本日は葉月三日。三日月です。

 

 旧暦は月齢なので、三日が三日月なんですね。

 

 朏(みかづき)は「月」がようやく「出」てきたという意味だそうで、珍しく月(にくづき)ではなく、月(つきへん)なんですね。

 そうしたことから、 「新月のあと初めて見える月」ということで「初月(ういづき)」という異名があります。初月(はつづき)とも言われます。

 

 若月(わかづき)というのも同様の意味ですね。初弦(しょげん)も同様。

 

 三日月の形から偃月(えんげつ)、 彎月(わんげつ)などとも呼ばれます。

 

 磨鑛(まこう)とも言うそうですが、これは「黄色に美しく輝く石を磨いた様な月」ということらしいです。いつ頃使われていた言葉なのかわからないので知ってる方がいらしたら是非!

 

 虚月(こげつ)は光っていない部分が大きな虚(うろ)のように見えることから付けられた別名。

 

 また眉のように見えることから「眉月」ともいいます。「若月(わかつき)」というのは日が若いことからの命名かと思われます。

 古来は「新月」は見えない月ではなく「三日月」のことだったのですが、英語のNew Moonに対応するため朔月のことを意味するように変わってしまいました。

 ちなみに、英語のクレッセント、フランス語のクロワッサンは三日月の意味なんですよ^^

 毎月三日を表していた言葉たちは、いつの間にか、仲秋の三日月を特に意味する言葉になっていきました。
 
 ふさわしい軸としては『獨坐偃月堂』だと物騒ですかね(笑)

 これは十八史略にある「毎夜獨坐偃月堂、有所深思、明日必有誅殺、屢起大獄。自太子以下皆畏之。」という文章からの句です。

 

 李林甫という唐の宰相の話です。

 天下大乱の原因となった佞臣ですが、意外にも安禄山は李林甫を恐れて叛乱を起こさなかったといわれますから、別の意味で重しにはなっていたのですね。

 この人が偃月堂(林甫の書斎の名前)で深く物事を考えると、翌日は必ず誅殺があり、しばしば大獄(大量に誅殺されること)が起こった。太子以下みんなコレを畏れる……というのですから、とんでもない酷吏です。

 

 小人が深く考えることほど愚かなことはないわけですが、平和に安穏としてしまった唐は以後安定を失っていくことを鑑みれば「そのようなことが起こらないように」上に立つものは佞臣の登場を恐れなければなりませんね。

 月には月齢に応じて、呼び名が変わっていきます。
 

 特に旧暦八月は名月を抱えていることから特に八月の月を呼ぶことが多いとされます。

 今日は旧暦八月二日。
 陰暦二日の月のことを「二日月(ふつかづき)」または「既朔(きさく)」と言いますが、季語としては秋の季語で、特に八月二日の月のことをいいます。

 実は、月はその名前が天体の月から採られている通り、月に由来し、日の呼び方も月に因みます。「ついたち(一日・朔日・朔)」は「つきたち(月立)」が転訛したものであり、「つごもり(晦日・晦)」も「つきごもり(月隠)」が転訛したものです。月末を表す「みそか」は「三十日」の古語であり「三十」が「みそ」で「日」が「か」であることから、月末を「みそか」というようになっています。

 既朔は「既に朔を過ぎているのに、ぼんやりとしか肉眼で見えない月がでている」ということで、月明かりが始まっているのに見えない様子をいいます。

 八朔を過ぎると秋に向かう気候が早くなる(朝夕の涼しさが増す)ために、より空が透き通り、月の明るさが目立つのかもしれません。

 日没後半刻ぐらいで沈んでしまいますので、日暮すぎに、そっと空を見上げてみては如何でしょう。
 虫の音が、心を和ませてくれるかも。

 こんな時期の御軸としては「雲出洞中明」「伴歸無月村」「山高月上遅」などいかがかと。

 本日は旧暦八月二日、二十四節気の第十八「秋分」です。

 秋分は「昼と夜の長さが等しくなる」日で、旧暦八月中に来ます。白露と寒露に挟まれた短い褝(ひとえ)の季節であり、白露には暑い日もあるのですが、朝夕の涼しさが冷たく感じる頃でもあります。『暦便覧』では「陰陽の中分なれば也」とされ、春分同様、昼夜の長さがほぼ同じになります。

 白露から褝(ひとえ)に変わった着物も、寒露までですから、本当に短いですよね。
 寒露の後の霜降からは袷(あわせ)の着物に変わります。羽織を薄物羽織から褝羽織に替える人もでてきます。とはいえまだまだ昼間は暑い日もあり、雨などもまだまだ長いのがこの時期です。

 また、秋分の日は、太陽が極楽浄土のある「真西に沈む」ことから、「亡くなった人を偲ぶ日」ともされています。

 そして秋分で極まった秋は已後、寒さを伴うようになり、やがて冬を迎えます。二十四節気では、秋分の後は、寒露、霜降と続き、立冬に至ります。

 この時期のお軸としては「清風萬里秋(せりふうばんりのあき)」とか「秋山風月清(しゅうざんふうげつきよし)」「野菊淡秋心(やぎくしゅうしんたんなり)」などは如何でしょう?

