埼玉県・須影八幡神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年7月27日 埼玉県羽生市須影の須影八幡神社に参拝しました。

 

由緒

この八幡神社は、「新編武蔵風土起稿」に「村の鎮守なり、慶安二年八月二十四日、社領十九万石石斗余を賜う」と記されており、別当(寺院が神社を管理していたこともある)として蓮華寺の名前も見えます。その最後の住職であった潮元が、安政四年(1857年)から慶応元年(1865年)までの間に現在の本殿と拝殿を造営したものです。

 

鳥居

 

鳥居・拝殿

 

木鼻:獅子  持送:亀  中備:龍

 

中備:龍

 

本殿と玉垣  

 

各面に胴羽目2枚あります。 彫刻は羽生市指定文化財

右面の胴羽目:八幡宮地形つき  「地形つき」は本殿の建設工事の様子を表したもの。(案内板より)

 

右面の胴羽目:須佐之男命の八岐大蛇退治
八岐大蛇は毎年やって来て娘をひとり食べていた。今年もその時期になり櫛名田比売が生贄になるという。須佐之男命は八岐大蛇を退治するため、櫛名田比売の両親(足名椎、手名椎)に強い酒を8つ用意させ、八岐大蛇がくるのを待った。やがて八岐大蛇が現れ、門の前に置かれた酒を飲み始めた。そして、酔いが回り八岐大蛇が眠ったところで、須佐之男命は八岐大蛇を切りつけ退治した。大蛇の尾からは一振りの剣が現れ、須佐之男命はそれを「天叢雲の剣」と名付け、姉である天照大神へと献上した。

 

龍神から干珠・満珠を授かる
神功皇后が三韓(新羅・百済・高句麗の三国)征伐の時に、住吉大神よりお告げがあり、龍神より潮の干満を自在に操る「干珠」と「満珠」の宝珠を借りました。新羅軍が船で攻めようとする時に、神功皇后は、干珠を投じて干潟とし、船を進めなくしました。そして、新羅軍が船を降り攻めてきた所を満珠を投じて満潮とし、溺れさせ、戦いに勝利しました。その後、凱旋し、2つの珠を龍神に返すべく海に沈めると、その海域に2つの島(満珠島・干珠島)が浮かび上がってきたと伝えられています。 

背面の胴羽目:頭に龍を乗せている龍神、魚を乗せている従者が干珠・満珠を持っている。

 

背面の胴羽目:神功皇后や武内宿禰が干珠・満珠を受け取ろうとしている

 

左面の胴羽目:七福神の内、大黒天・恵比寿天、寿老人、福禄寿

 

左面の胴羽目:七福神の内、弁財天、毘沙門天、布袋尊

 

右面の胴羽目の上の彫刻も素晴らしいので、6枚の彫刻の中から2枚を掲載

背面の胴羽目の上:(上側)鳳凰  (下側)応龍

 

左面の胴羽目の上:(上側)孔雀  (下側)水鳥

 

コメント:どの胴羽目彫刻も彫が深く、素晴らしい出来映えだと思います。