おそらく書き間違ったのか、内容と写真が違うかだろうとはおもうのですが



こちらの棚物の写真がついている記事には紹鷗袋棚と書かれています。


ですが、この形は私たちがよく知る「利休袋棚」の形です。


溜塗なのか、松木地春慶塗なのか、なかなか美しい棚物です。


コメントしたんですけど、まだ、返事は頂けず、謎は謎のママになっています。

 

 

 この記事で、内穂が「村田珠光の指示で鷹山宗砌が工夫をしたもの」であると書きましたが、こうであるならば、「中茶」の存在が脚光を浴びるのではないか?と考えました。

 

 天目では、現在のようなドロっとした濃茶を喫(の)むのに向いていないんです。

 

 点てるのも難しい。

 

 天目では煉るのが難易度高いですからね。

 

 そして内穂もないとなると、もっとサラサラで、抹茶の量が多い薄茶と濃茶の中間である「中茶」がぴったりとなります。

 

 これは何を表しているかというと、濃茶は珠光が生み出した可能性があるということです。

 

 珠光は天目ではない侘びた唐物茶盌で点てるために内穂のある茶筅を生み出させた訳ですが、これが実は中茶より濃い、濃茶を生み出したのではないか?という推論です。

 

 道具が変われば、点て方も変わる。

 

 点て方が変われば、点てる物も変わるのではないか?

 

 こういうことは考えても埒が明かないことではあるのですけれども、愉しいんですよね。



 本日は冬至です。二十四節気第二十二節気。


 旧暦十一月三日。


 『暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明されています。

 冬至とは、冬が極まり、一年で一番昼が短い日であり「太陽の復活」の日でもあります。

 ちなみに、クリスマスも冬至の祀りであったものが、いつしかキリストの生誕祭へと変わっていったということなんですね。

 冬至といえば、柚子・かぼちゃ。
 冬至に柚子湯へ入ると風邪をひかないと言われ、身体を温める効果のある柚子の効果と柑橘系の香りでゆったりリラックスもいいですね♪
 邪気を払うともいわれ橙などとも同系の意味合いがあるかと。

 かぼちゃを食べるようになったのは「ん」のつくものを食べると運気が上がるという風習によるものだそうです。かぼちゃは「南瓜(なんきん)」ですので、よく食べられるようになったとか。んが二つつくものが好まれるそうで

・南瓜(なんきん)=カボチャ
・蓮根(れんこん)
・人参(にんじん)
・銀杏(ぎんなん)
・金柑(きんかん)
・寒天(かんてん)
・饂飩(うんどん)=うどん

 で、冬至の七種(ななくさ)とも言うそうです。
 さらに言えば、南瓜は夏に穫れる野菜で、陽の食べ物です。冬至は陰の極まる日ですから、陽の食べ物を食べて気を補う訳です。
 
 茶道具では蜜柑水指や阿古陀茶器や阿古陀茶入が活躍するころです。


 そろそろ綿入れの季節ですね。
 旧暦十二月から綿入れを用います(二十四節気では寒の入りから)。
 暖かい恰好の準備をいたしましょうか♪
 
掛軸としては「三冬枯木花」「三冬無暖気」「三冬鉄樹満林華」が相応しいですかね★彡

 

 

 

 

 

 

 

 月桑茶道教室では、随時お弟子さんを募集しております。
 
■月桑庵の特徴
点前偏重はしない
 月桑庵のモットーは「主客を大事にする」です。
 主客というのは「亭主=点前をする人」と「正客=連客の中で一番上座に座る人」のことです。
 
 点前偏重というのは、お茶を点てることばかり教えて、お客さんとしての振る舞いとか、道具の由来や掛軸の意味、お菓子の種類と食べ方などを教えないということです。
 
 慣れてくれば正客の稽古もできますし、さらには御詰め(末席のお客さん)の稽古もできます♪
 
 月桑庵はそういうところを大事にしています。
 多くの教室は、免状や許状などをとることを主眼にしていますが、月桑庵はそういう点を重視しません(急がれる方は特訓しますけど)。しかし、自分で恥を掻いて覚えるものよ!という言い方もしません。
 
 

先生の点前が毎月見られる
 そして、毎月「お茶会へ行こう」を開いておりますので、私の点前を見ることができます。
 普通の教室ではだいたい年に1~2回見せていただければ多い方などという話を聞きますが、下手をすると、先生の点前など見せてもらえないなんてお教室の方が多いらしいです。
 
 ですが、月桑庵では毎月薄茶と濃茶の点前を私がさせていただいております。
 自分と何が違うのか、よーく見ていてください。
 
 

お茶の雑学が学べる
 私がいろんな流派に関心があって、歴史が好きで、道具の由来が大好きなので、いろんなお話をいたします。道具組みのお話もいっぱいいたしますよ。



 ④リモート稽古導入

 遠隔地にいるお弟子さんには、リモート稽古も可能です。お道具は用意していただく必要がありますが、遠くて月に2回通えない!という方でも稽古が出来るようになりました。最低年1回は実地稽古を受けていただきます。

 

 


 
■都流って?

