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「抹茶は甘い飲み物です」

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 お抹茶に抱くイメージってどんなものがありますか?
 お茶会ってどんなところでしょ?
 茶道ってどんなことしてるんでしょ?

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 実は、お茶会って愉(たの)しいところなんです!

 一般的なイメージだとしゃべっちゃいけないみたいな感じですかね?

 でも、本当はそんなことなくて、正客と亭主の会話の邪魔をしなければ、話していいんですよ。雑談はダメですけどネ(笑)

 そして、抹茶はとても甘い物なんです。

 苦い抹茶は「安い抹茶」とか「点てる人が下手」ということ。上手な人は甘い抹茶を点てられます。

 さらに、自分たちだけのために用意された小さな美術館として、日本の伝統工芸に身近に触れられます。陶器、漆器、指物、竹工、金工、羽細工、鋳物、織物、染物、建築、造園、書や香などが所せましとそこにあります。

 そして着物で出掛ける場所としてこれほど相応しい場所もありません。

 月桑茶道教室では、そうしたお茶会へ行くための心構えや喫(の)み方、お菓子の頂き方など、様々なシチュエーションで体験いただけます。

 ご興味ございましたら是非お出掛けください(*˘︶˘*).。.:*♡

 コロナ対策は手洗いの徹底、マスクの着用にて各自お願いいたします。当日発熱の方はご参加をお断りすることがございます。予めご了承ください。
 

 6月22日は旧暦五月廿七日、端午は過ぎておりますが、端午の設えでお迎えいたします。

 

 

 また、会終了後はおしのぎがございます。

 お時間の許す方はお召し上がりくださいm(_ _)m

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 濃茶 
 薄茶 


 定員5名(別途手伝い枠3名)
 

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■日時
 令和7年6月22日(日)
 濃茶:13:00~14:30
 薄茶:15:00~16:30
 

 開始15分前までにお越しください。
 時間はあくまで目安です。時間通りに終わるとは限りませんのでご理解ください。
 茶事終了後、お時間のある方はお残りください。簡単な酒席がございます。
 

※濃茶【こいちゃ】
 本来のお茶。一般的に思い浮かべる抹茶よりもどろっとして濃い抹茶。菓子は上生菓子を添える。
 

※薄茶【うすちゃ】
 一般的に抹茶といわれると思い浮かべる抹茶。菓子は干菓子または半生菓子を三種以上添える。
 大寄せでは上生菓子にてお出しすることも多いです(笑) 
 

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■会費
 5000円(濃茶・薄茶)
 会費は当日封筒に入れてお出しください。
 

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■参加方法
下記予約ボタンより予約をお願いいたします。

 

STORES 予約 から予約する


■申し込み締め切り
 定員になり次第募集終了です。
 また、菓子の都合もありますので、一週間前には締め切らせていただきます。ご注意ください。
 加えて、キャンセルもそれまでの受付とさせていただきます。キャンセル料は全額お支払いいただきますので、ご了承ください。


■ご新規さまへのお願い
 当日キャンセル後、ご連絡取れない方が多いため、ご新規さまにつきまして会費の事前振込をお願いすることになりました。何卒ご協力おねがいいたします。


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■服装
 洋装OKです。
 ただし、できるだけゆったりとした【外出着】でお越しください。ジーンズやミニスカートはお控えください(できるだけ膝丈より長いもの)。カジュアルすぎる物はお避け下さい。
 男性は七分裾などの短いものはNGです。
 また、当会はお稽古会ですので、お着物の場合は小紋、浴衣、絣など普段着や紬などの普段着・お洒落着(無紋の訪問着)でOKです。
※通常のお茶会は色無地紋付以上の礼装となります。

 

■ご用意いただくもの
・懐紙【かいし】
 お菓子を頂いたりする際に用います。
 

・菓子切り【かしきり】
 菓子を着る金属や竹などでできた楊枝です。金楊枝ともいいます。
 

・扇子【せんす】
 茶道用の扇子です。礼をする際などに必要です。五寸、五寸五分、六寸、六寸五分があります。
 

・帛紗【ふくさ】
 茶道用の帛紗。点前をする際に亭主が腰につけ、道具を清めるのに用います。
 ※習われている方以外は不要です。
 

・小帛紗【こぶくさ】または出し帛紗【だしぶくさ】など
 茶盌(ちゃわん)が熱いときや道具を拝見する際に用います。濃茶には必須です。
 ※お貸しいたします。
 

 以上のものにつきましては、
 ・薄茶席の方はできるだけお持ちください。
 ・濃茶席の方はお持ちください。
※ご用意のない場合はお貸しいたします(未経験の方)。
 

・替え白足袋または白靴下
 足袋カバーをお脱ぎいただいても構いません。洋装の方は履き替えていただきますので、必ずご持参ください。
 

・封筒
 会費は封筒に入れてお名前をお書き添えの上、ご持参ください

 

