2022年4月6日 埼玉県桶川市川田谷の諏訪神社に参拝しました。
由緒
川田谷諏訪神社の創建年代などは不詳ながら、天正19年(1591)には徳川家康より社領3石の御朱印状を拝領、石戸領の総鎮守だったといいます。明治6年村社に列格、明治40年雷電社を合祀、明治42年神饌幣帛料供進神社に指定されています。
鳥居
拝殿
狛犬 ブルドックぽい
覆屋
本殿 市指定有形文化財
右面の胴羽目:龍神から干珠・満珠を授かる
神功皇后が三韓(新羅・百済・高句麗の三国)征伐の時に、住吉大神よりお告げがあり、龍神より潮の干満を自在に操る「干珠」と「満珠」の宝珠を借りました。新羅軍が船で攻めようとする時に、神功皇后は、干珠を投じて干潟とし、船を進めなくしました。そして、新羅軍が船を降り攻めてきた所を満珠を投じて満潮とし、溺れさせ、戦いに勝利しました。その後、凱旋し、2つの珠を龍神に返すべく海に沈めると、その海域に2つの島(満珠島・干珠島)が浮かび上がってきたと伝えられています。
背面の胴羽目:鞍馬天狗「僧正坊」から兵法を学ぶ牛若丸(義経)
幼い日の牛若丸(源義経)は、鞍馬山で鞍馬天狗「僧正坊」の指導のもと、夜な夜なカラス天狗達と剣術や妖術を習い、兵法を学んでいたという。
左面の胴羽目:源義家の湧水
前九年の役の際、源頼義、義家父子率いる朝廷軍は北へと進軍していましたが打続く炎暑に兵馬とも疲弊していました。そこで源義家が八幡神に祈り、弓で岩に穴を開けると清水が湧き出て、炎天下に苦しむ兵馬を救ったという。
本堂の正面
中備:亀に乗る黄安仙人
列仙伝という中国の道教にまつわる説話集で、70人の仙人たちの伝記が載せられている。その一人が黄安。黄安は中国前漢の武帝時代の仙人。家にいる時には三尺程ある大亀に乗っている。逸話に、今年で何歳になるかと聞くと、この亀は三千年に一度顔を出し、今まで五度頭を出しているので一萬五千歳と答えたという。長寿、永遠の象徴となっている。別名、盧敖。
正面の扉に2枚、仙人を彫刻している。
左側の彫刻:陳楠
人々が干ばつで苦しんでいると、陳楠は鉄鉢から龍を出し、雨を降らせ困っている人々を助けた。また、洪水で舟が進めなくても、陳楠は浮かせた笠に乗り渡る事ができた。
右側の彫刻:張果老(瓢箪から駒)
張果老は白い驢馬に乗って各地を廻り歩き、休むときは驢馬を瓢箪の中に収めていたという。
コメント:石戸蒲ザクラから約1kmの場所にある神社。 石戸蒲ザクラのある東光寺には大勢の人が参拝していましたが、この神社を参拝する人はいませんでした。素晴らしい彫刻ですので、ここも見て欲しいものです。