日曜日、購入した干菓子器はこちら。



 価格:★★★★


 新品でこの価格帯なのに、木製品というのが素晴らしい。


 塗装はカシュー塗装だと思いますが、稽古茶会に使う分には十分だと思います(茶道具ではない菓子器を使うのがいい加減嫌になっているのでw)。

 

 面白いのは、高高台になっていることで、普通の四方盆とは一風変わっていることと、四方の縁に金が入っていることが面白いと思いました。


 こういう形をなんと言うのでしょうね?

 

 母と私でこの価格帯ものもを「いいね!」ということが殆どないので、即決でしたw

 

 いつ使うか、物語を考えないといけません。



 土曜日、名古屋の知人で陶芸家の・中村公之さんが個展をやっているというので、挨拶しに行ってきましたよ!

 万画廊 という銀座のギャラリーで5年ぶりだとか。知り合ったのが、名古屋のやっとかめ文化祭で公之さんが蔵茶をしたときですので、その前に、されてたんですね。


 現代アートは全く門外漢なんですが、一つだけの赤は、茶道の道具組みで「何処かに赤は一つ入れるもの」と言われているのと似ているなぁ〜などと、思っておりました。

 所謂、デザインでいう「指し色」なんでしょう。

 折角、銀座に来ましたので、銀座橘苑 さんに伺いました。


 昔は路面店だったそうですが、数年前に移転されているそうです。色々見せていただきましたが、いまいま必要なものは特になく、雑談ばかりでお仕事の邪魔をしてしまいましたm(_ _)m

 こちらはレンタルもなさっていて、正絹の着物をお借りできるそうです。ある程度の方で、ポリ着物では……という男性なら、オススメできるなーと思いました。

 さて、本題の淡交社 です。


 茶華道連盟の奥長先生が釜を懸けられているということで、母と二人で出掛けてきました。

 大江戸線牛込柳町駅から直ぐで、Google Mapの間違った道案内に騙されつつ、少しだけ迷いましたが、到着。初めて降りた駅でした(笑)

 牛込神楽坂駅なら使ったことがあるという母の主張は置いておいて(笑)、初めての街は少しキョロキョロしてしまいますね。

 ビルの一階が実店舗、上が編集部と展示室や教室、茶室となっています。この日は八階に、呈茶席が設えられ、立礼でした。

 所狭しと作家物が並びます。

 今岡妙見さんの四方水指と加藤利昇さんの源氏物語の茶盌が目を惹きます。あと、田原陶兵衛さんの花入と水指。水指は蓋の摘みが海老になっていて面白かったんですよ!

 呈茶に使われていた釜と建水に惹かれたのですが、これは常什のものだとかで売り物ではないそうです(笑)

 変わった形の車軸釜で、釻付に三つ巴紋が入ったものでした。白吹きの膚で、使い込まれたいい味が出た菊地政光作の釜でしたね。

 建水は唐銅と言ってらっしゃいましたが、毛織の内鎚目で、外は石磨でしょうか。塁座が一列入っていて、これも大分使い込まれた感が良かったです。

 茶杓は今回のカタログのタイトル「麗らか」。剣先に薬研樋の茶杓で、薬研樋の根本に黒い筋染みがあり、これを一滴と捉えての「麗らか」でしょうかね。

 薬研樋は剣先に限るなぁ〜と思わせる逸品でした。

 棗などはあまり私の琴線に触れるものなく、御茶室を見せていただくことに。慶交庵という広間と小間?の続き水屋となった茶室で、食い込み柱になっていたので、?とは思いましたが、他流さんなので黙ってスルー。

 こちらには裏千家さんの箱書シリーズが並んでいて、流石に素晴らしい茶入とか茶盌とかゴロゴロ。箱書きなければ是非ともほしい!というようなものが(買えませんけどね)並んでましたよ。

 展示会は、こうしたものを見られるチャンスなので、行けるものなら行った方がいいと思いましたね。

 別段、買わなくてもいいんですから(笑)

 一階の稽古場用の品も見せていただきまして、木加工品ではない干菓子器が格安だったので購入することに。あとは金沢の骨董商『古美術 御倉』さんもお使いだった裂地の本、ダチョウと姉羽鶴の小羽根箒が珍しかったので一本ずつ、母が豆皿を気に入って5枚を決めまして、持ち帰りました(笑)

 家に帰って母が「出掛けるとなんだかんだでお金使うわよね」とこぼすも、要らないものじゃないから仕方ないよねという話になりました。

 干菓子器も茶道具でないものを無理矢理使っているものがまだまだあるのと、棚物が増えているので、棚を変えると合わなくなっているものも多く、結局、棚を変えると全部変えなきゃいけない状態になり、やっぱり数が足りないね!という循環に(笑)

 さぁ、来週は「お茶会へ行こう」です!

 

_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/

「抹茶は甘い飲み物です」

_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/



 お抹茶に抱くイメージってどんなものがありますか?
 お茶会ってどんなところでしょ?
 茶道ってどんなことしてるんでしょ?