 

 

 

 

 本日は旧暦八月一日、己亥葉月己亥。

 八月朔日です。

 

 一般には落葉が始まる「葉落ち月」から葉月になったとされていますが、ここまで紹介してきたように和風月名は「稲」に関わるものが多いことから「穂張り月(ほはりづき)」から「はづき」となって、「は」に「葉」を宛てたと考える方がしっくり来ます。

 では、恒例の別名をその由来とともに見ていきましょう♪

穂張り月【ほはりづき】
 稲穂が張る月で有る事から
 

初来月【はつきづき】
 雁が越冬のために初めて渡ってくる月で有る事から
 

秋風月【あきかぜつき】
 秋に吹く風が秋風ですが、旧暦八月ごろから秋風が吹く(秋分の月ですので)といわれていることから。

 

燕去月【つばめさりづき】
 燕が南方に去っていく月である事から
 

雁来月【かりきづき】
 雁が越冬のために渡ってくる月で有る事から


桂月【けいげつ・かつらづき】

 月の中に桂(かつら)の木があるという伝説から桂月とは月の雅称。そのことから中秋の名月がある旧暦八月を桂月ともいうようになったそうです。
 

草津月【くさつづき】
 草の月の意。この草とは七草のこと。七草は秋のもので、春は七種(ななくさ)。

 

紅染月【こうそめつき・べにそめづき】
 紅葉がはじまり葉が紅色に染まっていく様子から

 

清秋    せいしゅう
 空が清く澄みわたった秋で有る事から
 

木染月    こぞめづき
 木の葉の色を染め始める月であることから
 

月見月【つきみづき】
 旧暦八月は中秋の名月を中心に、美しい月を愛でる月であることから

南風月【はえづき】
 南方から台風がやって来る月で有る事から、南風月と呼ばれています。
 

萩月【はぎつき】
 

観月【かんげつ】

 旧暦八月は中秋の名月を中心に、美しい月を愛でる月であることから
 

建酉月    けんゆうげつ
 「建」の文字は北斗七星の柄を意味し、その柄が旧暦で酉の方位を向くことから
 

壮月    そうげつ
 まだまだ草花が盛(壮)んに生える月であることから
 

竹春    ちくしゅん
 若竹が生長し、新葉のが生え盛る月であることから

 

 茶道でもいろいろ応用できそうですね♪

 

 さて本日の八月朔日は略して八朔とも言います。
 

 この頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあったそうです。

 このことから、田の実の節句ともいわれ、この「たのみ」を「頼み」にかけて、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになったといわれます。

 中元の風習にも似ていますね^^

 ところで、御中元や御歳暮などを「互いに贈り合うもの」と織っている人がいますが、これは勘違いです。「お世話になっている人に贈る」ものであり、相手からは返礼の手紙が関の山で、直接渡した場合はその手紙もないのが普通です。

 御中元を贈ったのに、何も贈って来ないのよ……なんて会話をバスの中で聞いていて「このご婦人方は阿呆?」と思ってしまいました。見ず知らずの他人なので、教えて差し上げるのも莫迦らしいと聞き流しましたが、いい歳したご婦人が常識知らずというのは恥ずかしいので、やはり「無知とは罪」ですね^^

 八朔には「祇園界隈の芸舞妓が正装でお茶屋や芸事の挨拶回りをする」という風習が京都にあります。

 この風習は、室町時代には幕府でも重視された儀式で、特に江戸時代以降は、江戸城への家康入城が八朔であったため、将軍家への出仕をする習わしとなっています。

 千家でも、職方や千家十職、宗匠らが正装して家元に挨拶へ行くことになっているそうですが、私はそんな高いところに居りませんので、平々凡々と暢気にしております(笑)

 家元に出向かない先生方では、大寄せの茶会を開いたり茶事をなさる方もいらっしゃいます。

 もちろん挨拶に伺うのに手ぶらという訳にはいきませんので、手土産を持参いたしましょう♪

 八朔に相応しい御軸としては八朔雛の風習がある地域にちなんで「立雛図」などは如何でしょう? これは壱岐や香川県三豊市の旧仁尾町などの風習で、特に旧仁尾町ではひな祭りに雛人形を飾らず、八朔に飾ったそうですよ。仁尾城の落城が旧暦三月三日だったことからそうなったのだとか。壱岐では子供の無事な成長を祈って男女の紙雛を作り、送る風習があったそうです。


 そして、八朔はハッサクが旬を迎えます。
 このハッサクは1886年(明治19年)に名づけられ、新暦の八朔の頃から食べられたからと伝えられています。旧暦じゃないのが残念ですね。

 

購入元:ヤフオク
購入額:★★★
 
 念願の備前の水屋甕です。
 
 母が「2つ揃っていたほうがいいでしょうけど、一つでもあったらいいんじゃない?」ということで、赤焼けた備前がでていたので購入。
 
 これは蓋がないのですが、蓋だけ買うと9800円もするんですね! 割蓋の方が安いみたいですが、大と小で同じ値段ってなんでなんだろう??
 
 別にどっちでもいいんですが、既にある水屋甕が一枚蓋なので、割蓋を買うようにしましょうか(稽古できるように)。