今日は旧暦七月十七日、癸卯年庚申月壬戌日。雑節の一つ「二百十日」です。
これは、立春から数えて二百十日の雑節で、この日は、八朔(旧暦8月1日)や二百二十日とともに、農家の三大厄日とされていて、災害の多い日と言われています。新暦ですとだいたい9月1日または9月2日で、関東大震災の時は、9月2日が二百十日で、関東大震災は9月1日でした。
季節の移り変わりの目安となる「季節点」のひとつ。台風が来て天気が荒れやすいと言われていますが、台風が多い事実はありません。
逆に、奈良県大和神社で二百十日前3日に行う「風鎮祭」、富山県富山市の「おわら風の盆」など、各地で風鎮めの祭が催されており、災害と災害の狭間の一息つける日で、次の台風で被害が出ないようにと祈る日であったのではないでしょうか。
汝(な)がかげは つよさ隠せし 野路の花
こひしこがれて いとほしきけれ
偶には和歌の話をしましょう★彡
これは、REALITYの歌会で詠んだ歌で、御題は「夏の恋」。
気づいた人もいるかもしれませんが、折句になっています。
因みに影は陰ではないので、姿のことで、実物ではない絵や思い出、写真、水面や鏡に写った姿などのことです。
また、「汝がかげ」は「中陰」とも掛けていて、中抜きになっているものの陰紋よりも強く太い縁取りになっていることも表しています。
野路とは野の道のことで、自然にできた道のことです。踏み固められ、草木は路傍にポツンポツンと咲くのですが、踏まれても踏まれても生えてくる雑草の強さですかね。
個人的には野路の花というと「露草」を思い浮かべますが、露草は秋の季語なので、「昼顔」がいいですかね?
※蒲公英は春の季語です
恋し焦がれてが表の意味ですが、恋し木枯てと逆の意味にも読めるようひらがなにしています。木枯れてしまうほどに思い疲れた様子も含めてみると少し歌が物悲しくなります。
などと、自分の歌を解説するのはアホらしいのですが、偶にはそういう記事があってもいいかな?と。
茶道というのは、行=実践だけでも駄目。
だからといって理論=学だけでも駄目。
正しいことを実践することが必要です。
では、正しいことというのはなにか?ということになります。
それが「違いがあることの優位性」です。
他流との違いを意識すると、自流への理解が深まるということをご理解いただけますでしょうか。
何度かお話していますが、「ある程度のレベルに達するまでは他流と関わらない方がいい」のは事実です。
軸ができて、お茶を飲みながらおしゃべりして点前をゆったり見られる余裕ができたら、積極的に他流と交流するのがいいでしょうね。
あ!ここが違う! なんでここが違うんだろう?と考えてみてください。
自分の流派がそういう手をすることの理由、裏付けがないと、他流の手との違いの理由が明確になりません。なんでこうなんだろう?ではそれをそうする理由はなんだろう?
逐一、理由を突き詰めていくと、茶道の合理が身についていきます。身についたら実践です。理論だけで満足してはいけません。やっている内に、あれ?ここどうしてだ?とまた疑問が生まれます。
実践し続けるとはたと「あ!」と気づく日が来ます。
それが、大事な日です。
気付けるようになると、世界が変わります。
そこからが、茶道人生のほんとうの始まりです。
稽古とは「古からの教えの隅々まで考えを巡らせる」という意味です。その向こう側に何が有るのか、よくよく考えてみてください!
炉の点前で千家では必ずでてくるのが「内隅・外隅」です。
ただし、当流にはこれがありません。
台目のときに、点前座がズレることはありますが、それは向きではなく、位置が変わります。
これがなんでだか、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーっと考えていたのですが、今朝、風呂に浸かりながら端と気づいたことがあります。
それは「当流では向きを変えるときに自分を中心に向きを変えるのではなく、道具を中心に自分が下がるように向きを変える」ということです。
これに対し、千家は人を中心に向きを変えています。
どちらが間違っている・どちらが正しいという問題ではなく、これはどこを基準にしているのか?の違いなわけです。
道具本位の当流と、人本位の千家。
それぞれの合理性はそれぞれに正しい。
だから、千家には内隅・外隅があるし、当流にはない。
こういう違いが愉しいですね♪
茶室というのは、実は近代に入って日本建築の中で使われ始めた言葉で、利休は「座敷」、織部は「数寄屋」、宗旦は「小座敷」と呼んでいたことが分かっています。
また、茶室は「唐物を持つものは四畳半、侘数寄は三畳」と『山上宗二記』とあり、四畳半というのが、広間であることが解ります。
さて、座敷というのは、元々が「板間」であった部屋に畳を敷き詰めたことから座敷と呼ぶようになったもので、これまでは、板間に畳を敷いたところが座であったのが、敷き詰められたことで「座敷」と呼ぶようになった訳です。
麒麟がくるでも、板間で茶を点てていましたが、あれはおかしいことではなかったんですね。
四畳半というのは、方丈に畳を敷き詰めた物であり、禅宗だけでなく、書院造りなどにもあった方丈が徐々に座敷に変化していきます。
方丈というのは、約3m四方(一丈=十尺)のことであり、ちょうど京間四畳半の茶室が作れます。
この頃は書院には炉を切らず、四畳半以下の茶室にのみ炉を切っていました。
ちなみに、座とは广(屋根のある場所)にある土(=土地の神を祭る為に柱状に固めた土)の周囲に人人(=向かい合った人)がいることを意味する漢字で、人がすわっている場所を意味します。
これに対し、坐は土(=土地の神を祭る為に柱状に固めた土)の周囲に人人(=向かい合った人)がいること意味する漢字で、人がすわる行動を意味しています。
ここから、織部の時代に数寄屋造りが完成することで「数寄屋」と呼ばれるようになり、精神性を大事にした宗旦は「趣味の部屋という意味の数寄屋」を嫌って「小座敷」と呼ぶようになったと考えられるそうです。
小座敷と呼ばれるようになったのは、桃山時代に大広間の畳敷きが流行し、板敷きの部屋がなくなったことで、広間を座敷と呼ぶようになったことから、茶室を「小座敷」と呼ぶようになったと思われます。