依存と執着 | DJ Toshi⭐ ~ 琥珀色の独り言 ~

DJ Toshi⭐ ~ 琥珀色の独り言 ~

4歳から息子を育ててるシングルファーザーです。
生活の中で起こる楽しみ、困りごと、政治、経済、理不尽な世の中へたまに真剣に語ります。
長いので時間があるときにゆるーく楽しんでください♪

 

 

 

おはようございます。

DJ Toshiです。

 

 

今日は少し政治の話から

離れてみようと思います。

 

 

先日息子の

中学校入学説明会がありました。

 

初めての校舎、

体育館に入って他の父兄たちと

並んで座り先生の説明を聞きました。

 

 

息子の中学校には

主に三つの小学生が

入学してきます。

 

元々他のお母さん方と

ほとんど面識もなく、

相変わらずマスクなので

誰が誰やらさっぱり。

 

僕の性格上、

他のお母さんたちと群れるのも

性に合わないのでいいんですけどね(笑)

 

 

僕が一番気になってたのは

この学校の校則でした。

 

 

保育園年少さんから

シングルファーザーになり、

 

先生や他の父兄、

他の子どもたちに

うちの息子が嫌な思いをさせられないか

常に臨戦態勢でした。

 

いやまじで(笑)


今もそうですから。

 

 

ちょっと大人しいけど、

人に優しくて

絶対に嫌な思いにさせない息子。

 

こいつを守るのは

パパしかいませんからね。

 


この中学の校則が

アホみたいなのだったら

説明会後に

職員室に乗り込むつもりでした(笑)

 

 

生活指導の先生という

男の若造先生の説明で

とりあえずツーブロックはオッケー。

あまり派手な髪形でなければ良しだそうで。

 

まぁそれなら許す。

 


学生のメインカバンが

リュックの学校なんですが、

色は黒がグレーだそうで…

 

はぁ?

赤は?いかんのか?

 

しかしまだ堪忍袋の緒が

切れるほどではない…

 


息子が小声で

『多様性の時代じゃないの?』

 

と言ってて

さすが我が息子だと感心しました(笑)

 

大人はいつもご都合主義。

矛盾した多様性に意味などない。

 

 

靴は紐付きで

白か黒のシューズ。

文字やマークはオッケー。

 

俺の中学の時は

黒いマークは白ペンで

塗りつぶせと言われてた…

 

黒い靴もオッケーなら

まぁ良しとするか…

 

そんなこんなで、

職員室に乗り込むのはやめました(笑)

 

 

部活の宣伝とかあったけど、

その辺は息子に任せます。


別に無理して入らなくてもいいし。

 

楽しくのびのびと

中学校生活を送ってくれたら

パパはそれだけで嬉しい。

 


本物の学びとは

あとから着いてくるもの。

 

クソみたいな社会に

対応するためだけの教育は

学びでなく記憶力の訓練に過ぎない。

 

心が動いた瞬間が学ぶときだと

僕自身が証明し理解してます。

 

 

まぁこんなこと言ってるんだから

他のお母さんたちと

話が合うわけがない(笑)


合わせるつもりもないが。

 


息子が楽しく幸せであれば

それでいいんですよ。

パパはそれをフォローするだけ。

 

何を言われようが

一ミリも恐れるものはありません。

 

万が一、道を外れるようなら

どついて張り倒して、

自分のしたことの責任を取らせるだけ。

それもまたフォローしてやるだけ。

 

親のできることなんて

そんな程度なんですよね。

 

 

 

何かの記事を読んでいて

興味深いことが書いてありました。

 

『依存と執着』

 

 

似たような意味合いですよね。

 

依存とは:

他のものによりかかり、それによって成り立つこと。

 

執着とは:

ある物・事に強くひかれ、

深く思い込んでどうしても忘れ切れないこと。

 

 

これわかります?

 

酒に依存する…

薬に依存する…

 

男に依存する…

 

男に執着する…

 

この場合の男ってのは

依存する場合はオスという異性。

 

執着するのは限定的な誰か。

 

なるほど、

そういうことね。

 

 

女性がよく言う、

『私って男に依存するタイプなんだよね~』

 

てのは、

特定の誰かがいたとしても

その男でなくてもいい、


男というオスにハマっているんです

という話なんですね。

 

興味深い…

 

 

つまりは、

子どもに依存するという

母親がたくさんいますが、

 

これはたまたま

あなたの子どもだったから

という理由で依存しているという

非常に不健全な状態なのです。


 

自分の子どもでありさえしたら

それで依存対象にできる

という意味です。

 

言ってる意味わかります?

 

 

つまりは他の依存対象物があれば

その子は必要なくなってしまう

ということです。

 

認めたくないでしょ?

 

 

依存していた子どもが

言うことを聞かずに自由にしてて、

自分が介入できなくて寂しくなる。

 

あなたはまた

違う依存先を探すんですよね。

あなた自身を保つために。


必ずです。

そういう性質なのだから。

 

 

子どもに執着することは

悪いことではないと思います。

 

その方法さえ

間違ってなければ。

 

子どもの人格を理解して

親子として関係していくのだという

強い思いこそが

子どもへの執着です。

 

執着の無い親子関係なんて

悲惨なものですからね。

 

 

深い繋がりだからこそ

お互いを尊重しながら

関係を繋ぎ続けることが

何よりも大切だと思います。

 

 

そう考えれば、

男女間の関係も

必ず上手くいくんですよね。

 

自分の執着と

相手の執着のバランスです。

 

そういう見方をすれば

都合よく扱われてるかどうか

簡単に見分けられますよね。

 

 

あなただけが執着したところで

必ず破綻するのが人間関係。

 

どの場面でも言えることです。

 


執着する相手に望むことは

その人らしくいてくれて、

それこそが自分の幸せだという気持ちです。

 

これって難しいですか?

すごくシンプルですよ。

 

 

僕は息子に

たまに言葉にして話します。

 

普通の親なら

恥ずかしいと思うようなことも

平気で言葉にします。

 

それが我が家の当たり前。

 

 

大切に想ってるから

方向性に口出しはしない。

 

やりたいと思うことをやって

やめたくなったらやめればいい。

 

やりたいことは必ず

やり続けるのが人間だから。

 

そこから行動の枝葉は

必ず伸びるから。

 

大切なものは

自分自身が見つけたらいい。

 

その手助けのためだけに

パパは存在しているんだって。

 

 

これから先、

多感な時期

と言われる年頃になります。

 

大人が勝手につけた

多感な時期(笑)

 

 

自分もそうだけど

今だって多感ですけどなにか?(笑)

 


大人になりつつある子どもに

慄いた親が言うセリフですよ。

 

親にはもっと大人らしく

どっしり構えてもらいたいものです。

 

 

とりあえず、

うちの息子に関しては

何の心配もしてませんね。

 

最強のパパがいますから。

 




 

ではでは、

 

しーゆーねくすとたいむ