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 実は、お茶会って愉(たの)しいところなんです!

 一般的なイメージだとしゃべっちゃいけないみたいな感じですかね?

 でも、本当はそんなことなくて、正客と亭主の会話の邪魔をしなければ、話していいんですよ。雑談はダメですけどネ(笑)

 そして、抹茶はとても甘い物なんです。

 苦い抹茶は「安い抹茶」とか「点てる人が下手」ということ。上手な人は甘い抹茶を点てられます。

 さらに、自分たちだけのために用意された小さな美術館として、日本の伝統工芸に身近に触れられます。陶器、漆器、指物、竹工、金工、羽細工、鋳物、織物、染物、建築、造園、書や香などが所せましとそこにあります。

 そして着物で出掛ける場所としてこれほど相応しい場所もありません。

 月桑茶道教室では、そうしたお茶会へ行くための心構えや喫(の)み方、お菓子の頂き方など、様々なシチュエーションで体験いただけます。

 ご興味ございましたら是非お出掛けください(*˘︶˘*).。.:*♡

 コロナ対策は手洗いの徹底、マスクの着用にて各自お願いいたします。当日発熱の方はご参加をお断りすることがございます。予めご了承ください。
 

 3月5日は旧暦二月十四日。初午は過ぎておりますが、初午に因んだ設えでおもてなしいたします。月桑庵の馬揃えをご覧あれ!

 

 会終了後のおしのぎがございます。

 お時間の許す方はお召し上がりくださいm(_ _)m

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 濃茶 
 薄茶 


 定員5名(別途手伝い枠3名)
 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
 

■日時
 令和5年3月5日(日)
 濃茶:13:00~14:30
 薄茶:15:00~16:30
 

 開始15分前までにお越しください。
 時間はあくまで目安です。時間通りに終わるとは限りませんのでご理解ください。
 茶事終了後、お時間のある方はお残りください。簡単な酒席がございます。
 

※濃茶【こいちゃ】
 本来のお茶。一般的に思い浮かべる抹茶よりもどろっとして濃い抹茶。菓子は上生菓子を添える。
 

※薄茶【うすちゃ】
 一般的に抹茶といわれると思い浮かべる抹茶。菓子は干菓子または半生菓子を三種以上添える。
 大寄せでは上生菓子にてお出しすることも多いです(笑) 
 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
 

■会費
 5000円(濃茶・薄茶)
 会費は当日封筒に入れてお出しください。
 

▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
 

■参加方法
下記予約ボタンより予約をお願いいたします。

 

STORES 予約 から予約する


■申し込み締め切り
 定員になり次第募集終了です。
 また、菓子の都合もありますので、一週間前には締め切らせていただきます。ご注意ください。
 加えて、キャンセルもそれまでの受付とさせていただきます。キャンセル料は全額お支払いいただきますので、ご了承ください。


■ご新規さまへのお願い
 当日キャンセル後、ご連絡取れない方が多いため、ご新規さまにつきまして会費の事前振込をお願いすることになりました。何卒ご協力おねがいいたします。


▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


■服装
 洋装OKです。
 ただし、できるだけゆったりとした【外出着】でお越しください。ジーンズやミニスカートはお控えください(できるだけ膝丈より長いもの)。カジュアルすぎる物はお避け下さい。
 男性は七分裾などの短いものはNGです。
 また、当会はお稽古会ですので、お着物の場合は小紋、浴衣、絣など普段着や紬などの普段着・お洒落着(無紋の訪問着)でOKです。
※通常のお茶会は色無地紋付以上の礼装となります。

 

■ご用意いただくもの
・懐紙【かいし】
 お菓子を頂いたりする際に用います。
 

・菓子切り【かしきり】
 菓子を着る金属や竹などでできた楊枝です。金楊枝ともいいます。
 

・扇子【せんす】
 茶道用の扇子です。礼をする際などに必要です。五寸、五寸五分、六寸、六寸五分があります。
 

・帛紗【ふくさ】
 茶道用の帛紗。点前をする際に亭主が腰につけ、道具を清めるのに用います。
 ※習われている方以外は不要です。
 

・小帛紗【こぶくさ】または出し帛紗【だしぶくさ】など
 茶盌(ちゃわん)が熱いときや道具を拝見する際に用います。濃茶には必須です。
 ※お貸しいたします。
 

 以上のものにつきましては、
 ・薄茶席の方はできるだけお持ちください。
 ・濃茶席の方はお持ちください。
※ご用意のない場合はお貸しいたします(未経験の方)。
 

・替え白足袋または白靴下
 足袋カバーをお脱ぎいただいても構いません。洋装の方は履き替えていただきますので、必ずご持参ください。
 

・封筒
 会費は封筒に入れてお名前をお書き添えの上、ご持参ください

 茶の湯や茶道で男性が点前をするときに袴を着けないのは千家などの町人茶だけで、基本的に袴を着けて点前をする。

 また、膝を揃えてつくのも実は千家の特徴である。

 当流などでは、女性も左立ち膝で立ち上がるため、両膝立ち・両膝坐りを見ると違和感を感じてしまう。

 千家は何故、両膝立ち・両膝坐りなのだろうか?

