おはようございます。

DJ Toshiです。

 

 

今日は少し趣向を変えてみます。

 

いつもはほぼスルーするような

雑多で下世話なテーマについて

話していきたいと思います。

 

 

松本人志の話、


文春砲第六弾だそうですね。

 

お笑いの大御所とされる人物の

テーマなので中途半端には

終わらんとは思ってましたが…

 

A子さんから始まり、

今はJ子さんだそうで(笑)

 

 

下膳芸人とされる後輩芸人たちの

SEX上納システムも

明らかになってきました。

 

あ、下膳とは

食事の食器などを片付けること

など意味する表現。 

食膳を用意する配膳や

上膳などと対比的に用いられる表現。

 

 

 

これについて

何が不思議かと言えば、

 

『賛否両論』があること。

 

賛てなに?

 

 

松本を擁護したら

自分が幸せになるとでも

思ってるのでしょうか?

 

状況証拠は揃ってます。

 

吉本でもない後輩も使って

SEXできることを前提に

自分の好みをオーダーして

騙して連れてこさせていた外道ですよ。

 

その後輩たちの仕事も

次々と無くなっている中でも

記者会見もせずダンマリ放置。

 


大御所?大先輩?

笑わせんなよ。

人間のクズじゃねーか(笑)

 


こんなことで賛否などと、

どんだけアホな国民なんでしょうね。

 

 

テレビを観てないから知らんけど、

相変わらずフジテレビは

擁護するようなコメンテーターを使って

誘導しているそうですね。

 

本気で悪のメディアだと思うよ。

 

裁判にするとか言ってるけど

こんなの成立するわけないって

皆わかってるでしょ?

 

松本は終了。

 

ここにきて浜田の猛烈なパワハラと

ヤクザとの関係も出てきてます。

 

吉本も終焉を迎えるよ。

 

 

そもそも吉本興業とは

的屋の成れの果て。

 

 

的屋てきや)とは、縁日や盛り場などの

人通りの多いところで露店や

興行を営む業者のこと。 

盆踊りの的屋の様子. 香具師(やし)、

三寸(さんずん)とも呼ばれる。

 

 

的屋とヤクザは

似て非なるものですが、

抗争や協定で両立していたんです。

 

昭和の芸人は言ってましたよ。

『芸人なんてヤクザな商売』

 

比喩じゃなくて

本当なんですよね。

 

 

倫理観がある人間が

芸人になろうとはしないし、

憧れてなったとしても続かないんです。

 

オリラジのあっちゃんが辞めた理由も

こういう芸人体質が

大嫌いだったわけです。

 





 

しかし…

 

ホント簡単に洗脳されるよね(笑)

 

如何にテレビが楽に人を騙せるか、

離れた今の僕には

如実に見えてきますよ。

 

あまりにもくだらない話なので

取り上げてこなかっただけです。

 


 

そんな中、

 

また一つ浮上してきたのが


長渕剛。

 


事務所とテレビの力で

蓋をしてきたものが

噴き出してきたよね。

 

暴力と強姦と薬物。

 

 

僕も若い頃は

年代はやや上だったけど、

彼の曲を聴きましたよ。

 

ドラマも観たし映画も観た。

いい役者だとも思ったよ。

 

フォークシンガーだった彼が

気づいたらロッカーだって。

 


まぁそういうアーティストは

他にもいるしいいんですが、

歌詞がとにかく暴力的。

 

伝えるための表現を超えた

何かをいつも感じて

僕は彼の音楽から離れました。


そもそもファンではないですが。

 

 

ガリガリのフォーク男が

知らないうちに筋肉マッチョになって

何が起こった?って感じ。

 

スタッフに対しての暴力や

アーティスト間では薬物使用が

噂されていたみたいです。

 

桑田佳祐との確執は

そういうところにあるんでしょう。

 

 

この話の発端になった

若林志穂さんのカミングアウト。

この動画も観ましたよ。

 

既に女優引退してる彼女が

嘘を言ったところで何の得も無い。

 


完全にPTSDです。

 

心的外傷後ストレス障害は、

死の危険に直面した後、

その体験の記憶が

自分の意志とは関係なく

フラッシュバックのように思い出されたり、

悪夢に見たりすることが続き、

不安や緊張が高まったり、

辛さのあまり現実感がなくなったりする状態。

 

 

間違いなく

彼女だけではないでしょうね。

 

ようはDV男で強姦男。

気に入らなければ殴る蹴る。

 

日本がどうしたとか、

大和魂がどうしたとか、

 

弱い自分の虚勢を曲にして

世間に強い男を演出することで

自我を保っていた哀れな男。

 

これこそが漢なんだと

興奮し、熱狂した世間の弱い男たち。

 

しょーもな。

 


噂では体調不良とかで

表に出てきてないそうだけど、

 

ドラッグのやりすぎでしょう。


あまりにもくだらない話。

 





 

これらの話の

トリガーとなったのが

 

ジャニーズ問題です。

 

 

三回目の会見、

結局やってないよね。

 

責められるのに耐えられず、

これ以上商売の損害を増やしたくない

 

企業名は変えました。

被害者には補償しています。

 

はぁ?

