2023年5月2日 大嶽山那賀都神社
由緒
人皇十二代景行天皇の御代、日本武尊東夷御征定の砌、甲武信の国境を越えさせ給う時神助を蒙り、神恩奉謝の印として国司ヶ岳の天狗尾根(2159M)に佩剣を留め置き三神を斎き祀る。(現・奥宮)
第四十代天武天皇の御代、役行者小角当山(現・社地)の霊験なるを以て修験道場として開山、不思議にも昼夜連日鳴動して止まず、以来当山を「大嶽山鳴渡ヶ崎」と呼ぶ。第四十四代元正天皇養老元丁巳年(717年)奥宮より勧請す。
駐車場から約1km、徒歩約20分を川沿いに登っていきます
剣型の社号標
随身門 彫刻は、伊豆の彫刻師石田半兵衛の子、福田俊秀によるものです。
烏天狗像(左)と天狗像(右)
多数の彫刻があります。
二十四孝 郭巨
郭巨は貧困のため母と子供を養えなくなり、悩んだすえに「子供は再び得られるが、母は再び得られないのだから、子供を捨てる」と決心し、妻にそう告白した。夫の悩む姿を見続けていた妻も頷きました。郭巨が子供を埋める穴を掘ると、黄金の釜が出てきました。その釜には「孝行な郭巨に天から与える。役人も他人も盗ってはいけない」と書かれた札が入っていました。郭巨は黄金の釜を売り、子供を養いながら更に母に孝行しました。
二十四孝 董永
幼くして母親を失った董永は、残された父親をよく世話する孝行息子であった。やがてその父親も亡くなった。しかし、貧乏で父の葬儀代を出せず、自分の身を売って葬儀代を作り、葬儀をしました。その後、董永は借金を返すために貸主の家に赴く途中、1人の婦人と出会って夫婦となりました。婦人はわずか10日の間に百疋の絹を織り上げ、夫の借金をたちまち返済してしまいました。婦人は借金を返し終えると、自分が天の織女で、董永の深い孝養ぶりに感心した天帝の命によって下界に降り、董永の借金の返却を助けるよう言われたことを告げ、天に帰っていったという。
不明 (4人の賢人から推測すると、商山四皓か?)
亀
天女
鳥
拝殿
神楽殿
随身門と同様に、彫刻は、伊豆の彫刻師石田半兵衛の子、福田俊秀によるものです。
唐子が持つ板には「寄付 彫物一式 甲府三日町 喜多嶋宗甫 明治二五年」と記載されています
欄間に鷹や龍が彫刻されています
龍の天井絵
本殿に胴羽目彫刻(七賢人など)があるのですが、現在、本殿へのお参りはお断りしているとのこと。ネットで調べると2018年に参拝したという記事がありました。拝殿からかなり登る必要があるようです。
コメント:随身門や神楽殿にある彫刻は彫も深く素晴らしい彫刻でした。本殿の彫刻が見られないのが残念でした。