 帛紗捌きの歴史を辿るとき、忘れてはならないのが「闘茶の手前はどうであったのか?」です。

 

 調べてみると

 

・茶入を用いていた

・現在の唐物捌き(四方捌き→真畳み)ではなかった

・現在の挽家捌き(三角捌き→草畳み)に近い

 

 ということが分かってきました。

 

 とすると、現在の唐物捌きが、点前が儀式化されるに従って所作に意味が付与され、格式を持つようになっていき、唐物捌きが生み出されたのではないかと思います。

 

 いくつかの書物に闘茶の帛紗捌きに触れているものがあるそうなので、探してみようと思います。

 

 二席目は又隠席。


 少し時間がありましたので先に点心をいただきました。こういうのは得てして女性サイズなので私には足りませんでしたが、母(宗靜先生)は満腹になったようです。いつもは残すのに平らげてました。


 又隠席は裏千家の代表的な茶室「又隠」の写で、又隠は千宗旦が二度目の隠居の際に建てた四畳半の茶室です。草庵の四畳半とされていますが、妙に小さいのは、畳の寸法の問題でしょうか。


 四畳半というのは江戸間の八畳ほどあるんですけどねぇ。


 三人の先生方から「正客に」とお願いされまして上がらせていただきました。濃茶席なので黙ってなきゃ、黙ってなきゃ……あ、椽高だ。


「恐れ入りますが、こちらのお流派は上と下とどちらに正客をされていますか?」と尋ねました。


 ウチの流派では、正客を上にするので、確認のためにお尋ねしました。


 下から取るのは「遜(へりくだ)る」意味があるそうなのですが、多くの武家茶さんでは「殿様が下の物を取ったら後が誰も取れなくなる」ということから上から順に取ることになっています。


 なので斜めにズラすこともありませんし、普通に蓋を先回しするんです。そもそも、一段に一人前しかお入れません。


 大寄せではそうもいかないので、数を入れるようになったものでしょうが、上からの流派と下からの流派に分かれたのは面白いなぁ〜と思います。


 他流の席ではこうした自分の常識を疑う必要があります。


 さて、又隠席は濃茶席。本席とは打って変わって侘びた風情。


 床は一休宗純の和歌二首。

 古今和歌集と新古今和歌集から一首ずつ。流石に読めなくてお読み上げいただきましたが……(汗)


 全く覚えてません(笑)


 夏の歌だったかとは思うのですが……


峰たかきかすがのやまにいづる日は くもる時なく照らすべらなり


 だったかも?


 春日という字に見覚えがあります(笑)


 点前座には朝鮮風炉。蓋が打込の珍しい真形釜でした。


 水指は黄瀬戸かと思ったら信楽でした。姥口で蓋が小さく、柄杓の合がぶつかりそう。炉では使いたくないなーとか思う私(笑)


 初めての方っぽい男性が背広で坐られていましたので、これは緊張をほぐさないと!といつもどおり喋べろうかと思いつつ、少しだけ控えめに(笑)


 花は白い紫蘭に、夏蝋梅。夏蝋梅は支那浙江省のみの花なので、入れるのは珍しい気はしましたが、綺麗でした。白い紫蘭は矮鶏ではないそうで、まぁ、ウチのも交配してデカイのが生えてくるようになったもんなーとか心のなかで残念がってました。


 花入は確か宗全作。香盒は……記憶にないです(爆)


 完全に床は一休宗純の軸に意識が引っ張られていますね。


 茶入は朝鮮唐津。筒形のやや細身で腰の張った肩衝です。茶系の利休梅の仕覆に入っていて、調和のとれた道具組みです。物語を見出すことは出来なかったのですが、雰囲気としては「曹源一滴水」という風に解釈しました。


 ゴツゴツとした岩肌が、陰になり日向になり、様々な貌【かお】を見せつつ、初夏の爽やかさを運ばれる感じですね。


 正客は黒楽。中茶ともいえる緩めの濃茶。各服点てでは、一人前を煉らねばならず、一人前では煉りにくいのですよね。御亭主さんはとても点前の美しい方で、見ていて安心していられますネ!


