立礼の御席を辞すると、応接室に見知った顔が。

 

 杉並代表・小笠原先生です。都千家の先生ですね。仲間内ですので、気の置けない感じで接しておりますが(年も近く同性なので)、端から見たら「なにあれ?」という感じだったかも知れません。

 

 大田区の江戸千家さんを母がナンパして、四人で話しました(武井先生と同門で、お互いにご存知のよう)。

 

 招待客は連客に説明する感じで「●●区の●●でございます。お招きありがとうございます」はしなきゃいけないなぁ……と今更思いましたが、一応板橋の理事長代理で罷り越したことはお伝えしまいた。

 

 先ほどと打って変わって薄暗い本来の茶室のようなところに、長板二つ置き。風炉と水指なんですが、青磁の菊花水指がどうみても唐物。そう!数年前に東京大茶会で珠光青磁の茶盌を飾られていた先生です!

 

 

 これは!と思って道具を眺めていると、風炉は燻風炉の眉で、江戸後期と思われます。祥元作と見掛けましたが(会記を見せてくださいました)、心当たりがない。土器師でしょうかねぇ?

 

 蒲池窯・伊東征隆作の眉風炉を私も持っていますが、艶が違います。漆のようなテカった艶ではなく、使い込まれた艶なんですよね。いいなぁ、こういう物。惚れ惚れしてしまいます。

 

 釜は阿弥陀堂釜とのことですが、唐戸面平肩衝釜の形なので、「?」となりました。鐶付が竹になっており、やはり阿弥陀堂釜というには雰囲気が違いますが、席中でいうことでもないので、黙っておきます。

 

 水指は元時代の物と思われます。おそらく龍泉窯のものではないかと。天の色と呼ばれた青磁に、漆の黒がよく映えます。形は写真のものににていますが、これの菊華形(菊割)でひだの数が48ほどもありました。ただただ、圧倒される存在感でしたよ!

 

 

 

 初代浄益の鎖に下げられた砂張の吊り舟が見事です。作は忘れてしまいましたが、江戸初期のもので間違いないでしょう。使い込まれた味というものが舟から滲んでいます。また、花留めに栄螺の唐銅蓋置をお使いで、こういうところにも小堀遠州流の宗圓宗匠のような円熟味を感じました。

 

 何よりすごいのは家元も箱書などを言われないこと。他流にとっては他流の家元のことなど、どうでもいいことですからね。

 

 お耳が遠くていらっしゃるので、少々問答はすれ違ってしまいましたが、一つ一つの道具を丁寧にご紹介くださいました。

 

 できれば会記だけでも写真に収めておきたかったですがスマホは茶室に持ち込まないことを徹底しているので、そんなチャンスもなく、部屋を辞しました。

 

 その後、京王デパート(新宿店)のますいわ屋さんにキャンペーンをしているとのことで呼ばれていきましたが、お召と紬しかなく、「茶道をしているのでこれはちょっとねぇ」と米沢の袴を探してほしい旨をお伝えして、茶道具売り場に。

 

 

 

 千華さんはここのところお付き合いしております茶道具店で、ガラスの若手作家さんを呼んで合同展をされておりましたが、やはり伝統工芸士や茶道を習っている方でないと茶道具を作るのは難しいですね。

 

 色々と意見を述べました。

 

 すると、宗靜先生が、小棗を前に唸っております。

 

 あーーーーーこれは動けなくなるわ。。。。というような品物でした。

 

「連れて帰りましょう!」と即決。

 

 作家とかはきちんと把握しておりませんが、見事な籠小棗です。

 

 蓋裏の蒔絵など、私や母の好みで、包帛紗で濃茶器として使うこともできるでしょう。小棗は濃茶器ですが、二服点てなら薄茶に使っても問題ないかとも思います。

 

※当流は蒔絵の棗でも濃茶に用いる流派なので

 

 ひとまず取り置きを頼んで、支払いの算段をすることにいたしまして、帰宅しました。

 月桑茶道教室では、随時お弟子さんを募集しております。
 
■月桑庵の特徴
点前偏重はしない
 月桑庵のモットーは「主客を大事にする」です。
 主客というのは「亭主=点前をする人」と「正客=連客の中で一番上座に座る人」のことです。
 
