長野県・竹室神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年10月31日 長野県上田市真田町本原字竹室の竹室神社に参拝しました。

 

由緒

日本武尊は東征の帰途に、鳥居峠を越えて信濃国のこの地までやって来た。村人は梢を折って仮屋を設けて歓待したという。その後、その跡地に宮を建て、柴宮と称したと伝えられています。その後大山祇命を合祀し山祈神ともいいました。この柴宮の旧社地は旧長村の地籍になるので明治初年に現社地に遷し、明治11年、竹室神社と改称しました。

 

鳥居

 

拝殿

 

覆屋

 

本殿

 

右面の胴羽目:二十四孝 孟宗
中国三国時代、呉国に孟宗という親孝行の息子がいました。幼い頃に父を亡くし、高齢の母は重い病にかかっていました。彼は医者から母に新鮮な筍のスープを作るようにと言われました。時は冬、筍は春にならないと生えてきません。なす術もなく竹林に入った彼は、竹にすがって泣き出しました。すると大地が揺れ始め、地面がひび割れたかと思うと、数本の筍が生えてきました。大喜びした孟宗は筍を家に持ち帰り、筍のスープを母に飲ませまると、母の病気が治ったといいます。

 

背面の胴羽目:二十四孝 郭巨
郭巨は貧困のため母と子供を養えなくなり、悩んだすえに「子供は再び得られるが、母は再び得られないのだから、子供を捨てる」と決心し、妻にそう告白した。夫の悩む姿を見続けていた妻も頷きました。郭巨が子供を埋める穴を掘ると、黄金の釜が出てきました。その釜には「孝行な郭巨に天から与える。役人も他人も盗ってはいけない」と書かれた札が入っていました。郭巨は黄金の釜を売り、子供を養いながら更に母に孝行しました。

 

左面の胴羽目:二十四孝 楊香
ある日のこと、楊香は父と一緒に山へ薪を取りにいきました。すると、虎が出てきて父を食べようとしました。それを見た楊香は自分の身の危険もかえりみず、急いで虎の首に両手で飛びかかりました。虎は楊香の捨て身にの行動に驚いて逃去り、父は虎に食われることなく、助かったという。

 

右面の脇障子:風神

 

左面の脇障子:雷神

 

右面の脇障子(裏):鷹

 

左面の脇障子(裏):鷹 猿を捕まえている

 

コメント:他の神社の二十四孝の彫刻と違って、迫力のある彫刻で、素晴らしい彫刻だと思います。

 

***  神社と彫刻のリスト  ***