私が一人ならこのスピーチを書けない、みんなのおかげでよく出来た。本当にありがとう
オンタリオ弁論大会は3月8日で、少なくて2週間半ぐらいまでです。正直に言えば、ぜんぜん緊張感がないと思ってこのスピーチが私の心からですから。
はい、さっさと私のスピーチ!
今を歩いていこう
メアリー ララディ
小さな女の子が、病院の窓から外をながめています。真っ白な雪がふっていて、大通りからはクリスマスパレードのにぎやかな音楽がかすかに聞こえてきます。部屋の中を見ると、自分と同じような車いすにしばられた子供たち。パレードに連れて行ってもらえなかったことがかなしくて、体を引きずってベッドに入り、泣きながらねむりにつく。その女の子は、私です。
子供の時私は重い病気にかかり、障害者として、二年間特別病院で暮らしました。身の回りのことは、すべて看護師が世話してくれました。自分でできる小さなこともやらせてもらえませんでした。私はナイジェリア人ですが、もしナイジェリアで同じ病気になっていたら、生きのびる確率はとても低かったでしょう。だから、私は病院の生活をありがたく思うようにしました。やっと退院した後、普通の学校に通うことができました。最初の日、つえをついた私を他の子供たちがどう思うかと緊張したのを今でもはっきり覚えています。先生は私をクラスの前に連れて行って、この子は特別なので、助けてあげてねと言いました。休み時間のときは危なすぎるので外に出られませんでした。他の子供たちは私がつえを使うのをめずらしそうに眺めていました。中学校に入った時、私は障害者だと思われたくなくて、つえを使うのをやめることにしました。つえを持たなければ、普通の子に見えると思ったのです。体育のクラスの時は、体中が痛くてうまく走れませんでしたが、がまんして続けました。私には四人の姉妹がいて、みんなすごいスポーツ選手です。彼女たちが走っていくのを、後ろから足をひきずって追いかけるのは、正直、みじめなこともあります。でも、普通の元気なメアリーに見られるためにがんばっています。私の日本語の先生は、私に障害があることを二年間知らなかったのですが、私の漢字の書き方が乱雑なのは右手が不自由なせいだと知って、すごくびっくりしたそうです。先生は「お医者さんの字みたいでかっこいい」と思っていたんです!
私が足をひきずって歩くのを見て、どうしたんですかとだれかに聞かれたら、私は答える前にちょっと考えます。でも、結局障害のことは何も言いません。彼らの目が同情に変わるのを見るのがこわいのです。今年、大学でボランティアとして、キャンパスガイドをさせられました。終わったときに、泣きたいほど足が痛かったけれど、楽しかったし、いい経験だったと思いました。いつも「こんなことが私なんかにできるだろうか」と考えて、やる前にあきらめていましたが、そんなネガティブな考え方に疲れました。私は今年の秋、日本の大学に留学することになっています。日本に行ったら、自分には障害があることを周りの人に正直に話すべきか、言わないでおくべきか、実は今、少しなやんでいます。みなさんはどう思われますか。
そのときから唯一の写真。。。もう10年経ったですね
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