませてみると「なるほど」と納得できる指摘が並びます。

 

 AIは普遍的な視点から判断を行い、それを僅か5秒程度で8000文字を解析してくれるのですね。

 

 一旦、第一部を書き上げたら、この指摘に添って改訂版を書いてみようと思いました。

 

 編集者が付く前の素人作品の場合、こういう作業にAIが向いている理由は「憤りを向ける先がない」ことや「自分の設問の問題」であることで、自発的に行ったため、改善点を受け入れやすいことにあるとことや、現実の相手では口はばったくなり、本当のことを述べないためです。

 

 今後はこういう活用法がスタンダードになるかもしれませんね?

 

 あれ?そういうことなら、所有している道具を読み込ませて、道具組みの相談とか出来たりするように育てることも可能なのではないだろうか。

 日曜日の夜、いつもながら華流ドラマを観ておりました。現在、観ているのは『長風渡』。主人公・柳玉茹は宋軼(ソン・イー)で、歴史ドラマ「慶余年~麒麟児、現る~」や「贅婿」「風起洛陽」に出演している女優さん。相手役・顧九思は白敬亭(バイ・ジンティン)。李宏毅に似た新進気鋭の俳優です。

 

 そのドラマの中で馬の乗り方を教えるシーンがわずかながらありました。

 

 その時は気づきもせず、一晩ぐっすり眠った訳ですが……

 

 

 今朝、出勤中に駅から徒歩で会社に向かう途中、「あれ? もしかして、点前座の坐り方って、正坐じゃなくて、乗馬の姿勢なんじゃないか?」と思いついたのです。

 

 前々から、正坐であることに疑問があり、踵に体重を載せないことを色んな人に言い募っていたのですが、なかなか実践する人は居ませんでした。居たとしても「太腿の筋肉が攣ります」と言われていました。

 

 また、茶道の所作の中に弓の所作があるにも関わらず、乗馬の所作がないことも気になっていたのです。なぜなら、当時の武士の嗜みは「弓術」ではなく「弓馬術」だからです。

 

 ところが、この乗馬法が坐法の根源だとしたら、私の考えてきたことは「すべて腑に落ちる」のです。

 

 重心移動や支点移動など、馬術の中に所作が存在します。

 

 また、体重を浮かせる坐法は、内腿の筋肉が発達していないと持続させることが難しいのですが、乗馬も内腿の筋肉――脾肉といいます――が重要です。三国志に詳しい方なら解りますね? そう「髀肉之嘆」です。

 

 馬に乗らなくなった劉備が腿の肉が肥えてしまい、こころざしを果たすことができないことを嘆いたという故事です。

 

 益々、自説に自信が付いてきました。

 

 弓馬術に詳しい方、いらっしゃらないでしょうかねぇ~。詳しくお話をお聞きしたい。