宗澄庵をあとにしまして、次はどこへ行こうか?と迷っておりましたら、同行のWAさんから「月窓軒」というリクエストがありまして、月窓軒に並びます。

 

 雨の日だからか、月光殿の大広間に並ぶことになっていたのですが、案内役の人が廊下にいて、その方に整理券を交換してもらってから並ぶ形だったようで、「え? そうなの?」的な感じに。

 

 こちらは台東区の表千家不白流のお席。

 

 入ろうとすると、正客で揉めてらっしゃるようですが、私は声を掛けられなかったので、さっさとお詰めに。

 

 出ていらしたお席主は、台東区のお茶会でお席を持たれていた先生でした。

 

 白和棚

 永楽の根竹皆具より水指

 時代の鉄鉢

 流派好の蓋置

 

 など見どころ満載。

 

 白和棚というのは、丸卓の地板が六角形になって、卓下がある棚物で真塗。天板下の鰭板がつながっていて雲になっていることが特徴です。

 

 地板と中板の間に細い六本の柱があり、中央から建水が出し入れできるようになっています。

 

 不白の流れは「雪輪棚」や「米棚」に代表されるように卓下を好まれるみたいで、いつもながら面白いと感じます。

 

 永楽の皆具は、永楽家の孫が生まれたときに「すくすくと育つように」と願いを込めて作られたものだそうで、席主もお孫さんが生まれたときにお求めになられたとか。

 

 このお席ではなんと「甫竹」の茶杓が出ました。

 

 甫竹というのは、慶首座【けいしゅそ】に茶杓削りの技を学び、利休より秘伝を授けられた?という利休・織部の下削りをした茶杓師です。堺の商人で、絹商人だったといわれ、重右衛門と呼ばれています。

 

 茶杓の裏はしっかり拭き漆が拭かれており、表の煤目も素敵な茶杓でした。眼福の至り。

 

 お正客さまがあまりお話になられないので、ついお席主さんとはなしてしまいました。

 

 末席に座っておいておしゃべりするのは慎まないといけませんね。

 本日弥生朔日(三月一日)、閏月がありましたので、こよみが遅く穀雨でもあります。

 旧暦一月から始まった春も今月で終わりを迎えます。

 弥生は草木が生い茂る意味の「木草弥や生ひ月」が短くなったものと考えられるそうです。

 晩春、季春ともいい、春の最後の月です。

 

 さて、弥生の別名というと

 

 桜月【さくらつき・さくらづき】
 桜の咲く月だから

 

 

 雛月【 ひいなつき】
 三月三日がひな祭りなので

 早花咲月【 さはなさづき・さはなさきつき】
 早咲きの花が咲く月の意味

 夢見月【ゆめみづき】

 夢見草(桜の別名)が咲き始める事から「夢見月」と言われています。


 染色月【しめいろづき】
 不詳

 
 嘉月【かげつ】
 花月の字替えと思われます。

 花月【かげつ】
 花は桜のこと。桜の季節の月の意味。

 花津月【はなつつき】
 津は「の」の意味。花月に同じ。

 

 花見月【はなみつき・はなみづき】
 花は桜のこと。花見をする月。

 

 春惜月【はるおしみづき】

 旧暦では春の終わる季節のため。

 

 暮春【ぼしゅん】

 旧暦では春の終わる季節のため。

 

 建辰月【けんしんづき】

 「建」の文字は北斗七星の柄を意味し、その柄が旧暦で辰の方位を向くため。

 

 蚕月【さんげつ】

 旧暦三月は蚕を飼い始める時期であるため。

 

 宿月【しゅくげつ】

 不詳

 桃月【とうげつ】

 桃の花の咲く月の意。

 

 まだまだありますが、この辺で♪

 本日は、旧暦三月一日、癸卯年丙辰月戊申日。二十四節気第六節である「穀雨」です。

 

 田畑の準備が整い、それに合わせて春雨が降るころです。穀雨というのは「穀物の成長を助ける雨」の意味で、昔風に言えば「春雨が百穀を潤す」となります。『暦便覧』には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されています。「百穀春雨」とも言います。種まきなどに適した時期なので、農作業の目安にされたりしています。

「清明以降雪が降らなくなり、穀雨になると霜が降りることもなくなる」とも言われますが、日本では春分過ぎると霜が降りることはまずありませんし、四月の雪など見たこともないですね(北国を除く)。北国では冬支度から完全に開放され、南国では蜻蛉が飛び始める頃ともいいます。

 変わりやすい春の天候も安定し、陽射しも徐々に強まり夏の気が近づいていることを感じさせます。穀雨の終わりには八十八夜があり、茶道にはゆかりの深い雑節を迎えます。

 茶道では最後の炉の時期です。
 表千家、武者小路千家では吊釜、裏千家では透木釜。
 個人的には「これは趣向によるのでどちらでもよいのでは?」と感じるところですが、穀雨を過ぎると気温と湿度の具合から、「透木釜の方がいい」と感じるのですが、皆さんはどうでしょう?
 これまた個人的ですが、初風炉には眉風炉に雲龍釜か筒釜という組合せが好きなので、吊釜だと似たような釜が続いてしまうのが面白みに欠ける!と思ったりするのですよね。

