何故、茶道の面白さが伝わらないのか。
所謂、型破りを面白いと感じるのは当たり前なのですが、それには「きちっと型を身に着けていなければいけないから」なんですけれど、この型破りをやるには、性格も関係してきます。
日本人的な同調圧力というものに馴染んでいくタイプと、馴染まないタイプの違いですね。
私は勿論型を身に着けていますが、正客をするとき、建水から褒め始めたり、蓋置や、水指、棚物など、珍しくて亭主が苦心した物から話の取っ掛かりを掴みます。
それは意外性があって、場が沸くというのもあるのですけれど、主客の在り方のなかで、亭主の思いを汲み取るという愉しさなんですね。
これは道具組み全体を見渡して、どういう物語によって構成されているか?を読み解く愉しさです。
ドラマを見る時に、主人公や登場人物の次の行動や台詞を予測したり、発言の意味を推し量ったり、全く無関係に見える登場人物が誰かの指示で動いてるのではないか?とか、黒幕は誰だ……?的な憶測をしますよね?
それが当たった外れたで、少しワクワクしません?
最初に褒める道具というのはそうした中で亭主が思いを一番込めたところを突くのがいいわけです。
それが当たったときは亭主がそれはそれは嬉しそうにお話をはじめてくださいます。
この「正客に上がる」のが茶道の愉しさの一つなんですが、これがまぁ、大変な道程(みちのり)であることが多いです。
というのは、膨大な知識が求められることと、即興で即応出来ないといけない。
私みたいにアドリブが苦手な人間はどうするか?というと、褒め方のマニュアルみたいなものを自分の中に作っておいて、事前にその季節の故事を調べておいて、パッと道具をみたらそれが言えるように用意してあるんです。
漢詩・和歌・古典・能楽・歴史・陶芸・指物・漆芸・金工・羽・裂地・建築・作庭などなどの知識も必要になります。
私とてまだまだ勉強が必要な訳ですけれども、これは実践が大事です。ところが大寄せではだいたい同じ人が正客をやることが多いのですが、これは「上手に正客をできる人が少ない」からです。
物を知っていれば正客ができるか?というとそうではない訳です。
ある程度声が大きく、知識がそこそこあって、妙意即答できるだけの「機転」も必要ですし、周りの声なき声を拾う「配慮」というか気配りというかもできる人でないといけません。
同じ道具が出てても「懐かしいですねー」とか「またお目に掛かれました」など興味を失うことなく嬉しそうにすることも大事です。
そうなるためには、勉強に勉強を重ねて、さらに勉強するしかない。だからこそ、当庵では「お茶会へ行こう」をしているのです。
是非、正客の練習をしに、いらっしゃいませんか?