水屋の話の中に「間中」とか「間板」という言葉が出てきて、押入れに棚物を据えていた~という話が出てきます。

 

 私が引拙棚を場所は違いますがその様に扱っていたことが不自然ではないことが研究結果から分かっていたわけですね。

 

 なるほど、飾るための棚ではなく、使うための棚ということだった訳です。そりゃ点前だって残ってますよね。

 

 この押入れは板でできた間な理由で、間中板とか、間板とか呼ばれていた訳ですが、本当に押入れということではなく、そこを空けて飾りつけを見せる用途もあったみたいです。

 

 ここから洞庫が生まれて、点前座の脇に据えられるようになっていったみたいです。

 

 こうした道具の変遷が詳らかになるのは本当に面白いです。

 

 

 こちらの本を再読しています。

 

 前は混乱していたことが、ようやくスッキリしてきたのですが、それは

 

・戦国前期~中期では足利将軍家や大名らの前で原則点前をしないで茶湯所で点前をする

 

 という前提に立つと、【くつろぎの間】が格式張らず、客があれこれ話をしながら、茶坊主が点前をしてその茶を飲む場所であったということが分かってきます。

 

 本書では【くつろぎの間】を【水屋のない控えの間】という位置づけにしていますが、私は逆に現在の茶席のありかたが【くつろぎの間】にあるのだと感じました。

 

 この当時、茶を喫するところと点てるところは別になっており、運び出していた訳ですが、御成の際などは、茶を飲みたい人が茶湯所に出向いて飲んでいた訳です。将軍や主君には出向かずとも運んできてくれますが。

 

 そうした見方をしてこの本を読むとわかりやすい。

 

 また、この当時の「右勝手(右構え)」「左勝手(左構え)」は「勝手」=「控えの間」が点前座の右にあるか左にあるかで呼び分けていたのが、江戸時代になると「点前座のどちらに客が坐るのか」によって呼び分けるように変化していることも重要です。

 

 これは、何を示しているか?というと、点前座が逆になったのではなく、単に何を指しているのか?が変わったということが重要です。

 

 つまり、客はつねに点前座の右側に坐っていたことを示しています。

 

 逆になったということが昔は言われていましたが、非常に不自然で得心がいかなかったのですが、これで得心がいきました。

 

 また、続きを読んでいこうと思います。

 

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「お茶は食事とお酒とお茶が揃ってこそ!」
 

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 お茶事に抱くイメージってどんなものがありますか?
 

 お茶事ってどんなもの?
 

 茶道ってどんなことしてるの?
 

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 茶道の醍醐味といえば「茶事」。
 

 茶事というのは、まず懐石があり、お酒があり、そして最後に濃茶と薄茶をいただくというもの。
 

 そう、本来のお茶とは食事とお酒とお茶がセットになったもてなしのことなんです。
 

 月桑庵の「お茶事へ行こう」は、本格的なお茶事とは違い、炭点前がありません。あくまでお稽古です。
 

 懐石に慣れることを目的としておりますので、少々ゆっくり目に時間を取らせていただいております。
 

 さらに、自分たちだけのために用意された小さな美術館として、日本の伝統工芸に身近に触れられます。陶器、漆器、指物、竹工、金工、羽細工、鋳物、織物、染物、建築、造園、書や香などが所せましとそこにあります。
 

 そして着物で出掛ける場所としてこれほど相応しい場所もありません。
 

 ご興味ございましたら是非お出掛けください(*˘︶˘*).。.:*♡

 

 5月25日は旧暦四月廿八日。お節料理を召し上がり、初風炉を愉しみませんか?

 

 濃茶 
 薄茶 
 

 定員5名(別途手伝い枠3名)
 

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■日時
 令和7年5月25日(日)
 懐石:12:00~14:00
 八寸:14:00~15:00
 濃茶:15:30~16:30
 薄茶:17:00~18:00


 開始15分前までにお越しください。
 

 時間はあくまで目安です(席が分かれていて途中参加できるわけではございません)。また、予定時間通りに終わるとは限りませんのでご理解ください。
 

 茶事終了後、お時間のある方はお残りください。お凌ぎがございます。

 

※濃茶【こいちゃ】
 本来のお茶。一般的に思い浮かべる抹茶よりもどろっとして濃い抹茶。菓子は上生菓子を添える。

 

※薄茶【うすちゃ】
 一般的に抹茶といわれると思い浮かべる抹茶。菓子は干菓子または半生菓子を三種以上添える。
 

大寄せでは上生菓子にてお出しすることも多いです(笑) 

 

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■会費
 9000円(懐石・八寸・濃茶・薄茶)
 会費は当日封筒に入れてお出しください。
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■参加方法
下記予約ボタンより予約をお願いいたします。