 落ち着きのあるいい茶盌でした。


 次客は御本茶盌。萩……だったかもしれませんが、見事に散らしたような花が咲いています。


 珍しく蓋置と建水に意識が向かなかったのは、床に気を取られすぎましたかね?


 こういうとき配り会記が有り難いですね。


 茶会は勉強の場ではないと思っている方もいらっしゃるようですが、茶席こそ学ぶ場だと私は考えています。


また、機会があれば伺いたいと思います♪

 杉並区茶道連盟の茶会でお目にかかった久田宗豊宗匠からお聞きしていた靖国茶寮での茶会、都千家の小笠原くんにお茶券を頼んで行ってまいりました。

 

 江戸千家の武井先生とお社中さんと母(宗靜先生)が一緒です。

 

 行くなり、様々な方からご挨拶をいただきまして、少々困惑。そんなに印象深かったんでしょうか。一回しか伺ったことがないのに(汗)

 

 その謎は前回お点前をされた方から「実は久田流のホームページの活動報告に先生の写った写真を使わせていただきました」とのこと。そりゃ、お流派の方は私の顔を知ってるはずだわ(汗)

 

 

 いや、光栄なことですが、アンチな人らがまた何言うか。ま、言わせておけばいいですがwwww(ぉぃ

 

 10時から供茶式(献茶は神に対して行うもので、仏式や祖先に供えるものは供茶といいます)が行われました。

 

 真台子小に載っているのは、小振りでずんぐりむっくりとした唐銅鬼面風炉で珍しいことにつまみが七宝透かし。皆具は藍交趾に緑と黄色と白の青海波で、水指の摘みが七宝が半分埋まったような形で、蓋置の天面が七宝透かし。杓立に飾られているのは椎の実の飾火箸(如心斎好)。

 

 炭をしないからなのか、柄杓が前。

 火箸を抜いたので、真台子小だからの点前なんでしょうか?(真台子大だと畳の縁から縁までぎっちりで、火箸を置く場所はないので、飾ったままにするはず)

 

 驚いたのはその火箸の抜き方です。

 片側ずつ、右⇒左の順で抜いていきます。

 

 この二手での抜き方が、久田流さんの男点前の一つのようでした(後でお家元に確認しました)。

 

 お湯先の古い時代の茶の点て方で供茶をされ、床に設えられた祭壇に天目台ごと載せられます。天目台の持ち方もウチとちがっていて、鬼灯を持って天目を安定させ、羽下に右手を添えるという形。

 

 ウチの羽下を両手で支えるよりも観ていて安心感はありますね。

 

 書き忘れていましたが、久田流さんの唐銅鬼面風炉は「鐶を両方下ろす」のが当流と同じでした。お家元曰く「ウチは利休さんからの分かれで、武家茶ですから、羽を使うのでこのようにしています」とのこと。

 

 理由はにているようで違いましたが、ウチは羽を略したんでしょうかね?(水屋事として見せないので)

 

 供茶が無事終わり、一旦掃けて、薄茶です。

 

 案内役の人が「あ、そうだ先生がいらした」と私の顔を見るなり仰って中に戻りました。どういうことか?と思いましたら、正客のところがガッツリ空いてます。

 

「お歴々の先生方がおいででしょうし、他流ですから」とお断りしたのですが、「そう仰らず~」と正客に上がることになりました。

 

 点前座はそのままのお道具で、茶盌が黄瀬戸の太郎・次郎の茶盌。

 

 これは宗全の息子である覚々斎が息子たちに太郎・次郎・三郎の茶盌を作って与えたことにちなんで、十代石翁が二人の息子に太郎と次郎の茶盌を残したそうです。こちらは黄瀬戸の茶盌で、太郎は中に一つ、外に二つの胆礬。次郎は中に二つ、外に一つの胆礬があり、どちらも外に青織部のように厚く黄瀬戸釉を重ねがけしてありました。

 

 副床には、宗全好の竹節釜敷(石翁花押)、宗全好神折敷(石翁花押・炭入り)、茶杓筒(宗全共筒・追箱)、白蝶貝青海波蒔絵貝合香盒が飾られていました。

 

 茶杓は節が全て削り取られていて、節上にめり込むように切込みがある不思議な茶杓でしたが、面白い!

 

 宗全の器用さが如実に現れていた茶杓です。

 これの写がほしい!

