おはようございます。
DJ Toshiです。
今日はいきなり本題です。
昨日、YouTubeのショート動画を
ボケーっと見てたんです。
そしたら
こんなこと言ってました。
『日本人は
テレパシーが使える』
これは要するに
『空気を読む』
という行為のことで、
これは日本人特有なのだと。
そして例の如く、
サッカーの試合後に
打合せたわけでもなく
皆がゴミ拾いをして帰るという
お決まりの美談。
あ~はいはい、
もうええわ…
この手の話は
耳にタコもイカもできるほど
聞き飽きて
耳が腐ってきたとこだぜ…

皆さんはこの
『空気の正体』
について
果たして気づいているのでしょうか?
先ほどのサッカー場の出来事、
とても良いことだと思います。
誰かがきっと楽になる。
楽しませてもらった場所に
敬意を払う。
果たしてすべての人が
本当にそう考えているでしょうか?
たぶん僕も
その場にいたらやると思いますが、
やらないよりやった方がいいだろう、
やった方が自分も気分がいい。
そう思っていたはずです。
でもたぶん、
皆さんもきっと同じ気持ちか、
もっと自分本位な気持ちだと思います。
思いますというより、
絶対的にそうだと断言します。
なぜならば、
そうでなければ
あなた自身の精神と行動に
辻褄があわないから。
整合性が取れないからです。
あなたは家で
家族と食事した後に
何も考えず食器を洗いますか?
洗うという人もいるでしょうが、
それは日々洗ってる人です。
特に既婚男性で
そういう人は稀です。
まぁ最近は増えてきたと思いますが、
それでも毎回ではないでしょう。
もっと極端な話、
あなたが散歩しているときに
ゴミが落ちているのに気づいて
拾って家まで持って帰り、
捨てますか?
もちろん自分のゴミではなく
誰かが道路に捨てたゴミ。
99.9999%の人は無視するでしょう。
昔僕の奥さんが
落ちていたキャンディーアイスの袋を
拾って家に持ち帰ってきたんですが、
よく見たら蟻がウジャウジャついてて
叫びまくってました(笑)
たまにそんな人もいます。
ですが、
ほぼそんな人はおらず、
というか
いないのが当たり前です。
なぜならば
キリがないから。
キリがないのかあるのか、
決めるのは本人だけ。
目に付いたゴミだけでいいのか、
もっとゴミはないのか、
更に言うなら
ゴミを捨てるような人たちを
どうするべきか。
そこまで考える人はいなくとも
究極はそーゆーことです。
つまりはそこに
『自分の物差し』があるんです。
あなたの物差しか、
誰かの物差しか。
誰かとは?
世間でしょうか。
世間とは?
ん~日本人の多くでしょうか。
日本人の多くと言っても
その場面での日本人。
というか、
ここは日本なんだから
結果的に日本人の多くでしょう。
サッカー場だって
相手チームの観戦エリアまで乗り込んで
ゴミを拾ったわけじゃないですよね?
それはなぜですか?
相手チームエリアは管轄外?
ゴミを拾うことに
エリア分けがあるのでしょうか?
誤解をしないでほしいんですが、
屁理屈を言うつもりはありません。
そのエリアだけでも
ゴミを拾うことはいいことです。
でもあなたがもし一人なら
本当にやっていたか?という話。
空気ってのは
誰かの物差し。
昔で言うところの、
『お天道様は見ている』ってやつ。
でもお天道様を
本当は意識してませんよね?
あなた自身の
都合のいい良心と
回りの同調圧力の融合体こそが
この『空気の正体』
会社、サークル、友人関係。
様々なコミュニティーに
それぞれ固有な『空気』があります。
その空気の元を作るのは
いつもコミュニティーの中心人物。
大人しい平社員や
普段喋らない友人が、
いきなりその場を制することって
あり得ませんよね?
上司であったり、
友人関係の優位に立つ者だったり、
要するにある意味の
権力者であり、
優位性を主張するものが
その場の『空気』を作り出し、
その『空気』という雰囲気を
察知して乗っかってあげるのが
空気を読むという行為です。
ものすごく簡単に言えば、
声のデケーやつに同調してれば
このコミュニティーで生きていける。
めんどくさいから乗っかる。
多少の不利益があっても
自身に問題が降りかからなければ
それでよし、という話。
すべては
主体性の欠如、放棄こそが
『空気を読む行為』なのです。
あいつって空気読めないよね~
などと一度でも言ったことある人は
僕個人からしたら
馬鹿にしか見えません。
テーマと全く違うことを言い出すなら
それは空気が読めないのではなくて
頭が弱いだけです(笑)
そうでなくて、
マジョリティーに賛同しないことを
非難するような人種は愚か者ってこと。
この『空気』の一番の危うさは
そこに合理的な理屈がないからです。
ただあの人が言うから。
ただ大勢がそうだと言うから。
馬鹿の見本市みたいな思考を
大多数が持って行動するという、
非情に気色の悪い集合体です。
ハッキリ言えば
こんな『空気を読む』行為なんて
誰だってできます。
元々主体性も無く、
自己主張もなく、
自分の思考に自信もない
しょーもない大多数の日本人。
馬鹿でも簡単にできるから
やってるんです。
それで自分が安心したいから
空気を読めることが
まるで優位性があるかの如く
世間で言われてるんです。
馬鹿でもわかるその空気は
悪事に簡単に利用されるってわけ。
だから僕は昔から言ってる。
『空気は読めるが敢えて読まない』
空気を読まない言葉を発したとき、
面食らった者たちの
行動や言動を観察することで
その人間の思慮深さや
人間性が見えてくるんです。
敢えて握手するではなく、
ジャブを打つって感じですかね。
まぁ要するに、
僕はこの『空気を読む』日本人が
大嫌いってことです(笑)
なんも素晴らしくない。
まず個々が素晴らしくて、
それが集合体になるから
本来の日本人は素晴らしいのです。
今の日本人の集合体はクソの集まり。
外見を気にしてるだけの偽善人種です。
そんなことはない!!!と
もしそう言うならば
なぜこんな日本になったのでしょうね。
大事にすべきものを
大事にするフリだけして
放置したのが現実でしょうよ。
僕はむしろ、
全員が空気を読まずにいたら
こんな日本にはなってなかったと
心から思っています。
空気を読むとは
主体性の欠如であり放棄。
こんな情けない特徴を
日本人固有の優位性などと
恥ずかしげもなく言ってるうちは
この国はどーしようもないでしょう。
空気を読むことより、
自分の思考に自信が持てるよう、
知識の習得や経験をすることに
意識するほうが
あなたの人生に遥かに有益だと断言して
今日は終わりたいと思います。
あなたの人生は
あなたしか知らない。
主体性を持つことが
あなたの未来を生かします。
ではでは、
しーゆーねくすとたいむ