茶経は陸羽が著した、お茶に関する書物。

 陸羽についてはWikipediaを参照してくださいね♪

 

 

 ここで扱われているお茶は団茶【だんちゃ】で、蒸した茶葉を臼で搗いて固めて作られる固形茶のことで、まるく団子のようにしているため団茶といいます。

 これが団茶。

 煉瓦状にしたものを磚茶【せんちゃ】といいます。

 これが磚茶。

 煎餅状にしたものを餅茶【へいちゃ】といいます。

 

 これが餅茶。

 

 これらを刃物で削って、鉄瓶などで煮出したのが茶でした。

 塩を振った湯に入れて煮出します。

 

 そのうち、薬研で削った茶を砕いて挽茶にするようになります。

 

 因みに、陸羽以前は、茶は「荼」という漢字で呼ばれていました。あとは「茗」「蔎」「荈」「槚」など11種類ほどの呼び名がありましたが、陸羽以後、「茶」と呼ばれるようになっていきます。

 

 しかし、この団茶、日本では普及しませんでした。

 というのは、蒸して固めていたために、高温多湿な日本では「黴」が生えやすかったんですね。そして、匂いが変化してしまったようです。

 

 残念ですが、日本で茶が定着するのはだいぶ先の話となります。

 

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「抹茶は甘い飲み物です」

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 お抹茶に抱くイメージってどんなものがありますか?
 お茶会ってどんなところでしょ?
 茶道ってどんなことしてるんでしょ?

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 実は、お茶会って愉(たの)しいところなんです!

 一般的なイメージだとしゃべっちゃいけないみたいな感じですかね?

 でも、本当はそんなことなくて、正客と亭主の会話の邪魔をしなければ、話していいんですよ。雑談はダメですけどネ(笑)

 そして、抹茶はとても甘い物なんです。

 苦い抹茶は「安い抹茶」とか「点てる人が下手」ということ。上手な人は甘い抹茶を点てられます。

 さらに、自分たちだけのために用意された小さな美術館として、日本の伝統工芸に身近に触れられます。陶器、漆器、指物、竹工、金工、羽細工、鋳物、織物、染物、建築、造園、書や香などが所せましとそこにあります。

 そして着物で出掛ける場所としてこれほど相応しい場所もありません。

 月桑茶道教室では、そうしたお茶会へ行くための心構えや喫(の)み方、お菓子の頂き方など、様々なシチュエーションで体験いただけます。

 ご興味ございましたら是非お出掛けください(*˘︶˘*).。.:*♡

 コロナ対策は手洗いの徹底、マスクの着用にて各自お願いいたします。当日発熱の方はご参加をお断りすることがございます。予めご了承ください。
 

 3月5日は旧暦二月十四日。初午は過ぎておりますが、初午に因んだ設えでおもてなしいたします。月桑庵の馬揃えをご覧あれ!

 

 会終了後のおしのぎがございます。

 お時間の許す方はお召し上がりくださいm(_ _)m

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 濃茶 
 薄茶 


 定員5名(別途手伝い枠3名)
 

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■日時
 令和5年3月5日(日)
 濃茶:13:00~14:30
 薄茶:15:00~16:30
 

 開始15分前までにお越しください。
 時間はあくまで目安です。時間通りに終わるとは限りませんのでご理解ください。
 茶事終了後、お時間のある方はお残りください。簡単な酒席がございます。
 

※濃茶【こいちゃ】
 本来のお茶。一般的に思い浮かべる抹茶よりもどろっとして濃い抹茶。菓子は上生菓子を添える。
 

※薄茶【うすちゃ】
 一般的に抹茶といわれると思い浮かべる抹茶。菓子は干菓子または半生菓子を三種以上添える。
 大寄せでは上生菓子にてお出しすることも多いです(笑) 
 

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■会費
 5000円(濃茶・薄茶)
 会費は当日封筒に入れてお出しください。
 

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■参加方法
下記予約ボタンより予約をお願いいたします。

 

STORES 予約 から予約する


■申し込み締め切り
 定員になり次第募集終了です。
 また、菓子の都合もありますので、一週間前には締め切らせていただきます。ご注意ください。
 加えて、キャンセルもそれまでの受付とさせていただきます。キャンセル料は全額お支払いいただきますので、ご了承ください。


■ご新規さまへのお願い
 当日キャンセル後、ご連絡取れない方が多いため、ご新規さまにつきまして会費の事前振込をお願いすることになりました。何卒ご協力おねがいいたします。


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■服装
 洋装OKです。
 ただし、できるだけゆったりとした【外出着】でお越しください。ジーンズやミニスカートはお控えください(できるだけ膝丈より長いもの)。カジュアルすぎる物はお避け下さい。
 男性は七分裾などの短いものはNGです。
 また、当会はお稽古会ですので、お着物の場合は小紋、浴衣、絣など普段着や紬などの普段着・お洒落着(無紋の訪問着)でOKです。
※通常のお茶会は色無地紋付以上の礼装となります。

 