 点前偏重というのは、お茶を点てることばかり教えて、お客さんとしての振る舞いとか、道具の由来や掛軸の意味、お菓子の種類と食べ方などを教えないということです。
 
 慣れてくれば正客の稽古もできますし、さらには御詰め(末席のお客さん)の稽古もできます♪
 
 月桑庵はそういうところを大事にしています。


 多くの教室は、免状や許状などをとることを主眼にしていますが、月桑庵はそういう点を重視しません(急がれる方は特訓しますけど)。しかし、自分で恥を掻いて覚えるものよ!という言い方もしません。
 
 

先生の点前が毎月見られる
 そして、毎月「お茶会へ行こう」を開いておりますので、私の点前を見ることができます。


 普通の教室ではだいたい年に1~2回見せていただければ多い方などという話を聞きますが、下手をすると、先生の点前など見せてもらえないなんてお教室の方が多いらしいです。
 
 ですが、月桑庵では毎月薄茶と濃茶の点前を私がさせていただいております。


 自分と何が違うのか、よーく見ていてください。
 
 

お茶の雑学が学べる
 私がいろんな流派に関心があって、歴史が好きで、道具の由来が大好きなので、いろんなお話をいたします。道具組みのお話もいっぱいいたしますよ。

 
 
■都流って?

 当流は「表千家都流茶道」が正式な名前です。


 でも、表千家と名乗りながらも、表千家さんからの分流ではありません。


 家元先生は「荒木宗仙」とおっしゃいまして、信長に叛旗を翻した戦国武将として有名な「荒木村重」の子孫にあたります。直系ではないそうですが(荒木村重の三男の家系のようです)、家伝として茶道が伝わってきたとか(お寺に)。

 荒木村重は、信長に仕えていたころから「数寄者」でありましたが、信長の死後、大阪に戻って利休に師事して千家の茶を学びました。利休十哲にも数えられるほどの数寄者でした。茶名は「道薫」といいます。

 大正時代になって、『広く大衆に弘めたい』と発起され、上京し、流派を興したそうです。



■稽古日
 土曜日教室/内田宗地
  第二土曜日、第三土曜日、第四土曜日
  第一日曜日、第二日曜日、第三日曜日、第四日曜日

  祝日から2回
  お茶会へ行こう・お茶事へ行こうの日はお稽古なし

  お茶会へ行こうの前日は準備を手伝う人だけ稽古あり

  お茶事へ行こうの前日は稽古なし

 その他平日・祝日についてはご相談ください。
 

■料金
 月謝制
 入会金/一カ月
 5,000円+

「お茶会へ行こう」または「お茶事へ行こう」の参加費は別途頂きます。

・その他
 水屋料 1000円/回または2000円/月

 ※水屋料は奥伝以上より頂きます。

 ※水屋料とは道具の片付け方やメンテナンス方法の教授と水屋道具、消耗品の使用料です。


 薪料   1000円/都度

 ※薪料は炭点前をするときだけです。


 中元・歳暮 年二回(1ヵ月分の月謝と同額)
 初釜   別途
 流茶会(年一回) 別途
 教授会(年一回) 別途

 点前料 5000円(お茶会の際に点前をする際にいただきます)
 ※演奏会などのエントリーフィーみたいなものです。

 ※学生は割引があります。




■内容
 点前は、三千家と似ているようで違い、武家茶とも異なる茶道は、古流に近い流れを持ちます。丁度、古流から利休を経たのち、古田織部が武家茶を確立させる前の手であることが解ります(荒木道薫は利休十哲の一人。直伝されているとされます)。

 特徴としては、裏千家と同じようなふっくらとした泡立ちの薄茶と、棚物に飾り残しをしないこと、宗旦以後の棚物については使ってもいいことになっていますが、原則として邪道とすることです(邪道とは数寄であって本道ではないということです)。

 月桑茶道教室は内田宗靜(母)と内田宗地(私・男)の二人で教えております。男の点前と女の点前とが教われます。

 茶道を習われる方には着付けを無料でお教えします。

お問い合わせ先
03-3554-4345(自宅)
darkpent■gmail.com(■を@に替えて送信してください)

 板橋区茶華道連盟の理事長の代理で、渋谷区のお茶会へ伺いました。

 

 連日の茶会とは光栄の至り。この日は母も大宮先生の代理で、同行しました。

 

 広尾祥雲寺は、以前から何度も伺ったことがありますが、この日は岩崎和尚も楠先生もいらっしゃらないので(当たり前ですが)、新しいところに出向く気持ちで少しだけワクワクしながら参りました。

 

 恵比寿からタクシーをつかって、祥雲寺へ。

 

