埼玉県・三峯神社 その2/2 八棟木灯台 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年4月7日 埼玉県秩父市三峰の三峯神社に参拝しました。

 

彫刻が多いため2つに分けて記載します。

  ・埼玉県・三峯神社 その1/2 拝殿

  ・埼玉県・三峯神社 その2/2 八棟木灯台など

 

八棟木灯台
安政四年(1857年)に建立された飾り灯台で、高さ6mあります。
 
八棟木灯台は2段になっていて、上層と下層の4面に故事の彫刻(計7枚+扉)があります。
 
文覚上人の荒行   (この彫刻だけ日本の物語。違うかも)
文覚上人が那智の滝に打たれて修行をしていたが、意識を失って流されてしまった。そこに大聖不動明王から使わされた金迦羅と制多伽という二童子が来て、上人を助けた。上人は大聖不動明王から期待されていると感激して、いっそう修行に励み、大峰・葛城・高野・・・富士山、伊豆、信濃の戸隠、出羽の羽黒など全国霊場をまわり、「刃の験者」と呼ばれるに至ったという。
 
不明
 
劉備、檀渓を的廬で跳ぶ
蔡瑁は、劉表からの信任の篤い劉備を快く思っていませんでした。ある時、蔡瑁は酒宴にかこつけて劉備を暗殺しようしますが、この企みを親しくしていた伊籍から知らされ、劉備は隙を突いて酒席から抜け出します。劉備は的慮(劉備の愛馬)を駆って裏門を突破しますが、檀渓の激流に追い詰められます。劉備は意を決して的慮を河へと乗り入れると、流れに飲まれかけますが、的慮は跳躍して対岸に飛び移り、逃げ延びました。
 
韓信の股くぐり
韓信が若い頃、ならず者に「お前が強いのなら、その剣で俺を刺してみろ。できないなら、俺の股をくぐれ」と言いがかりをつけられ、屈辱に耐えてその股をくぐったという。もし韓信がならず者を殺してた場合、お尋ね者となり一生を台無しにしていた。本当に叶えたい夢のために、一時の屈辱を耐え忍のんだという故事。その後、韓信は前漢の初代皇帝となる劉邦の元で数々の戦いに勝利し、国士無双と呼ばれるまでの武将になった。
 
不明  左に武人、右に魚の商人? (2023.7.31修正)
呂布 / 范蠡
呂布
中国、後漢末の武将。利に敏く、裏切りを繰り返したことから忌み嫌われたが、同時に類い希なる武勇を誇り、騎乗する赤兎馬と共に「人中の呂布、馬中の赤兎」と称され、前漢の勇将李広になぞらえ「飛将軍」とも呼ばれた。
范蠡
中国、春秋時代末期の政治家、財政家。越王勾践 (こうせん) に仕え、紀元前494年、呉王の夫差に越が敗れてのち、苦心して時を待ち、前473年呉を滅ぼし「会稽の恥」をそそぎ、勾践を五覇の一人にさせた。しかし范蠡は、覇者となった勾践のもとを辞して斉(せい)に去り、鴟夷子皮 (しいしひ) と名乗り、大富豪となった。やがて斉の宰相となったが、まもなく去って陶 (山東省) に移り、陶朱公と称し巨万の富を得たと伝えられている。
 
参考として、呂布 / 范蠡(絵本早引 名頭武者部類より)
 
黄石公と張良
漢の高祖に仕える張良は夢の中で老翁と出会い、兵法を伝授してもらう約束をする。夢の中で約束した五日後に橋のほとりに行くと、老翁は既に来ており、「人に物を教えて貰おうというのに、先生より遅く来るとは何事だ」と咎め、また五日後に来いと言い去っていく。五日後、張良は正装をし早暁に行くと威儀を正した老翁が馬に乗って現れた。そして自らを黄石公と名乗り、履いていた沓を川へ落とした。張良は急いで川に飛び込んだが、大蛇が現れ威嚇し沓を取られる。張良はすばやく剣を抜き立ち向かい大蛇から沓を奪い返した。黄石公は張良の働きを認め、兵法の奥義を伝授しました。
 
不明  武人と、左に猿を背負った商人と犬?
 
 
手水舎
嘉永6年(1853)の造営、平成16年(2004)に彩色などの修理。
  * 中国にありそうな極彩色の手水舎
龍や鳳凰、鶴など

 
龍、鶴
 
 
 
日本武尊の像  三峯神社は日本武尊が創建した神社
 
 
遥拝所  奥宮を遥拝できます。
 
妙法ヶ岳の山頂に奥宮があります。
 
コメント:八棟木灯台は飾り灯台という説明があったが、飾り灯台というものをここ以外で見たことがない。江戸時代に作ったものらしいですが、宗教的にどのような意味があるのだろうか?