■ご用意いただくもの
・懐紙【かいし】
 お菓子を頂いたりする際に用います。
 

・菓子切り【かしきり】
 菓子を着る金属や竹などでできた楊枝です。金楊枝ともいいます。
 

・扇子【せんす】
 茶道用の扇子です。礼をする際などに必要です。五寸、五寸五分、六寸、六寸五分があります。
 

・帛紗【ふくさ】
 茶道用の帛紗。点前をする際に亭主が腰につけ、道具を清めるのに用います。
 ※習われている方以外は不要です。
 

・小帛紗【こぶくさ】または出し帛紗【だしぶくさ】など
 茶盌(ちゃわん)が熱いときや道具を拝見する際に用います。濃茶には必須です。
 ※お貸しいたします。
 

 以上のものにつきましては、
 ・薄茶席の方はできるだけお持ちください。
 ・濃茶席の方はお持ちください。
※ご用意のない場合はお貸しいたします(未経験の方)。
 

・替え白足袋または白靴下
 足袋カバーをお脱ぎいただいても構いません。洋装の方は履き替えていただきますので、必ずご持参ください。
 

・封筒
 会費は封筒に入れてお名前をお書き添えの上、ご持参ください

 本日は旧暦二月一日、癸卯乙卯己酉。如月朔日です。

 

 如月は【きさらぎ】と読み、衣更月・着更着・絹更月とも書きます。


 春とはいえ、まだまだ寒く、重ね着をすることからこう呼ばれたと言われています。

 

 如月の別名というと

 

 梅月【うめづき】

 梅が満開になることから。梅見月【うめみづき】とも。

 

 雪消月【ゆきぎえづき】

 雪解月【ゆきげづき】ともいいます。雪が解けはじめ、雪景色が消えることから。

 

 花春【かしゅん】

 春の花々が満開に咲き始めることから。

 

 小草生月【をぐさおひつき】

 ちいさな草々が一斉に芽を出し濃い土色だった大地が淡い緑色に覆われることから。

 

 雁帰月【かりかえづき】

 渡り鳥である雁が暖かくなって北に帰ることから。

 

 木芽月【このめづき】

 木の新芽が出てくることから。

 

 麗月【れいげつ】

 鹿の角が生え変わる直前の美しい姿が見られる時期だから?
 麗の漢字は「丽」が日本の角が揃っていることを示し、鹿の角がきれいに生え揃っていることから「うるわしい」の意味になっていることに由来?

 

 早緑月【さみどりづき】

 木の新芽や草の若葉の色から

 

 初花月【はつはなづき】

 初花とは梅の花のこと。

 

 殷春【いんしゅん】

 殷は「さかん」の意味。盛春と同義。

 

 建卯月【けんうづき】

 「建」の文字は北斗七星の柄を意味し、その柄が旧暦で卯の方位を向くことから。

 

 いろいろと参考になりそうですね♪

 本日は旧暦一月廿九日。しかも晦日。

 

 二十四節気の第二、雨水です。
 
 雨水は『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」とあり、「雪が雨に変わり雪解けが始まる」日であり、空気に湿り気が増し、雨が降りやすくなる季節でもあります。
 
 寒気が北から入ってくると雪や霙(みぞれ)になったりしますが、植物が芽を出してきて春らしさを少しずつ感じるようになります。
 
 当庵でも、お弟子さんからいただいた吾亦紅(ワレモコウ)の芽がでておりました。椿も咲きおさめとばかりにたくさん蕾をつけております。
 
 春とは言えどもまだまだ寒い季節、お出かけには着脱ぎしやすい上着を一枚忍ばせてくださいませ♪

 この時期の御軸として相応しいのは「雨洗娟々浄」、「春水満四澤」、「春声先水響」などでしょうか。花は春の代名詞ですが、まだ少し早い気がいたします。

 武野紹鷗のことを調べていると、どうも村田珠光に師事した形跡がないんですよね(年代的にも合わない)。

 

 三条西実隆に連歌を師事した訳ですが、この三条西実隆当代一の文化人で茶人でもあるお公家さん。

 

 しかも、若狭武田氏と入魂の仲。

 

 武野紹鷗に茶の湯も指南した形跡があります。

 

 これは実高公記を調べないといけないかな?

 

 天文二年(1533)に武野紹鷗が帰郷していますが、それまでの間に武野紹鷗は三条西実隆から茶道と連歌の指導を受けており、当代一の文化人に憧れて集まった人々の中に村田珠光の弟子たちがいて交流をしたということではないかと。

 

 大永六年(1526)に四条に移り住んだ武野紹鷗ですが、村田珠光は文亀二年(1502)に亡くなっています。

 

 現在は、村田珠光の弟子である藤田宗理や松本宗吾といった茶人であるとされますが、それらも師事したというよりも、膝突き合わせて交わりを結んだということのほうがすんなりします。

 

 三条西実隆は武野新五郎(信久)から支援を受けていたということであり、息子が師事している先生を後援をしていたということもありますが、その辺りに武田氏と武野氏を結ぶものがあるように思います。

 

 特に武野氏は本願寺と入魂になっています。

 武田氏は、朝倉氏の侵攻を抑えるのに後背にある本願寺勢力の力を借りている訳です。

 

 このあたり、天王寺屋が介在しているであろうとも思われます。なにせ皮屋があるのは天王寺屋などがいる近くですし、幼馴染の北向道陳が近所ですから。

 

 北向道陳と田中道悦は同じ法華の徒。

 天王寺屋は本願寺の御用商人。

 

 武田元光―三条西実隆―武野信久―津田宗達―本願寺

 

 というつながりが見えてきます。