 

STORES 予約 から予約する

応募期間終了後は

darkpent@gmail.com

まで


■申し込み締め切り
 定員になり次第募集終了です。
 また、菓子の都合もありますので、一週間前には締め切らせていただきます。ご注意ください。
 加えて、キャンセルもそれまでの受付とさせていただきます。キャンセル料は全額お支払いいただきますので、ご了承ください。


■ご新規さまへのお願い
 当日キャンセル後、ご連絡取れない方が多いため、ご新規さまにつきまして会費の事前振込をお願いすることになりました。何卒ご協力おねがいいたします。


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■服装
 洋装OKです。
 ただし、できるだけゆったりとした【外出着】でお越しください。ジーンズやミニスカートはお控えください(できるだけ膝丈より長いもの)。カジュアルすぎる物はお避け下さい。
 男性は七分裾などの短いものはNGです。
 また、当会はお稽古会ですので、お着物の場合は小紋、浴衣、絣など普段着や紬などの普段着・お洒落着(無紋の訪問着)でOKです。
※通常のお茶会は色無地紋付以上の礼装となります。

 

■ご用意いただくもの
・懐紙【かいし】
 お菓子を頂いたりする際に用います。
 

・菓子切り【かしきり】
 菓子を着る金属や竹などでできた楊枝です。金楊枝ともいいます。
 

・扇子【せんす】
 茶道用の扇子です。礼をする際などに必要です。五寸、五寸五分、六寸、六寸五分があります。
 

・帛紗【ふくさ】
 茶道用の帛紗。点前をする際に亭主が腰につけ、道具を清めるのに用います。
 ※習われている方以外は不要です。
 

・小帛紗【こぶくさ】または出し帛紗【だしぶくさ】など
 茶盌(ちゃわん)が熱いときや道具を拝見する際に用います。濃茶には必須です。
 ※お貸しいたします。
 

 以上のものにつきましては、
 ・薄茶席の方はできるだけお持ちください。
 ・濃茶席の方はお持ちください。
※ご用意のない場合はお貸しいたします(未経験の方)。
 

・替え白足袋または白靴下
 足袋カバーをお脱ぎいただいても構いません。洋装の方は履き替えていただきますので、必ずご持参ください。
 

・封筒
 会費は封筒に入れてお名前をお書き添えの上、ご持参ください

 第廿六服を書いている最中に、ひょんなことから見つけた資料等から、上三郡が畠山総州家と畠山尾州家で争っていることが解りました。

 

 そうすると色々変わってきます。

 

 また、系譜を調べていた際の英当は、どうも英家の翻刻間違いのようで、兵庫助英家は、堯家の叔父、就家の弟ということになりそうです。これは堯家は弾正左衛門尉⇒河内守、元家は弾正左衛門尉となっており兵庫助という官途が見当たらないからです。

 

 就家に子がなかったため、養子に基家を迎えたと考えられることは前に述べましたが、ここで、上三郡守護代にふさわしい人物は英盛か英家となります。

 

 就家の跡、河内守は就盛だった訳ですが、堯家が河内守になって、大永七年十一月十九日に歿しており、同年十月廿九日の朝倉宗滴との戦い(川勝寺城の戦い)で負傷して歿したと考えられます。

 

 しかも、同年二月十一日に河内守となっており、それ以前は弾正左衛門尉を名乗っています。

 

 ということは、柳本賢治はやはり京都所司代の役割を担っていたと考えないことには不自然になるわけです。

 

 というわけで、書き直しております。

 本日は旧暦三月十三日、乙巳年庚辰月己酉日。


 十三詣りは旧暦三月十三日に数え十三歳で寺社に詣でる京都の子供のお祝いです。
 
 十三歳は厄年にあたり、半元服でもあり、大人の仲間入りをすることから、初めて本裁ちの晴れ着を着ます。このとき必ず肩上げをして、着付けます。事あるごとにこの着物を着せて自然に立居振舞を身につけさせるはじめとします。
 
 また、半紙に自分が大切にしている一字を毛筆でしたため供え、ご祈祷を受けて、お守り・お供物を頂いて帰り親に感謝を述べて、お守りを身につけるのだとか。
 
 なお、参詣の帰路、本堂を出たあと、後ろを振り返るとせっかく授かった智恵を返さなければならないという伝承があって、狭い長い石段を降リ切った鳥居をくぐるまでは、または渡月橋を渡り終わるまでは周囲の誘いにも動じず後ろを振り向かないで貫き通す習俗があるそうです。黄泉の国の話のようで面白いです。
 
 主に関西の風習ですが、着物を大人のものにする機会であるため、現在は他の地域にも広まっているそうです。