本日は旧暦三月一日、弥生朔日です。

 旧暦一月から始まった春も今月で終わりを迎えます。

 弥生は草木が生い茂る意味の「木草弥や生ひ月」が短くなったものと考えられるそうです。

 晩春、季春ともいい、春の最後の月です。

 

 さて、弥生の別名というと

 

 桜月【さくらつき・さくらづき】
 桜の咲く月だから

 

 

 雛月【 ひいなつき】
 三月三日がひな祭りなので

 早花咲月【 さはなさづき・さはなさきつき】
 早咲きの花が咲く月の意味

 夢見月【ゆめみづき】

 夢見草(桜の別名)が咲き始める事から「夢見月」と言われています。


 染色月【しめいろづき】
 不詳

 
 嘉月【かげつ】
 花月の字替えと思われます。

 花月【かげつ】
 花は桜のこと。桜の季節の月の意味。

 花津月【はなつつき】
 津は「の」の意味。花月に同じ。

 

 花見月【はなみつき・はなみづき】
 花は桜のこと。花見をする月。

 

 春惜月【はるおしみづき】

 旧暦では春の終わる季節のため。

 

 暮春【ぼしゅん】

 旧暦では春の終わる季節のため。

 

 建辰月【けんしんづき】

 「建」の文字は北斗七星の柄を意味し、その柄が旧暦で辰の方位を向くため。

 

 蚕月【さんげつ】

 旧暦三月は蚕を飼い始める時期であるため。

 

 宿月【しゅくげつ】

 不詳

 桃月【とうげつ】

 桃の花の咲く月の意。

 

 まだまだありますが、この辺で♪

 最後のお席は不昧軒です。

 

 ここは、髙橋箒庵が松平不昧公の墓の移築に伴って圓成庵とともに普請した十畳広間の茶室で、棟梁は仰木魯堂。圓成庵と二つで一つの建物になっています。不昧公に肖って名付けられたこの茶室は一間床と三尺の琵琶床が特徴で、とても広いです。

 

 群馬支部の塩原宗清先生がお席主と書かれています。前橋の方だそうで、小堀遠州流さんと前橋はゆかりがあったのかも?

 お席主さんに「わが家も川越厩橋藩松平家に仕えた家なのですよ~」というと「何という巡り会わせでしょう!」と喜んでくださいました。

 

 この席は、それまで正客をなさっていた方が「ゆっくりしたいので、正客は他の方に」とのことで、大変恐縮ではありますが、高上りさせていただきました。

 

 床で目を引くのは、水仙の画。水仙の説明のような賛がついていて、ほほぅと思っていたのですが、ひょいと出てきた蓋置にも水仙が「まるで床から抜け出してきたようですね」と述べますと、なんと、先に決まっていたのはこの蓋置だとか。

 

 こちらは、宗圓宗匠喜寿祝の品だそうで、これをどうしても使いたいと席主さんが宗圓宗匠に申し上げたところ、このお軸をだしてくださったと。私は軸から蓋置がでてきたといいましたが、逆で、蓋置がお軸を呼んでくれたというお話でした。席主としてはこの話をしたかったらしく、なかなかそこに触れていただけなかったのが残念だったようです。

 

 青磁の雲鶴と朱塗の冠棚がとてもマッチしていて、水仙を引き立てます。

 ツバキで作られたという炉椽は遠州本形というのだそうですが、触れてみたくなるような艶というか古めかしさ(時代物ではないので古いわけはないのですが)を持っていました。

 

 棗は長棗のような形をした七宝蒔絵。銅に帯のような感じで七宝蒔絵が施されています。棚に乗っているときはまるで冠の巾子のようであり(冠の上に突き出たところ)、下す時の動きは纓(えい)のようでした。※纓は冠の後ろにびょーんと弧を描いて伸びている部分

 

 茶盌は 主茶盌は十代長岡空処、飲みやすく掌にすっぽりと収まるいい器でした。

 次客は当代松林豊斎の作。この方は百年もしたら名匠として名を馳せるんじゃないかなー?と思っている人の一人です。花の咲き方がとても好きな器でした。

 

 茶杓は桃花紅という御銘で、不勉強故よくわかってなかったのですが、「紅色の中に緑色が発現している釉景」のものを指すそうで、柳緑花紅と言っていいのか?と思いきや、この単語は「和訳」で、英語の「Peach-bloom glaze」の直訳だそうですよ。

https://abc0120.net/words03/imagesbig/abc2010032204.jpg

写真をお借りしました。
なるほど、こういう色ですか。

 

 桃の花が咲く旧暦の二月中旬(二月十五日でしたので)でしたから、丁度よい茶杓だったのですね!