 

 

同じシステムで

子どもらを集めるんでしょ?

何が違うの?

 

なんの反省もない

腐りきった企業です。

 

テレビもタレントが使えるから、

いてくれた方が都合がいい。

そら追求しませんよ。

 

 

でも真っ当な人たちは

嫌悪感しか残ってないの

わからんのかな?

 

テレビしか見てない連中の

倫理感はさらに下がるということ。

 

引いてはさらに

テレビ離れが加速するという

自滅ループってことよ。

 

 

僕はそれでもいいですけどね。

 

というよりむしろ

そうなることを望んでます。

 

 

 

少し僕の話をしますね。

 


僕は山下達郎の

大ファンでした。

 

高校一年のとき彼のアルバム

『POCKET MUSIC』に魅了され、

 

その日からずっと

彼の楽曲と

彼に関係するアーティストを

貪り聴きました。

 

オールディーズを聴くようになったのも

彼の影響でした。

 

 

僕は小学校のときに

初めて映画館で観た洋画が

『ブルースブラザーズ』でした。

 

洋画を観ない叔父さんに無理を言って

連れて行って貰ったのを覚えています。

 

初めての字幕映画なのに

映画館で大爆笑してましたね(笑)

 

 

そこに出演していたのは

アメリカの偉大なアーティストたち。

 

ジェームスブラウン、アレサフランクリン、

マットマーフィー、レイチャールズ…

 

のちに高校生になった僕が

このことを知って映画を見直して

さらに興奮したのを鮮明に覚えています。

 

僕の音楽のルーツは

誰かの影響ではなく

自分から引き寄せた感性のみでした。

 




 

そんな中で惹かれた

ジャパニーズアーティストの一人が

山下達郎。

 

何年たっても古くならない

ポップでメロウな楽曲たちは

本当に貴重だと思いました。

 

 

そんなときに発覚した

ジャニー喜多川事件。

 

達郎はジャニーと懇意の仲で

古くは近藤真彦の曲も書いてます。

キンキキッズの

ガラスの少年は有名ですね。

 

彼のラジオも

ずっと聴いてました。

 

ジャニーズ事件発覚後の

たまたま聴いていなかったラジオで

この件に触れたことを知りました。

 

 

正直、耳を疑いましたよ。

 

この人類史上最悪の性犯罪者を

古くからお世話になっているからと

実質否定しない内容…

 


アーティストが否定できない?

 

現実世界で起こったことを

判断できない?

 

 

自分の過去までも

否定することになるとでも

思ったんでしょうか。

 

知っていたけど

観て見ぬフリを

していたんでしょうか。

 

僕は愕然とした直後に

この山下達郎という男に


一気に興味が無くなりました。

 

 

チケットがなかなか取れないライブに

何度も行きました。

 

療養中の妻を最後に

ライブに連れて行きもしました…


 

そんな大ファンだった僕を

ただの下劣な本性で

どん底まで叩き落したんですよね…

 




 

お笑い好きでもいいです。

松本やなんや好きでもいいです。

長渕が好きでもいいんです。

 


でもあんたは?


一体何に惹かれた?

 

お笑い芸?楽曲?

 

 

作品と人物は

関係ないという人がいます。

 

本気でそう思いますか?

 

 

あなたがアーティストなら

あなたの中から生まれたのが

その作品でしょう。

 

その作品が真実なのか

虚構なのかは関係がないんだと

 

あなたのファンに

胸を張って言えますか?

 


彼らはただ器用だっただけの

クリエーターだったということです。

 

彼らの自己満足が

たまたま僕らと同調した。


それだけのことです。

 


本心、心根を知った今は

同調する意味などありません。

 

自分の良心から

作品を生み出すアーティストは

他にたくさんいるのですから。

 

 


今日も僕が言いたかったことは

いつもと同じです。

 

主体性のある受容が

賢明な人には大切だってこと。

 


自分の肯定したものを

否定することを恐れないでほしい。

 

否定されるべきものに

あなたは取り込まれないでください。

 

すべての選択ができる主体が

あなた自身なのですから。

 

 

 

ではでは、

 

しーゆーねくすとたいむ