Threadsを見ていて「守破離は利休が言った」みたいなのが流れてきて、それは利休百首から取られた言葉ではなかったか?と思ったので念のため確認したら、以下のようなnoteを見つけました。

 

 

 ここに書かれている通り利休百首は利休が詠んだ道歌ではありません。しかも、江戸中期以降に流布されたものであり、面白いのは宗旦時代に原本となる屏風が「裏千家にあった」と言われています。

 

 時代は下り、如心斎とその弟子である川上不白の時代に、不白が、不白日記の中に

 

弟子に教るは守、弟子は守を習尽し能成候へば、おのずと自身より破る。離はこの二つを合して離れて、しかも二つを守ることなり(川上不白)

 

 とあります。つまり「破るのは自身」ということになりますね。これは自分の考え方の限界や、固定化した定石といったものであり、過去の自分を超えるという意味であることが改めてわかりました。

 

 そして「離」も規矩から離れてはいけないということであり、守と破から離れてみて、そして両方とも守らなければならないということは「新しい物を見つけなさい」ということであろうと考えます。

 

 

 前に書いた記事がこちらですが、あながち間違ってはいなかったなぁ~という。

 

 何がいいたいかというと、規矩を変えるとか、ルールを破るという意味ではないということですね。

 

 みなさんも一緒に意識を改めませんか?