Ninoy Aquino Day 「ニノイ・アキノ記念日」 -セブ島留学・海外ボランティアー | DAREDEMO HERO のブログ

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私たちは貧困層をただ単に、支援するボランティア団体ではありません。勉強したいが、家庭環境や学費などが理由で勉強できない子供たちを中心に支援して、その子供たちが将来、貧困問題を解決する一員になるように教育していきます。

今日は、「ニノイ・アキノ記念日」
フィリピンの祝日旗日です

<旧500ペソ>


1983年8月21日、今から32年前
当時独裁政治を行っていたマルコス政権
脅かすほど人気のあった
ニノイアキノ上院議員暗殺されました


<マルコス大統領>

ニノイは人気はありましたが、この時点で
特に自分がマルコス政権を倒そうなどとは
思っていなかったようです

しかし、マルコスは、自分の地位を守るため
ニノイに政府転覆の陰謀と武器の不法所持、殺人などの罪をきせ、逮捕・投獄しました。

1977年には死刑を宣告を受けるものの
マルコスは人気のある、ニノイを殺害するわけにもいかず
アメリカアメリカへの亡命を許しました



アメリカアメリカでも、祖国フィリピンフィリピンを思い続けたニノイ
「いかなる形であってもフィリピン人同胞の近くにいることが大切」
「84年の選挙に向けて、最低8カ月は準備の期間が必要・・・」
と、フィリピンフィリピンに戻ることを決意します

32年前の今日、マニラ空港に降り立ったニノイ
タラップを降り始めてほんの11秒で国軍兵士により射殺されました



ニノイが殺害されたのち
国内では反マルコスの機運が爆発しました


マルコス大統領
独裁体制のみならず
イメルダ夫人靴の豪勢な生活スタイルや
一族による汚職にまで非難が集中するようになりました

<イメルダ夫人の靴のコレクション>



この動きが、マルコス政権を終結させた
「エドゥサ革命」へとつながりました



フィリピンフィリピンに戻れば
自分の身に何かが起きると確信していたにもかかわらず
帰国を決意したニノイアキノ上院議員


彼の行動が国民を動かし、国を変えましたマッチョ


現在のフィリピンフィリピンの抱える
貧困問題を根本的に解決するためにも
彼のようなリーダーが必要なのだと思います

JUNKO

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