令和6年4月27日(土)・28日(日)、護国寺茶寮にて都民の茶会が開かれます。

 

 板橋区茶華道連盟は27日(土)、月窓軒で切田宗順先生がお席持ちです。

 

 私は28日(日)、宗澄庵にて杉並区のお手伝い(笑)で、点前の予定です。

 

 28日(日)の宗澄庵は諸流席となっていて、皆さんのご存知ない流派の方が点前されるかも知れませんよ!(笑)

 

 ・都千家 小笠原宗誉

 ・日本茶道塾 岡田幸造

 ・都流 内田宗地

 

 ほかにも裏千家の鎌倉彫の方などもいらっしゃいます(まだ全員と顔合わせしてないのですが)。

八重咲きの 黒と見紛ふ 蕾なれど
咲かば斑入りの 錦重よ 月誧

#短歌 #和歌 #花を見たら歌を詠む #椿 #錦重 #茶花 #斑入り #赤蝦夷の変種


 実はウチの錦重は斑入りが咲く方が珍しく(笑) 毎年ほぼ赤蝦夷が咲いてました。

八重咲きなので口が開いたら使えないのが悲しいですなぁ。

さて、三席目。

 

長蛇の列だったので無理だろうな……と思いつつ、不昧軒に行くとなんと整理券の配布が終了とのこと。

 

後から会記を拝見すると、ああ、こりゃ人集りになる筈だと思いました。

 

その時は諦めて「石州流伊佐派さんに入れてもらえたらラッキーということで」と、艸雷庵へ。

 

すると柳営会の監事さんたちがお手伝いで整理券を配ってらっしゃるのですが、三十分ほどあとに配布されるとのことで、しばらく待ちまして、その間に正木さまにお名刺をいただきました♪

 

 正木という名字を聞いたらピンっとくる人もいらっしゃるかと思いますが、三浦氏族の安房正木氏の方ですね。

 

 旗本として仕えたのは正木康長で、康長は正木時忠の五男・頼忠の四男。時忠は三浦氏の後裔・正木通綱(時綱)の子で、兄時茂は大喜多正木氏として里見氏の重鎮であったが、時忠は勝浦に割拠して兄の死後自立を目指し、北条氏と里見氏の仲介をするなどしている。

 

 最終的には里見氏に帰参したらしく、それでもなお幕府と直接の繋がりを持つなどの独自性は担保していた。

 

 頼忠は娘が家康公の側室・於万の方で、将軍家への出仕を求められたが固辞し、次男の為春が出仕した。紀州徳川家に仕え、三浦長門守を名乗って代々家老を務めている。

 

 康長は旗本となり武蔵国で七百石の知行を得ている。左近家を興す。旗本・大久保忠当(大久保忠俊の孫・大久保忠世の甥)の三男を養子に迎え、三代・住成、四代・康度、五代・康村と続き、六代は朝比奈泰尚の四男を迎え、康恒を名乗る。長男・康納が先に歿したため、三男・康満が七代となる。

 

 この系統の方ですかね?

 

 整理券を頂きまして、先にお昼を頂きましょうということで、忠霊堂へ。

 

 さて、食事を終えまして(忠霊堂では「都千家云々」という話が聞こえてきましたが、私は【都流】なので違うだろうと敢えて断定して)、艸雷庵へ。

 

 艸雷庵というのは「蕾」という字を分解したもので、裏千家の女流茶人・堀越宗円の寄進による茶室。宗円が創設した蕾会の「蕾」の一字を分けて命名された茶室で、四畳半台目の本席と六畳台目の隅炉席、それに立礼ができる箒庵堂という構成です。ちなみに躙口もありますし、単独で濃茶席と薄茶席と待合とをできるので、茶事も一つで可能です。

 

 当日使われたのは、箒庵堂。ここは高橋箒庵を祀っているということで、箒庵堂の名前があります。

 

 待合は小林太玄和尚の「絆」。

 本席は高田好胤老師の「和」。

 

 正客を決めないのだな―?と思っていたら、どんどん案内するので、まぁいいっかと最後の方に入りました。お詰めに座り、一番先に入った方が正客になる流れ。案の定「えええ!?」という顔をされたので、これは、助け舟が要るなぁと思い、席主さんにお詰めが話を聞くという変な流れに(苦笑)