 最後にお家元に名刺をお渡しして、席を辞しました。

 雨も小降りになってきまして、月光殿を出て下手に出て不昧軒の手前にある圓成庵へ。

 

 圓成庵は多宝塔の南側で参道に面して建ち、入口には天徳寺から移築された不昧公の旧墓門が入口です。門扉には、不昧公が帰依した臨済宗円覚寺の大用國師(だいゆうこくし)の「弾指圓成(だんしえんじょう)」が刻まれ、これが庵号の由来となっています。

 

 こちらも高橋箒庵の寄進で仰木魯堂が手掛けています。

 

 不昧軒(十畳の広間)と腰掛待合で区切られており、そこに並んで待ちます。雨が降っているからか、人の往来は少なく、私たちが最後の席とのこと。

 

 ただし、あとから一悶着ありましたが。

 

 時間になり、席に入りますと、流れで正客に上がることに。この日は正客をやっていなかったので、やらないままでも良かったのですが、上がらせていただきました。

 

 始まろうかというときに障子を開けて「まだ入れるでしょう」と言って無理やり入ろうとした方がいらっしゃいまして、流石に「無理でしょう」と思わず返してしまいましたが、三畳中板台目(四畳中板台目という人も居ますが、◯自畳には台目は含まれないので三畳中板台目かと)の部屋に、八人も入れば満員で、さらに裏から男性が二名入って、給仕口を塞ぐという状態に。

 

 ええええええええ、それは流石にないのでは?と思いましたが、母に突かれて発言を控えました。

 

 床は冷泉為紀(れいぜいためもと)卿自筆の和歌。

 冷泉為紀とは、幕末から明治の歌人で、上冷泉家廿一代当主。

 

 山照射(やまともし)

 

 五月雨のはるる山路をますらおが

 火串もちつつ 登りゆく見ゆ

 

 降っていた梅雨が束の間晴れた山道を雄々しき男の人が松明を持って登りゆく姿をみています

 

 というような意味でしょうか。

 

 霧烟る山道を想像しましたが如何でしょうかね。

 

 花入は堅田籠。堅田は近江の湖賊の本拠で、滋賀県大津の地名です。琵琶湖の水運を一手に担った堅田衆の本拠になります。そこの竹を使った宗全籠ににた山形手附の花籠ですが、複雑に竹ひごが絡み合っていて独特な形をしていました。小斎派先代(二代)の好みだそうです。

 

 こちらの小斎派は、御家流さんにおける平民最初の弟子の系統で、それ故に分派が許されたのだそうですが、いつも釜をお懸けなので、あくまで流儀の中の会派というような立ち位置なのでしょうかね?

 

 水指は中里太郎右衛門の叩き唐津の青です。緑釉が全体に掛かった、猫掻きのような叩き後の筋目が全体に広がっていてとてもめずらしい水指です。

 

 その前に置かれていたのが朝日焼・豊斎咲くの茶盌で、鹿背茶盌とのこと。昭和帝践祚五十年の松浦家主催の記念茶会において、秩父宮御来臨に綾信公が御陪席の栄誉を賜り、松浦家先代・祥月公より贈られた「左馬」の茶盌だそうです。

 

 そこに帛紗と輪島の真塗棗が入っていました。

 

 そこまでは、普通なんですけれども、帛紗捌きが独特で、ちょうど四方捌きの由来を調べていたときだったので、「お!」と思ってしまいました。薄茶なのに一辺だけ、四方さばきのように扱われたのです。

 

 その後は普通に薄茶捌きなので、これは「武家茶になるにあたって織部が作った手ではないか?」と考えました(声には出しませんでしたが)。

 

 面白かったのは蓋置で鍔の形をした「戈止(しか)」という赤絵蓋置(高野昭阿弥)です。

 

 形としては印蓋置のような形をしていて、印の部分が鍔になっています。

 

 五月雨の歌ですから、新暦5月と「五月」を揃えたということかと思います(前日がこどもの日でしたし)。

 

 茶杓は先代のお手削りとのことで、銘はないそうですが、節の上下に滲んだシミがとてもいい景色になっていて「五月雨に霞む山路のようですね」と御銘をおつけになられては?と申し出ましたが、実は銘がない方が使いやすかったりするので、冗談として終わらせましたが。

 

 このお部屋での見どころは実は菓子器で、犬山焼の赤絵菓子鉢が素敵でした。

 

 毎回、お目にかかっていますが、いつもながら道具組みの物語を上手に軽く重く張り巡らされておられて、勉強になるお席でした。

 

 また、秋にお目にかかれたらと思っております。