長着でも左膝立ちは可能

 実際のところ、長着でも左膝を起こして立ち坐りをすることはできる。

 というよりも、そうしないと膝がドスンと畳に付いてしまい、膝に負担が掛かって、膝の下にあざが出来る人もいると聞く。

 拳一つ分だけでも先に左膝を上げると両膝立ちよりも遙かに筋力を必要としないというのに何故であろうか?

 人間工学的に合理的ではない気がしており、なんらかの理由が存在しなければ、これをする合理性が見出せない。何より他の流派は両膝を揃えて立ち坐りはしないのであるから、千家に理由がなければ不自然なのだ。

 こうした疑問は、流儀が違うのだからあって当然なのだが、「何故そうなのか?」と聞いても、理由を知らない人が圧倒的に多い。「疑問にも思わなかった」と異口同音に答えが返ってくる。

八戸藩伝神道無念流立居合

 一足立ちを調べていたら、変わった記事にたどり着いた。八戸藩に伝わる神道無念流立居合という流派は、さまざまな特徴ある独自の技や作法を持っており、そのひとつが一足立ちという。

 「その一つに「一足立ち」(両足を付けて立つ)がある。両足の爪先をそれぞれ45度に開き(両足の角度が直角になる)、前足の踵を後足の中心に付ける。」

 というように、両膝立ちのことではないが、同じ「一足立ち」という名前であるのが面白い。

一足立ちの疑問

 そもそも「一足飛び」などのように「両足を揃える」ことを「一足○○」というようであるから、不自然ではないように見えるが、実はおかしいことに気づく人も居るかも知れない。

 何がというと、この言葉が「立ち方」ではなく、「坐り方も意味している」点が不自然なのだ。つまり、「一足坐り・一足立ち」であるならば、今は通るのだが、「一足立ち」のみで、坐法も言い表している点に不自然さを感じる。

 これに対して「片足立ち」や「片膝立ち」というのは、「立ち膝」のことを意味しており、立ち方でも坐り方でもない。片膝を立てた状態にすることをいう。

 その点からすると、一足立ちは神道無念流の立ち姿勢のことであると言えるように思う。

 ならば、この千家の坐り方・立ち方はなんと言えば良いのか?

 答えは簡単である。「両膝立ち」である。

 これは両膝を畳に付けて体が立ち上がっている姿勢のことになる。ただし、この状態から上体を前に倒さず、腰を上に起こしていくのは大変だし、坐るときは多大なる筋力を要する。

 つくづく千家でなくてよかったと思う瞬間であった。

 茶筅は、最初「竹帚」という道具から始まります。

 

 これは所謂「箒」のことで、外用の広い場所を掃く道具でした。次第に「箒」という一文字で表されるようになると、「竹帚」は台所の掃除用道具として転用され、「炊帚」とか「飯帚」とも呼ばれるようになっていきます。

 そこから調理道具として変化し、薬品道具としても転用されるに従って、お茶にも使われるようになります。

 

 それが、団茶を削って、粉にするための薬研から、器に移すときの茶掃きとして用いられるようになりました。

 



 団茶とは団(まる)-いという言葉通り、球形に固めたお茶のことで、緊圧茶という茶を蒸して整形するものをいいます。餅茶や磚茶という名前で呼ばれるものもありました。

 

 塩を入れた湯で煮出して、大きな器に移し、匙や箸でかき混ぜて泡立てるようになり、竹帚が泡立てる道具として用いられるようになっていきます。

 



 南北朝時代には、大きな器で竹帚で泡立てたものを飲むための小さな茶碗に移して呈するという形が南朝で行われました。これは、茶の産地が南方にしかなく、北朝では軟弱な嗜みと蔑まれていたからと言われますが、実際には陰で愛好されていたと言われています。

 

 唐代に入ると、陸羽が「茶」という漢字を発明したことで、それまで様々な呼び名で呼ばれていた茶がすべて茶と呼ばれるようになります。

 

 この頃には、煮出し法とともに点茶法が生み出され、茶杓でかき混ぜる点茶法や、箸で混ぜる点茶法、竹帚で泡立てる点茶法などさまざまなものがありました。

 

 この内、竹帚が浸透していったのは、蜀のあたりの風習であるといわれ、竹できれいに白く泡立てることを良しとされています。

 

 宋代になると、碾茶が生み出され、それまでの茶色いお茶から緑色の抹茶へと変化します。

 

 竺副帥というのは、宋代の竹帚のことで、象嵌・彫金などが施されたりするようにもなったものです。

 この頃は、竺副帥で練った抹茶に浄瓶で湯を足して泡立てるということが行われています。

 

 この竺副帥が茶筅の直接の先祖と言われています。