 

 ところが連客さんがうるさい。

 小声でお話になられるのはいいのですが、うるさい。

 声が大きいのです。

 

 これには同行した宗歌先生が「宗地先生のお話が聞こえない」と後で嘆かれて居られました。

 

 立礼卓は、長野県栄村の木で作られた立礼卓で、これは同じものを作るのは難しいでしょうねぇ。

 建水台が二重棚になっており、下板の上に次茶盌や替茶盌を置いておけるというのはいいですね。

 

 釜は塔景山水の八角釜で、おそらく瀟湘八景ではないかと。

 

 日本の近江八景はこの瀟湘八景を元に考えられたものだと思いますが、八角釜は家伝のもので、あまり詳しくわからないのだとか。

 

 水指は古瀬戸(こせと)の四方形。こちらも家伝のもの。

 茶杓は半々庵・伊佐幸琢のもの。

 棗は松平不昧公在判の利休大棗で、桐蒔絵。

 

 茶盌は揃いの馬上杯茶盌。こちらは日展作家の鎌田窯・境信夫氏の作品。須坂市坂田町で父子で陶芸をされている同氏。ざんぐりとした土味の強い器に、やや重ための質感。そこに自然灰の溶けたようなビードロ状の釉景が一つ一つ違っていて、面白いですね。

 

 平和=日常が保たれていることということを意識されての道具組みだという席主の思いが強いお席でした。

 

 竹花入が石州作で、なんでも事故?で割れてしまい、黒漆で埋めて鎹で直したものだそうです。

 ウチにも直したい花入があるので、どこに出されたのかお聞きすればよかったなぁ。

 

 飴色の竹花入は煤竹ではなく経年によるものだと思いますが、その歴史の積み重ねが現れており、すっと立った、利休回帰を唱えた石州らしい飾りのない素朴さを持った花入れでした(形は一重口)。

 小堀遠州流さんが終わりまして、あと2席、先に回りたいのは濃茶です。となると、平戸藩松浦家鎮信流さんなのですが、長蛇の列で、私たちが入りたい席の券の配布まで1時間近くあり、この日はどうしても御家流さんに伺わなくてはならない用事がありましたので、先にそれを済ませましょう!ということで、月窓軒へ。

 

 松平さまにご挨拶いたしまして、列に並びます。既に大勢さまが並んでおいででしたので、これはどなたかがお正客をされるかな?と思ったのですが、入口付近でなにやら揉めています。すると迎付の方が「どなたかお正客様をお願いします」と声を掛けられているのに対して

 

「後から来ますから」

 

 と、連客になられる方がお答えになってらっしゃるのが聴こえて参りました。心の中で(いやいや、たまには他の方のお正客振りも拝見したいですよ)と贅沢なことを言ってましたが、迎付の方に「お上がりください」と促され、上がらせていただきました。

 

 この辺りの遣り取りは他の方だと二度は断るものと仰られることもあるかと思いますが、本来の茶事からすると予め決まっているものなので「お願いするいて、頼まれたらお引き受けすることにしています。

 

 大寄せはタイムスケジュールがある程度ありますから、その押し問答の時間は席中の道具の問答にしたいですよね!

 

 しかも、会記に書いてあるような上っ面なことではなくて、もっと深い道具の物語を汲むような問答をした方が連客さまにも喜ばれる筈なのです(どうでもいい人もいるかもですが)。

 

 さて、この日の掛物は、遠坂文雍筆の雷鳥図。遠坂文雍は、江戸後期の南画家で、谷文晁の門下。田安徳川家に仕えた絵師で、ここに柳営との関係があったんですね。次男・仲雍、孫・文岱と三代続いた絵師の初代になります。

 

 雷鳥図は堀田摂津守が描いた絵を、遠坂文雍が写したものだそうです。堀田摂津守というのは、堀田正敦のことで、伊達宗村の八男で、堀田正富の婿養子となり、堀田摂州家を継いで藩主となりましたが、仙台藩の跡目を大甥の乳児であった周宗が継ぐと、これの後見人となり、仙台藩の相談役のように面倒を見たそうです。

 ※伊達宗村は伊達政宗――忠宗――宗房――吉村――宗村と続く仙台藩六代藩主。政宗の玄孫になります。吉村・宗村父子は和歌に造詣が深く、文化人でした。

 