 こちらは、小堀宗通宗匠(先代)が萩の竹を以て作ったものだそうです。

 

 こういう銘のつけ方もとても参考になります。

 

 新暦の桃の節供は過ぎましたが、旧暦の桃の節供はまだということで、琵琶床に貝合わせを置かれておられました。

 

 ちなみに花入は青銅の鼎で、なんとも荘厳な雰囲気を醸していました。

 九鼎ってこんな形をしていたのかなー?なんて見当はずれの空想をしながら、帰途に就きました。

 

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「抹茶は甘い飲み物です」

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 お抹茶に抱くイメージってどんなものがありますか?
 お茶会ってどんなところでしょ?
 茶道ってどんなことしてるんでしょ?

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 実は、お茶会って愉(たの)しいところなんです!

 一般的なイメージだとしゃべっちゃいけないみたいな感じですかね?

 でも、本当はそんなことなくて、正客と亭主の会話の邪魔をしなければ、話していいんですよ。雑談はダメですけどネ(笑)

 そして、抹茶はとても甘い物なんです。

 苦い抹茶は「安い抹茶」とか「点てる人が下手」ということ。上手な人は甘い抹茶を点てられます。

 さらに、自分たちだけのために用意された小さな美術館として、日本の伝統工芸に身近に触れられます。陶器、漆器、指物、竹工、金工、羽細工、鋳物、織物、染物、建築、造園、書や香などが所せましとそこにあります。

 そして着物で出掛ける場所としてこれほど相応しい場所もありません。

 月桑茶道教室では、そうしたお茶会へ行くための心構えや喫(の)み方、お菓子の頂き方など、様々なシチュエーションで体験いただけます。

 ご興味ございましたら是非お出掛けください(*˘︶˘*).。.:*♡

 コロナ対策は手洗いの徹底、マスクの着用にて各自お願いいたします。当日発熱の方はご参加をお断りすることがございます。予めご了承ください。
 

 4月21日は旧暦三月十三日、大分過ぎていますが上巳の節供(ひな祭り)の設えにておもてなしいたします。

 会終了後はおしのぎに【季節の松花堂弁当】がございます。

 お時間の許す方はお召し上がりくださいm(_ _)m

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 濃茶 
 薄茶


 定員5名(別途手伝い枠3名)
 

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■日時
 令和6年4月21日(日)
 濃茶:13:00~14:30
 薄茶:15:00~16:30
 

 開始15分前までにお越しください。
 時間はあくまで目安です。時間通りに終わるとは限りませんのでご理解ください。
 茶事終了後、お時間のある方はお残りください。簡単な酒席がございます。
 

※濃茶【こいちゃ】
 本来のお茶。一般的に思い浮かべる抹茶よりもどろっとして濃い抹茶。菓子は上生菓子を添える。
 

※薄茶【うすちゃ】
 一般的に抹茶といわれると思い浮かべる抹茶。菓子は干菓子または半生菓子を三種以上添える。
 大寄せでは上生菓子にてお出しすることも多いです(笑) 
 

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■会費
 5000円(濃茶・薄茶)
 会費は当日封筒に入れてお出しください。
 

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■参加方法
下記予約ボタンより予約をお願いいたします。

 

STORES 予約 から予約する


■申し込み締め切り
 定員になり次第募集終了です。
 また、菓子の都合もありますので、一週間前には締め切らせていただきます。ご注意ください。
 加えて、キャンセルもそれまでの受付とさせていただきます。キャンセル料は全額お支払いいただきますので、ご了承ください。


