埼玉県・大宮神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年4月23日 埼玉県入間郡越生町上野の大宮神社に参拝しました。

 

由緒

大宮神社は、文武天皇元年(697)の創建とも、承和3年(836)の創建とも伝えられ、聖天社と称していたといいます。児玉党の遠江守長隆や毛呂土佐守顕季など武家の崇敬を受け、慶安年中(1647-1651) には徳川家光より社領10石の御朱印状を拝領したといいます。明治5年村社に列格、明治40年越生町如意の白坂神社・熊野神社を合祀しています。

 

鳥居

 

拝殿

 

本殿と玉垣

 

本殿

 

右面の胴羽目:大己貴命の化鳥退治
第8代孝元天皇の御代に大己貴命、少彦名命の二神が力をあわせ、能登の鹿渡浦で化鳥を退治し、邑知潟で大蛇を退治し、能登の国を平定したという。

 

背面の胴羽目:天岩戸
天照大御神は須佐之男命の悪行を怒り、天岩戸と呼ばれる洞窟に隠れました。太陽の神が隠れたため世界は真っ暗になり、作物が育たなくなり、病気になったりと災いが発生した。困った八百万の神々は天安河原に集まり、策を考えます。最初に、鶏の鳴き声には太陽の神様を呼ぶ力が有ると言う事で鶏を集めて鳴かせたが扉は開かず失敗。次に、天宇受賣命が伏せた空桶の上に立ち、激しく桶の踏み鳴らし、次第にボルテージを上げ、やがて胸をはだけ熱狂的な踊りを披露します。それを見た神々は大きな笑いを上げ、騒ぎ立てます。すると、その騒ぎが気になった天照大御神は天岩戸を少し開け、外の様子を覗きました。その瞬間、入り口の傍らに控えていた天手力男神が天岩戸をこじ開け、天照大御神を外に導いたことで世界に太陽の光が戻ったとされます。

 

左面の胴羽目:須佐之男命の八岐大蛇退治
八岐大蛇は毎年やって来て娘をひとり食べていた。今年もその時期になり櫛名田比売が生贄になるという。須佐之男命は八岐大蛇を退治するため、櫛名田比売の両親(足名椎、手名椎)に強い酒を8つ用意させ、八岐大蛇がくるのを待った。やがて八岐大蛇が現れ、門の前に置かれた酒を飲み始めた。そして、酔いが回り八岐大蛇が眠ったところで、須佐之男命は八岐大蛇を切りつけ退治した。大蛇の尾からは一振りの剣が現れ、須佐之男命はそれを「天叢雲の剣」と名付け、姉である天照大神へと献上した。

 

腰羽目には、各面2枚の彫刻があります。

 

中国二十四孝 郭巨
郭巨は貧困のため母と子供を養えなくなり、悩んだすえに「子供は再び得られるが、母は再び得られないのだから、子供を捨てる」と決心し、妻にそう告白した。夫の悩む姿を見続けていた妻も頷きました。郭巨が子供を埋める穴を掘ると、黄金の釜が出てきました。その釜には「孝行な郭巨に天から与える。役人も他人も盗ってはいけない」と書かれた札が入っていました。郭巨は黄金の釜を売り、子供を養いながら更に母に孝行しました。

右面の腰羽目:郭巨           郭巨の妻

 

 

背面の腰羽目:中国二十四孝 孟宗
中国三国時代、呉国に孟宗という親孝行の息子がいました。幼い頃に父を亡くし、高齢の母は重い病にかかっていました。彼は医者から母に新鮮な筍のスープを作るようにと言われました。時は冬、筍は春にならないと生えてきません。なす術もなく竹林に入った彼は、竹にすがって泣き出しました。すると大地が揺れ始め、地面がひび割れたかと思うと、数本の筍が生えてきました。大喜びした孟宗は筍を家に持ち帰り、筍のスープを母に飲ませまると、母の病気が治ったといいます。

 

背面の腰羽目:中国二十四孝 姜詩
姜詩は母親に孝行な人でした。母はいつも綺麗な川の水を飲み、また生魚を食べたいと言っていました。そのため、姜詩と妻は遠く離れた大河まで行って、水を汲み魚を取りに行っていました。ある日、姜詩の家のそばに綺麗な川の水が流れ出て、その水の中から鯉があらわれました。それ以後は、毎朝あらわれる鯉をとって母に与えるようになりました。この不思議なことは、夫婦の孝行を感心した天が与えたのだという。

 

中国二十四孝 董永
幼くして母親を失った董永は、残された父親をよく世話する孝行息子であった。やがてその父親も亡くなりましたが、父の葬式の費用がないため、自分の身を売ってお金を作り、葬儀をしました。その後、董永は借金を返すために貸主の家に赴く途中、1人の婦人と出会って夫婦となりました。婦人はわずか10日の間に百疋の絹を織り上げ、夫の借金をたちまち返済してしまいました。婦人は借金を返し終えると、自分が天の織女で、董永の深い孝養ぶりに感心した天帝の命によって下界に降り、董永の借金の返却を助けるよう言われたことを告げ、天に帰っていったという。

左面の腰羽目:天の織女          董永

 

 

コメント:胴羽目は隙間を埋め尽くすかのように多くの人・物を彫刻している感じがします。