 着物的には早取りの褝(例えば大島の褝など)が始まります。
 男性は襦袢を早々に麻に替え、暑さに備え始めます(半襟が夏物ではNGなのでそこを注意しないといけませんが)。雨が多いのもこの時期ですから、雨具の用意や雨にぬれても大丈夫な着物のセレクトが重要になってきます。

 この時期に相応しい御軸は「雨収山岳青」「得雨一時開」「雨洗娟々浄」などがいいかと思います。特に花との関係性が春は喜ばれますから「得雨一時開」がお勧めです♪

 二席目は気になっていた杉並区の都古流惺菊会さんの宗澄庵へ並んだのですが、なんだか不思議な男性が二人。

 

 

 YOFUKASHIというよしもと芸人さんだそうです。

 待合のいい余興だったかな?

 

 ただし、本席にうるさいと叱られることもあるので、大きな声でやれないのはお笑いの芸人さんには辛そうです(笑)

 

 次はお点前してくださいね♪

 

 さて、入りましたら「あれ?」

 

 なんだ、都千家さんじゃん。

 どうも、事務方さんが、都千家を「都古流」と間違えて校正OKしちゃったみたいで、あらあらという感じ。

 

 小笠原先生は、都千家の家元。

 都千家は都流とは全く違う流れの流派で、江戸千家系です。

 

 お点前を初めて見るので、じっくり見学させていただきました。

 いやいやいや、面白い!


 文殊菩薩の絵

 信楽の水指(蓋は赤溜塗)

 主茶盌は標高3500mで使われたという木の茶盌

 抱き茗荷っぽい(もしかしたら抱き菊葉かも?)の日向紋と陰紋のついた面白い釜(惺菊割会なので、やはり菊葉の方が正しそう)でした。時代のありそうな感じですね。


 炉椽は古材で宗澄庵の小間にピッタリの設え。


 オーストラリアで求めたという陶器の瓶を薄茶器として使われる面白さは、今回入らせていただいたお席の中で群を抜いたものがあったと思います。蓋は窠のように金継がされていて却って素晴らしい景色になっていました。


 菓子が三品盛りで、虎屋の推古にこんにゃくとそら豆。気取らずありのままの自分で客と対する小笠原先生は流石でしたね。


 是非、また入りたいお席です。

 杉並区のお茶会行きたいなー。

 令和5年4月15日(土)、実に四年ぶりの開催となる東京都茶華道連盟主催の「都民の茶会」でした。


 二日間に亘って行われる春の茶会で、牡丹の間・楓の間・月窓軒・艸雷庵・宗澄庵・不昧軒と茶寮をほぼ全て使っての茶会でもあります。


 我が板橋茶華道連盟は牡丹の間で吉川宗龍先生が席を持たれておいででしたので、早速並ぶことにいたしました。


 天気は生憎の雨でしたが、先日の池上梅園の時ほどでもなく、風情のあるレベル。これぐらいなら雨でもありかなぁ〜?などと呑気な私(笑)


 牡丹の間は牡丹の植えられた庭に面していることからその名があり、丁度牡丹が見頃を迎えていました。


 牡丹は本来「初夏」のものなので、今年はやはり全体的に早い気がします。


 席に入りますと「正客のところがポッカリ空いて」います。ここで時間を取られるのも困りますし、では……と上がります。御歴々の先生いらっしゃるでしょうにねぇ……。


 さて、吉川先生のお席は


・糸巻棚

・阿蘭陀水指(永楽)

・主茶盌 黒楽 大樋長左衛門

・次茶盌 色絵 膳所

・替茶盌 朝日 豊斎作(先代?)

・鎌倉彫喰籠 惺斎花押


 が印象的でした。


 特に糸巻棚は組立式ではないもので、かなり古いものであるのが分かります。


 道具立ては吉川先生らしいもので、あまりお話になられない先生なので、問答を愉しむとはいかないのですが、和やかな茶席ではあったかと思います。


 特に、最近は忘れたことを、息子さんにネットで調べてもらうことが増えた……というお話に母が大きく肯いておりました。


 私の備忘録なんかは記憶の限りで書いておりますが、茶席における会記というものは、それではいけない訳で、間違わないように記憶に頼るのではなく、きちんと調べることが肝腎。それを自分でできないならばと息子に頼んで確認しているというのは、いいことだ……とのこと。


 なるほど、私は、自分で調べてしまうので、気にしたことはなかったのですが、八十を過ぎた先生方がネットでお調べになるのは大変ですものね。


 知識の得方や教養の身に付け方にも時代の変化が出ているわなぁ〜と、お席を後にしました。