埼玉県・熊野神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年4月23日 埼玉県入間郡越生町龍ケ谷の熊野神社に参拝しました。

 

由緒

龍穏寺の鎮守として祀られた神社です。現在の本殿は、天保15年(1844)に永平寺管長となった道海和尚の代に、山門、経堂と一緒に建てられました。壁面の彫刻は、神山之村(現群馬県太田市)の彫り物師、岸亦八によるものです。

 

鳥居

 

拝殿

 

中備:鞍馬天狗「僧正坊」から兵法を学ぶ牛若丸(義経)
幼い日の牛若丸(源義経)は、鞍馬山で鞍馬天狗「僧正坊」の指導のもと、夜な夜なカラス天狗達と剣術や妖術を習い、兵法を学んでいたという。

 

拝殿扉に4枚の彫刻

 

控鶴仙人/武志士
・控鶴仙人は、天台の元虚老君の第七番目の弟子で、鶴に乗り空を飛ぶため、武夷山の近くの人々から「控鶴仙人」と呼ばれています。
・武志士は来賓の武禅山で修業し、里へ行く際には青布幕を橋として移動したとされ、建炎年間に昇仙したという。

 

参考として、武志士 (異形仙人つくし より)

 

東方朔/王喬
・東方朔は中国前漢時代の文人。仙術を身に付け武帝に仕えたという。西王母のもとから桃を盗んで食べたため、八百歳もの長寿を得たという。
・王喬は支那の仙人。王喬は漢の明帝に仕える尚書の役人であった。王喬が朝廷へ参内するにもかかわらず、馬車で来たことがないのを不思議に思い調べると、王喬は2羽の鴨に乗って早旦に出仕していたという。

 

参考として、王喬 (北斎漫画より)

 

手挟の鳥も良く出来ています

 

手挟:鳥

 

 

本殿の右面

 

龍の花頭窓

 

右面の胴羽目:武内宿禰 宝珠を得る
神功皇后の三韓征伐に随行した折に、筑紫の海中より現れた海神である安曇磯良から、龍宮よりもたらされたという「干珠」と「満珠」の宝珠を授かります。その宝珠は潮の干満を自在に操る霊力があり潮を自在に操って、神功皇后の勝利に貢献したと云います。

 

背面の胴羽目:天岩戸
天照大御神は須佐之男命の悪行を怒り、天岩戸と呼ばれる洞窟に隠れました。太陽の神が隠れたため世界は真っ暗になり、作物が育たなくなり、病気になったりと災いが発生した。困った八百万の神々は天安河原に集まり、策を考えます。最初に、鶏の鳴き声には太陽の神様を呼ぶ力が有ると言う事で鶏を集めて鳴かせたが扉は開かず失敗。次に、天宇受賣命が伏せた空桶の上に立ち、激しく桶の踏み鳴らし、次第にボルテージを上げ、やがて胸をはだけ熱狂的な踊りを披露します。それを見た神々は大きな笑いを上げ、騒ぎ立てます。すると、その騒ぎが気になった天照大御神は天岩戸を少し開け、外の様子を覗きました。その瞬間、入り口の傍らに控えていた天手力男神が天岩戸をこじ開け、天照大御神を外に導いたことで世界に太陽の光が戻ったとされます。

 

左面の胴羽目:「大蛇の再生 磐永姫」と「天児家根命」

 

  参考にさせていただいている新・龍元洞雑記帳によると、葛飾北斎 作の『和漢 繪本魁初編』より「大蛇の再生 磐永姫」と「天児家根命」を下絵としている。どうやら、以下の磐永姫を突き返えした時に、天児家根命が鏡で磐永姫を抑えつけている場面らしい。日本書記の話からの派生と思われますが、調べきれませんでした。
  [日本書紀で磐永姫が登場する場面]
  天孫の瓊瓊杵尊は木花開耶姫を見初め、父の大山祇神に結婚の申し込みをした。大山祇神は、妹の木花開耶姫とともに姉の磐永姫も送り出した。しかし、磐永姫は容姿が醜いため、瓊瓊杵尊は磐永姫を追い返してしまった。磐長姫は「もし、皇孫が自分を召していたら、御子の命は長かったが、妹一人を召したので、生まれる子はきっと木の花の如く散り落ちるだろう」と呪う。これが人の命が短くなった原因だという。

 

  
右面の脇障子(表と裏):韓信の股くぐり
韓信が若い頃、ならず者に「お前が強いのなら、その剣で俺を刺してみろ。できないなら、俺の股をくぐれ」と言いがかりをつけられ、屈辱に耐えてその股をくぐったという。もし韓信がならず者を殺してた場合、お尋ね者となり一生を台無しにしていた。本当に叶えたい夢のために、一時の屈辱を耐え忍のんだという故事。その後、韓信は前漢の初代皇帝となる劉邦の元で数々の戦いに勝利し、国士無双と呼ばれるまでの武将になった。

 

左面の脇障子(表と裏):黄石公と張良
漢の高祖に仕える張良は夢の中で老翁と出会い、兵法を伝授してもらう約束をする。夢の中で約束した五日後に橋のほとりに行くと、老翁は既に来ており、「人に物を教えて貰おうというのに、先生より遅く来るとは何事だ」と咎め、また五日後に来いと言い去っていく。五日後、張良は正装をし早暁に行くと威儀を正した老翁が馬に乗って現れた。そして自らを黄石公と名乗り、履いていた沓を川へ落とした。張良は急いで川に飛び込んだが、大蛇が現れ威嚇し沓を取られる。張良はすばやく剣を抜き立ち向かい大蛇から沓を奪い返した。黄石公は張良の働きを認め、兵法の奥義を伝授しました。

 

コメント:前に掲載した龍穏寺の山門近くにある神社で、龍穏寺の鎮守。武志士や王喬といった他で見たことのない珍しい仙人や物語のある神社でした。