埼玉県・幸宮神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年7月27日 埼玉県幸手市中の幸宮神社に参拝しました。

 

由緒

幸宮神社は、昔、八幡香取社といっていました。水害で社殿が流失したため、再建にあたって祭神なども不詳でしたが、明治19年に氷川神社から分霊を勧請されています。明治42年に神社の合祀がおこなわれたのを機会に、幸手の総鎮守となり幸宮神社と改めたという。祭神は誉田別尊、経津主神、菅原道真。

 

鳥居

 

拝殿

 

本殿と玉垣

 

本殿  現存する本殿は文久3年(1863年)の再建。 本殿の彫刻が市指定文化財。

 

右面の胴羽目:三顧の礼  
劉備と関羽と張飛が、まだ無名であった諸葛孔明を軍師として迎え入れるため諸葛孔明の庵を訪れ、三度目でようやく会えたという。本来は目上または年上の人が、目下あるいは年下への人へ礼を尽くすことでしたが、現在では礼を尽くして頼みごとをお願いする意味で使われます。

 

背面の胴羽目:頼朝の伏木隠れ  (左側が石橋山の戦い。馬に乗っている武将が大庭景親。右側で源頼朝たちが倒木の隠れている と推測)
1180年源頼朝は源氏再興のため挙兵。石橋山に布陣するが、平家方は三千余騎、頼朝方はわずか三百騎であり、翌朝には平氏軍に敗れ、頼朝たちは土肥杉山の伏木(倒木)のうろの中に隠れた。大庭景親らの平家軍は頼朝を追って山狩りをし、伏木を捜索することになる。梶原景時は伏木の中に入り頼朝を見つけるが、「ここに人はいない」と景親に報告する。景親は納得せず、自ら伏木の中に入ろうとするが、景時は「それがしを疑うおつもりか」と景親の前に立ちはだかる。すると、突然2羽の鳩(鳩は源氏の氏神である八幡神の使い)が飛び出しました。景親は、鳩が住み着いているほどならば人はいないのだろうと考えながらも、斧を取り寄せて伏木を叩き割ろうと言い出します。すると、晴れていた空がにわかに曇り激しい雷雨となりました。こうして景親は捜索を断念したという。後に頼朝は鎌倉幕府を開き、梶原景時を側近として重用した。

 

倒木に隠れる源頼朝たち、倒木から飛び出た鳩 (右側彫刻の拡大)

 

参考として、歌川国久 作「石橋山高綱後殿高名図」   (彫刻と逆で、左側が源頼朝たち、右側が大庭景親らの平家軍がいます)

 

左面の胴羽目:文王と太公望
文王は猟に出る前に占いをしたところ、獣ではなく人材を得ると出た。狩猟に出ると、渭水で釣りをしていた呂尚に出会った。 二人は語り合い、文王は「吾が太公が待ち望んでいた人物である」と喜んだ。 そして呂尚は文王に軍師として迎えられ、太公望と号した。

 

右面の脇障子:獅子

 

左面の脇障子:獅子

 

腰羽目は農作業を彫刻してる。各面に2枚、合計6枚の彫刻があります。

左面の腰羽目:田んぼに水を入れている場面か?

 

左面の腰羽目:馬に馬鍬を引かせて田起こしをしている

 

背面の腰羽目:田んぼに苗を植えている。

 

背面の腰羽目:稲を収穫している。

 

右面の腰羽目:クルリ棒で稲を打って脱穀している。

 

右面の腰羽目:米俵を蔵に運んでいる。

 

コメント:胴羽目の歴史的逸話、腰羽目の農業の様子ともに素晴らしい彫刻でした。