 大変、鳥類の図を能くされた方で、和歌を中心とした文教振興策を幕政で行ったり、『堀田擒譜』と呼ばれる図譜を編纂。『寛政重修諸家譜』の編纂にも携わったそうです。

 

 脇書院には信成公に献上された雷鳥の番の剥製が飾られており、遠坂文雍ひいては堀田正敦の筆の正確さを引き立てていらっしゃいました。


 雷鳥は夏に白から雄は白黒、雌は白黒茶の斑模様になるそうで、剥製の方は春の雷鳥で真白でした。


 後白河院の


しら山の 松の木陰に かくろひて

やすらにすめる らいの鳥かな


 が、さらりと言えるほどの人物になりたいですね!

 

 花入は元時代の青磁で鯱耳。千家ではいわゆる砧青磁の名で知られる龍泉窯の青磁瓶です。どちらかというと飯田市美術館にある天龍寺青磁に近いとされるものと同手ではないかと。

 

 花は加茂本阿弥椿の蕾が大きく今にも咲きそうなほどでした。

 

 香盒は梵字で、底に二葉葵があって、将軍家への敬意を添えられたようです。

 

 琵琶床には、安藤家の軍配と二条家ゆかりの大三方だそうですが、長柄銚子のように見えます。あとは重そうな金属製で龍を象った如意が長柄を支えており、辰年だからかなー?などと拝見しておりました。

 

 風炉先は徳雲寺の古材に葵の御紋。棚は長板で、安南染付の龍文が据えられていて、こちらは梅塁座の耳付きとのこと。

 普通は一つポッチの塁座が、6つの星で構成されていて、華やかでした。ひょいっと覗くと水指の中に釉切れがあり、竜の尾のようにも見えます。旧暦二月八日ですから月の花は梅。干支が龍ですのでとてもピッタリのお道具ですね。

 

 炉椽は安藤稲荷のなぐり門の古材だそうで、表面を溜塗にしているので、パッと見だと、気付かないかもしれませんが、炉椽の内側が歪んでいて、とってもやつれたいい雰囲気になっています。

 

 釜は大西浄久の筋釜で、炉椽と合わさってとても渋い。全体の雰囲気の中で重しになって、華やかさをさらに引き立てているのがわかります。

 

 会が始まると目をうばわれたのは菓子器の大皿で、色絵獅子図大皿に黄身時雨が乗っていまして、この黄身時雨がしっとりとしているのにポロポロとおちることなく、さらに口の中でほろほろと溶けていく淡雪のよう。こんな美味しい黄身しぐれは今まで食べたことがありません。三田にある伊勢大掾大坂家(秋色庵大坂家)さんのものだとか

 

 

 是非みなさまも食してみてください。

 

  お菓子になると綾信公が3度褒められてあげてしまったという菓子帳の話が出ますが「3回褒めてはいけません」という名言ですね(笑)

 

 茶器は葵紋が散らされた平棗で、安藤家と将軍家の繋がりの強さが看て取れるお道具ですね。

 

 茶杓は十二代信勇公が削りかけのままにしておいたものを、先代故綾信公が仕上げた「削りか希(けずりかけ)」という御銘の茶杓。お心持ち的にはきっと三斎公の「けつりそこない」を思われてのことなのではないかと思いました。

 

 茶盌は高麗青磁。

 雰囲気は珠光青磁です。やや俵形のように縦細く歪んでいて、案外飲みやすいです。

 軽く、やや黄色みがかったくすんだ青磁の色が、侘びた雰囲気を醸しています。もちろん唐物です。

 

 替茶盌は安南染付絞手。見込みに蛇の目の釉切れのある何度も見たことが有る茶盌ですが、この茶盌大好きなんです! いい茶盌なんですよ! また会えて幸せです。

 

 三客盌は細川護光氏の信楽。 上手でしたよ!

 

 蓋置は時代の穂屋。穂屋は火屋とも火舎とも書きますが、造形の細かさ(針金掻き)の表情から、江戸初期の新渡ではないかと思います。

 

 泪(建水)には、平戸白磁と横石嘉助のものであるとおっしゃってました。

 

 会が終わりまして、綾冠さまに、ご挨拶と綾信公に育てていただいた御恩を感謝し、部屋を辞しました。