 当流は「表千家都流茶道」が正式な名前です。
 でも、表千家と名乗りながらも、表千家さんからの分流ではありません。
 家元先生は「荒木宗仙」とおっしゃいまして、信長に叛旗を翻した戦国武将として有名な「荒木村重」の子孫にあたります。直系ではないそうですが(荒木村重の三男の家系のようです)、家伝として茶道が伝わってきたとか(お寺に)。

 荒木村重は、信長に仕えていたころから「数寄者」でありましたが、信長の死後、大阪に戻って利休に師事して千家の茶を学びました。利休十哲にも数えられるほどの数寄者でした。茶名は「道薫」といいます。

 大正時代になって、『広く大衆に弘めたい』と発起され、上京し、流派を興したそうです。



■稽古日
 土曜日教室/内田宗地
  第二土曜日、第三土曜日、第四土曜日
  第一日曜日、第二日曜日、第三日曜日、第四日曜日

  祝日から2回
  お茶会へ行こう・お茶事へ行こうの日はお稽古なし

  お茶会へ行こうの前日は準備を手伝う人だけ稽古あり

  お茶事へ行こうの前日は稽古なし

 その他平日・祝日についてはご相談ください。
 

■料金
 月謝制
 入会金/一カ月
 5,000円+

「お茶会へ行こう」または「お茶事へ行こう」の参加費は別途頂きます。

・その他
 水屋料 1000円/回または2000円/月

 ※水屋料は奥伝以上より頂きます。

 ※水屋料とは道具の片付け方やメンテナンス方法の教授と水屋道具、消耗品の使用料です。


 薪料   1000円/都度

 ※薪料は炭点前をするときだけです。


 中元・歳暮 年二回(1ヵ月分の月謝と同額)
 初釜   別途
 流茶会(年一回) 別途
 教授会(年一回) 別途

 点前料 5000円(お茶会の際に点前をする際にいただきます)
 ※演奏会などのエントリーフィーみたいなものです。

 ※学生は割引があります。




■内容
 点前は、三千家と似ているようで違い、武家茶とも異なる茶道は、古流に近い流れを持ちます。丁度、古流から利休を経たのち、古田織部が武家茶を確立させる前の手であることが解ります(荒木道薫は利休十哲の一人。直伝されているとされます)。

 特徴としては、裏千家と同じようなふっくらとした泡立ちの薄茶と、棚物に飾り残しをしないこと、宗旦以後の棚物については使ってもいいことになっていますが、原則として邪道とすることです(邪道とは数寄であって本道ではないということです)。

 月桑茶道教室は内田宗靜(母)と内田宗地(私・男)の二人で教えております。男の点前と女の点前とが教われます。

 茶道を習われる方には着付けを無料でお教えします。

お問い合わせ先
03-3554-4345(自宅)
darkpent■gmail.com(■を@に替えて送信してください)

 本日は霜月朔日。

 

 旧暦十一月一日です。

 そして、二十四節気の大雪でもあります。

 

 霜月というのは「霜降月」が略されたとされています。

 ちなみに新暦の11月は霜月ではありません。あれはカレンダー業界が、和暦の旧月名を新暦に勝手に当てはめて使いだしたのが最初で、Wikipediaなどの記述も書き換えられてしまっていますが、旧月名は「陰暦月の別名」が正解です。

 

 霜月は、仲冬にあたり、別名というか異称ということではありません。

 

 また、神無月の次の季節ですので、「神帰月(かみきづき)」といって、神様が帰ってきたことを祝う月でもあります。「神来月」とも書きます。

 

 神楽月【かぐらづき】⇒冬至に神楽を奉納することが多いことから

 

 雪待月【ゆきまちづき】⇒冬支度をして雪が降るのに備えることが「雪を待っているようである」ことから

 

 建子月【けんしづき】⇒冬至を含む月には北斗七星の柄が真下を向く(子の方角)ことから

 

 辜月【こげつ】⇒辜は「古」+「辛」。罪と同系の成り立ち(罪の旧字は「自」+「辛」)。古は「ふるいかぶと」の意味で、「かたい・ふるい・いにしえ」の意味があります。「辛」は「入れ墨をするための針」の意味で、転じて「つらい」の意味があります。実は旧暦よりも古い暦では「冬至が正月」であったそうなので、辜月は「古い正月」を意味するのかもしれません。

 

 霜見月【しもみづき】⇒霜をよく見かけることから

 

 天正月【てんしょうげつ】⇒冬至が年始だった暦の名残

 

 陽復【ようふく】⇒一陽来復。冬至のこと

 

 竜潜月【りゅうせんげつ】⇒龍潜とは龍が潜んでいるように「英雄・賢人が世に出ないで隠れていること」または「天子がいまだ位に就かないでいること」や、その期間、その人を意味する言葉で、おそらくは冬至で改まった古い暦も、旧暦の正月(春)まではまだ間があることから龍が潜むように日差しが強くならないことを言い表したものかと思います。このあと「寒中」がくることからも、そうではないかと。

 

 さまざまな別名がありますね。

 みなさんも新暦を旧月名で呼ばずに正しい日本語ライフを♪