■ご新規さまへのお願い
 当日キャンセル後、ご連絡取れない方が多いため、ご新規さまにつきまして会費の事前振込をお願いすることになりました。何卒ご協力おねがいいたします。


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■服装
 洋装OKです。
 ただし、できるだけゆったりとした【外出着】でお越しください。ジーンズやミニスカートはお控えください(できるだけ膝丈より長いもの)。カジュアルすぎる物はお避け下さい。
 男性は七分裾などの短いものはNGです。
 また、当会はお稽古会ですので、お着物の場合は小紋、浴衣、絣など普段着や紬などの普段着・お洒落着(無紋の訪問着)でOKです。
※通常のお茶会は色無地紋付以上の礼装となります。

 

■ご用意いただくもの
・懐紙【かいし】
 お菓子を頂いたりする際に用います。
 

・菓子切り【かしきり】
 菓子を着る金属や竹などでできた楊枝です。金楊枝ともいいます。
 

・扇子【せんす】
 茶道用の扇子です。礼をする際などに必要です。五寸、五寸五分、六寸、六寸五分があります。
 

・帛紗【ふくさ】
 茶道用の帛紗。点前をする際に亭主が腰につけ、道具を清めるのに用います。
 ※習われている方以外は不要です。
 

・小帛紗【こぶくさ】または出し帛紗【だしぶくさ】など
 茶盌(ちゃわん)が熱いときや道具を拝見する際に用います。濃茶には必須です。
 ※お貸しいたします。
 

 以上のものにつきましては、
 ・薄茶席の方はできるだけお持ちください。
 ・濃茶席の方はお持ちください。
※ご用意のない場合はお貸しいたします(未経験の方)。
 

・替え白足袋または白靴下
 足袋カバーをお脱ぎいただいても構いません。洋装の方は履き替えていただきますので、必ずご持参ください。
 

・封筒
 会費は封筒に入れてお名前をお書き添えの上、ご持参ください

 本日は旧暦二月二十八日。

 

 利休を祖とする三千家では利休忌が行われます……といっても、表千家は新暦3月27日、裏千家と武者小路千家は新暦3月28日に追善供養を済ませています。

 あくまで、旧暦でする方(私みたいに?)向けのご案内ということにしてください(笑)

 三千家では、利休坐像遺偈賛の掛軸に、楽焼の三具足(香炉、華瓶、燭台)と供茶茶盌、盛物台を用いるようになっています(これでなければならないということではないようです)。
 
 道具については過去に記事にしていますので、参照いただくとして(【道具】三具足のこと)、利休忌=利休の命日――すなわち、利休の死について話したいと思います。

 利休の死は切腹という「武人が身の潔白を証明する死に方」で行われています。
 これは当時、大変名誉なことであり、家名を重んじる傾向にある武家では、家名存続のための大きな手段になっていきます。

 そもそも、秀吉の派手好みと利休の侘び好みの対立ということが示唆されている訳ですが、秀吉は現実的に批判をされた山上宗二を斬首させていますが、利休は批判をせず、秀吉の好みを取り入れて新しい美を造り続けて行きます。つまり、ここには対立構造というよりも、パトロンの要望の上を行く芸術家としての利休が見えてくるだけであり、さして切腹の理由にはなりません。

 そもそも切腹とはどの程度の罪に対して行われるものなのでしょうか。
 江戸時代においては武家にのみ許された死に方で、主君から命ぜられて自らの行いによって罪を贖うということが含まれています。つまり「嫌疑による罪を腹を裂いて潔白を証明する」という意味になります。

 つまり、利休はなんらかの「嫌疑」を掛けられていたということになります。
 表向きの理由は、どうであれ、実際には嫌疑を掛けられていたが証拠はなく、秀吉はこれを赦すために切腹を申し付けた……とするのが、最も自然な落着であるように感じます。

 その嫌疑とはなんでしょうか?
 おそらくは「次の天下人」のことであったのではないかと。
 この頃の大名は茶の湯をしない者は「風流を解さぬ品のない者」として蔑まされていた部分があります。これに反発していたのが石田三成や上杉景勝です。とはいっても、上杉家は前田慶次を雇い入れるなどの傾奇を解する大名で、風流を解さぬとは思われていません。つまり、石田三成とそれ以外の人たちの対立ということになります。