 門の前の商店街を通り、中へ……といっても、まださらに中に道があります。

 

 香林禅院などの塔頭があるからですね。

 

 受付を済ませ、招待客の応接室に入ると(以前、岩崎和尚の初釜で点心を頂いた部屋です)、すぐに御席に入れます!とのことで、身支度を大慌てで案内されるまま、入りました。

 

 入った部屋は立礼。

 

 御園棚があったので、「?」となりましたが、慥か表書きには「表千家」と有ったように思ったからです。

 

 

 御園棚というのは裏千家さんの野点用立礼棚ですので、表千家の方がお使いになるのは珍しいのです。お話を伺うと、祥雲寺の常什とのことで、「なるほど!そりゃそうだよな」と。他流の棚も使ってもいい、というのはその通りなので、あるものは使いましょうの精神、大事ですね。

 

 水指は真葛の葡萄染付平水指。御園棚よりもこちらの方に目が惹かれるので、あまり気にならないということもありました。

 お席主さまが、「何度も断ったのだけれど、そういえばこれがあったと思い出して受けました」というだけあり、非常にいい品物でした。さすが真葛窯ですね。手は先代のものかと思います。

 

 ちょっとお茶が熱く、冷まし冷まし飲まなければならなかったのですが、熱さの割に渋みがでておらず、上手な方がお点前してくださったのだなーと。

 

 花入が、籠に拭き漆を施した野点用の可愛らしい手付で、秋らしい花が楚々と入れられておりました。

 

 長細くコの字形に連客が並んでおり、一つ一つ違う茶盌をお出しされていたので、ご説明に席主が動かれてしまい、ちょっと問答をするのが難しかったですが、連客さんは、近くで席主の説明を聞けて楽しかったかもしれません。

 

 太閤窯の小西平内作の赤楽がとても素晴らしい出来でした。私もこの方の馬盥を持っているんですが、並べてみたくなるほど。

 

 連日、勉強になるなぁ、と思いつつ、部屋を辞しました。

 

 

 

 次は立礼席。表千家看月庵の磯野碩昌先生が御席主です。

 

 入ってすぐに「え!?」と思ったのは、立礼卓の上に「棚が載っている」こと。

 

このタイプの立礼卓の右側に

 

 

 

 三木町棚が載ってるんですよ。

 看月庵では「江岑棚」と呼ぶのだそうですが、一般的には背の高い方が「三木町棚」、背の低いほうが「江岑棚」といいます。

 

 いやぁ、立礼卓に棚載せるんだーと思いましてお尋ねしたところ「ウチではいつもやるんですよ」とのこと。

 

 

 こういう畳の立礼卓なら分かるんですが、初体験で、面白かったです。

 

 表千家看月庵は、如心斎の門人・中村宗鷗を祖とする流派で、宗鷗は別名・仙悦。

 五代・中村碩鷗が中興し、碩鷗棚という三木町棚にもう一段棚が付いたような小棚があります。

 

 碩鴎棚は三重棚、二重棚、江岑棚(三木町棚)、米棚など複数の棚の稽古ができるように考案された小棚で、米棚を使うことから江戸千家との交流があったと思われますね(そもそも、初代が不白と同門)。

 

 色々ご質問いたしましたら、流儀の歴史を教えて下さいました。途中途絶したこともあったようですが(戦争で焼けてしまって)、お弟子さんたちが呼び戻されて、今のお家元家が続いているのだとか(当代のお家元は席主先生の兄嫁にあたるそうです)。ウチの流派の皆様も、もうちょっと見習っていただいて、お家元家が安心して茶道に邁進できる環境づくりをしませんとね。

 

 こうした流派がなくならないよう、是非お弟子さんが増えていただきたいですね。

 

 水指は胴締めの瓢形と仰っていらっしゃいましたが、どちらかというと繭形。実はこれを繭だと思ったので、花入にはいっていた山葡萄を桑の実じゃないかと勘違いしたんです。花はまだまだ修行の身ですなぁ~。

 お軸や花入など、お家元の物や近しい方のものだそうなのですが、申し訳ないのですがあまりピンと来ず(知らないからなので、もっと勉強します)。

 

 香合の方はいろは歌が書かれているとのことでした。

 

 

 こちらの御席はやはり、立礼卓で棚ものをするということが大きなポイントだったと思います。

 

 これから先、こういう御席が増えても面白いと思うのですよ(正直単に立礼卓だけでの点前は単調でつまらないので)。