以前、私は宗教のことを書いた。
私は何も信じる気はしないが、宗教自体の存在や考え方は良いと思う。
心の拠り所・何らかの見返りを求めて・他人とのコミュニケーションのきっかけ...
最近はそんなところだろう。
元々、宗教とは人のために人が考え出したもの。
様々な神・霊・妖怪・妖精。
それは人によって考え出された架空の存在。
・・・では、何の為に?
そういった考えは古代から存在する。
しかし、現代とは大分違ったものが多い。
1つは、自然物が原点となっていること。
それしか身の回りに無かったのだから当然といえば当然だが、太陽や月・星などの神や精霊はどの国の神話にも登場する。
そして、それを信じるのも人それぞれだった。
船乗りや漁師は水や海の神を。
猟師や樵は山や森の神を。
農家は豊穣を司る神を。
兵士は戦を司る神を。
一応、全知全能の神もいたが、それぞれが自分に利益のあるものを信じていた。
そのため、古代人の多くは自然信仰だといえる。
昔の日本も自然信仰が主流だった。
2つめは、教訓としての意味が強かったということだ。
古代の神話の多くでは、神々は現代の昼ドラも真っ青の泥沼のような関係ばかりだった。
騙し合い・裏切り・戦争・愛憎・殺戮。
そこには絶対的な正義など無く、互いに睨み合いながらも共存していた。
・・・古代の神は、現代で神と言われて想像されるものとは違い、人間らしいものが多い。
それは、歴史ではなく神話として距離をおいて語り継ぐことで、人が客観的に見ることができるようにしたのだろうと思う。
少し話は変わるが、日本の妖怪や幽霊は教訓としての色が強い。
冬の山の恐ろしさと約束を破ったことに対する教訓。 雪女
人の心の恐ろしさの具体化。 鬼
悪事を働けば誰かに見られているという教訓。 百目鬼
善い事も悪い事も自分に帰るという教訓。 座敷童
物を大切にしないことに対する教訓。 付喪神
危険な沼地などに無闇に行ってはならないという教訓。 河童
・・・など、日本の大半の妖怪は教訓のような意味を持っている。
3つ目は、理解し得ないことの具現化として。
今では自然現象の多くは科学で解明されているが、昔は疫病や災害で命を落とす人が後を立たなかった。
そうしたときに、やるせない気持ちを何かにぶつけたかったのだろう。
太平記などの昔の物語では、こうした妖怪が多々登場し、退治することで救われていた。
そうした物語を読むことで、精神的な苦痛から楽になっていたのだろう。
4つ目は、恐怖の具現化として。
昔からあるにはあったが、少なかった。
しかし、最近の幽霊や都市伝説は恐怖が基になっている。
舞台としては病院や墓地・事故現場など、死のイメージが強い場所が多い。
そうして考え出されたものは、人に恐怖しか与えない。
それで楽しめる人がいるというのなら良いと思うのだが、すこし寂しく思う。
例え恐怖から生まれたにしても、昔の人は自然をよく見て考えていたのだろう。
深く調べてみると驚かされるものが多い。
さて、話が大分変わってしまったが・・・
宗教はもともと人の感情から生まれたもの。
それも自然をよく観察して特徴を見極め、よく考えて・・・
それを信じる、信じないは個人の勝手だった。
だから、発想自体は好きだ。
では自分は何故宗教に嫌悪感を感じる?
まぁ、やっぱり・・・集団心理の怖さだろう。
集団になれば力を持つことが出来る。
怖いのは、この力だ。
・・・過去、宗教が戦争の引き金になったことは少なくない。
・・・いや、今でも・・・。
特に、絶対神がいる宗教は得てして排他的になりやすい。
具体的に言えば、中世の魔女狩りが有名だ。
・・・魔女狩り。
今からしても、便利な統治システムだったと思う。
簡単な話だ。
教会の意向に従わないものは虐殺すれば良いだけの話なのだから。
当然、生き残るのは教会と隷属する人しかいない。
異教徒狩りも行われた。
異教徒というと、悪い神を信仰して悪事を働く人と思われがちだという悪いイメージを持つだろうが、そういった人は少なく、要はキリスト教以外のものを信仰している人が主だった。
ただ違うものを信じていただけ・・・それで虐殺される。
また、魔女狩りは次第にエスカレートしていった。
美人だというだけで、魔法で男を虜にしたといって裁判にかけられる。
・・・当然、この裁判は拷問による衰弱死か公開処刑を選ぶだけの裁判でしかなかったのだが。
その方法は、呆れるものが多い。
どこにホクロがあるとか無いとか。体形や顔つき。
そんなくだらないことから、否定をし続ける人には・・・いや、気分を悪くする方も多いのでやめておこう・・・。
私は、宗教とは力を持てばこのようになってしまうものだと偏見を持っている。
だから他人に信じるなとは言わないが、宗教がそうした側面を持つものだということを十分に理解して欲しい。
コントロールの利かない力は恐ろしい。
唯一私が信じるとするならば、古代の日本神教だと思う。
八百万の神。
どんなものにも神がいる。
だから毎日全てのものに感謝して、物を大切にしなさい。
排他主義になることのない宗教。
でも、それを信じなさいというわけではない。
宗教を必要としない人は信じなくても良いのだから。
各々が信じるものを信仰すれば良い。
ただ、自分にとって良いものが必ずしも相手に有益なものではない。
それだけは、ゆめゆめ忘れないで欲しい。