 いわゆる文治派と武断派の対立です。
 この両方を抑えていたのが羽柴秀長でした。そして、利休を庇護していたのも実は秀長です。この秀長が亡くなってしまい、後ろ盾を失った利休は政争に巻き込まれ、石田三成ら文治派から糾弾されたというのが、私の見方です。

 次の天下人に秀頼を就けたい秀吉と、そこに付け込み官僚体制を敷きたい三成、大名となった子飼いの武断派たちは自らの手で秀頼を守ろうとする。つまり「豊臣体制をどういう手段で維持するか?」という対立です。そして、武断派と打倒豊臣体制の筆頭格である家康を結びつけないためには「利休を排除する」ことが三成らによって画策されたのではないでしょうか。

 それは結果として、秀吉麾下の子飼いである武断派が利休の弟子とつながっており、こぞって家康に接近してしまうことになり、豊臣体制が崩壊していく訳ですが、それこそが三成と対立した家康の狙いであったのではないかと考えます。

 いずれにせよ、利休の切腹は「謎だらけ」です。
 是非、利休忌にちなんで、皆さんで謎に挑んでみていただきたいですね。

 私自身はこれにある程度、腑に落ちた仮説を立てているので、小説『数寄の長者~戦国茶湯物語~』で披露したいと思います。

 寄付が牡丹の間で、楓の間が本席……普通逆じゃね?(笑)

 

 いや、面白いから有りなんですが、実際には牡丹が夏の季語(初夏)で、楓が秋の季語(晩秋)ですので、春には合致しないんですけど。護国寺の月光殿にある書院は、楓の間が新書院(八畳+八畳)、牡丹の間が小書院(十畳+控えの間四畳)という違いがあります。

 

 大玄関や牡丹の間は、もとは東京麻布の鍋島藩邸にあったもので、月光殿と同じ機に移築されたものだそうです。

 

 楓の間は、実は炉が2箇所切られていて、2つの部屋として使うことも可能な書院です。四畳半の立ち水屋、六畳の控えの間があり、大寄せのための人数が待機できるスペースがあります。

 

 床は、泉福寺の装飾経切で、法要に合わせて選ばれたのだそうで、寄付が遠州公辞世の書捨文一対(十四代宗忠筆)でしたし、どちらもかなり格調高い掛物です。

 

 圧倒されてしまう存在感。

 

 花入は柳営会のときとは違って東大寺転害門古材。

 香盒は青磁の布袋唐子遊び文。

 

 炉椽には龍光院祖堂(遠州公)の古材とのことで、花入とは古材つながり。

 

 釜は芦屋の霰真形。芦屋は真形ですからね。いい釜でしたよ~。

 円窓に竹梅文で、摘みが松になってました。

 

 風炉先も東大寺の古材。

 

 棚は、中央卓。

 かなり大振りな香炉卓で、青貝で楼閣を描いた山水文です。

 これはかなり細かく、素晴らしい品。

 

 水指は染付の竹。みずみずしさを感じさせます。

 

 茶入は紹鴎好の丸棗(飾)。

 日の丸棗とはちがってちょっとぼってりした感じが愛らしさを感じさせます。

 香道を嗜んだ紹鴎の好みがなんとなく見えてきます。紹鴎袋棚と合わせてもよさそうなぼってり感は、春慶塗に映えそうです。

 

 高麗粉吹(粉引)の茶盌は「茶[石完]」と書かれており、遅桜の銘。

 流石歌銘のお家柄。初花に遅桜。完璧。

 

 茶杓は初瀬山。こもりくの~を枕詞とする奈良の初瀬(泊瀬)の山です。しかも遠州公の茶杓。

 これ写したい。

 

 菓子器が「楪子」で、少し驚きました。

 いや、かなり大きい楪子だったので。

 

 なるほどなー。こういう楪子もあったのか。

 

 ほんと勉強になることだらけでした。

 

 また、お邪魔させていただければと思いつつ、最後の席に回ります。