ふむふむ。
茶道は廃れないコンテンツとしてこの先の未来を生きていかれるか?
廃れる廃れない問題は「コンテンツそのものの変容に原因はない」ということなんですね。
茶道を変えようとする人が結構多いんですが(着物も似たような傾向があります)、前から言っているように「敷居が高い」とか言ってる人たちこそが滅ぼす要因なんですよ。
私も色々言う方ではありますが、初心者をいじめても意味がないので、初心者には「それはこうした方がいいですよ」と教えるようにしています。
勿論、茶道の場合は最終的に【自分の師匠に確認する】事が大事で、【家元】ではないんですねw
野球もサッカーも、基本的には同じものがずっと続いていて、形を変えずに(多少ルールは変わっていますが)、続いているのに、なんで茶道だけ形を変えようとする人がいるのか不思議ですw
茶道の歪な形は、誰しもを習わせようとするビジネスモデルにあるのであって、もっと「茶会の間口を広くすればいい」と私は考えます。
連客が連客に注意・指導するのを禁止し、客が客として気楽に来られる場所として茶会(大寄せの)を開けばいいんだと思うのですよ。
習う人は習いたい人だけで良くて、それは、正しいことを受け継いでくれる人だけでいい。勿論そこから新しい点前や道具を生み出すことも必要です。
それとともに、「美味しく点てるコツ」みたいなものを科学的に検証して、普及させていくことも必要かな?と思うのです。
茶道は廃れるオワコンじゃないと私は思っています。
今までの隆盛が、幻だっただけだとwwwwww
【追記】
元記事が何処かに行ってしまったのですが、「とある雑誌の編集が、その専門に不勉強で関心もなく、専門的な記事よりも一般的な記事が大事!と主張して、やったら雑誌の売上が落ちた。誰が金を出しているのか?を見誤った結果である」というような内容のTweetを見ました。
これは茶道だけでなく、新しい参入者へのアプローチは大事ですが、そこに重心を置いてはいけないという教訓的な記事でした。
間口を広げるのは何のためか?ということをきちんと理解していないと起こる現象なんですね、これ。
つまり、茶道に置き換えると【目的】は「正しく次の世代に伝えること」です。そのための【手段】として「人を集める」んですよね。なのに、「人をたくさん集めたい」「多くの人に知ってもらうには……」と考えていって、「元々の形を変容させてしまうことを思いつく」という状態になっている人たちというのは、結局【手段を目的化した勘違いさん】か【金儲けしか頭にない人】たちです。
私がいつも弾劾するのは、これが所謂「初心者を惑わすことになっている」からです。
勉強料だという考えもありますが、【テーブル茶道】だの、【カフェ茶道】だのといった紛い物をビジネスモデルにしている人たちは、目的を見失った人たちであり、人に教えるのには向いていません。
短絡的な目先のことしか考えていないからです。
これは、現代日本独特の「新卒3年目ぐらいの子に新人教育をさせる」という「まだ仕事が分かっていない人が全く分かっていない人を教える」というおかしな状態とよく似ています。
だからこそ、某流派では「十年は茶道を習ってると言ってはいけない」と教えます。これは、初心者いじめが起こらないようにするためであるとともに、習いたては人に教えたがりになりますが、実は【なんにも知らない未熟者であることを自覚するための期間】なんです。
新人にはベテランが教えるべきです。
でなければ、何故それをするのか?という本質的な理解ができていないからです。
例えば茶道の先生をやれる人というのは「点前の所作の意味をすべて論理的に解説できなければいけない」と私は考えます。
これは「論理的に説明しなければならない」のではなく、「できなければならない」であることに注意が必要です。
こうしたことは「質問されてはじめて答える」類のものであり、「はじめから教える」ものではないからです。
質問というのは「正解はこうであると考えたのですが合っていますか?」と問うことであり、「なんでこうなのか?」と尋くことではありません。
長くなりましたが、茶道に限らず先生の資格を安易に与えすぎている気がいたします。