山梨県・真木諏訪神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年7月9日 山梨県大月市大月町真木の真木諏訪神社に参拝しました。

 

由緒

当神社の御祭神は建御名方命で、諏訪大社(信濃国一宮)の分霊が勧請され真木村の産土神として信仰されてきました。創建は不詳ですが、宝暦十年(1760)と寛政八年(1796)の棟札が保存されており、創立はそれ以前と考えられます。現在の本殿は文政十年(1827)に再建されたものです。彫刻は八王子出身の藤兵衛父子によって造られました。本殿は大月市指定文化財に指定されています。

階段と鳥居

 

拝殿

 

覆屋

 

本殿

 

右面の胴羽目:七福神
七福神信仰は、室町時代に京都が発祥の地とされ、七福神の神々の力をもって福運を授かろうとするものです。現在では大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の七神ですが、昔には、寿老人を福禄寿と同体異名として除き、吉祥天を加えていたこともあります。

 

背面の胴羽目:虎渓三笑
中国での浄土教の開祖である慧遠法師は来客を送る際、精舎(精進する者たちの舎宅)の下の虎渓という谷川で足を止め、川を渡ることをしない戒律「安呉禁足の掟」を守っていました。ところが詩人の陶淵明と道教の大家である陸修静が来訪して、三者でそれぞれの専門分野について話していた時、興が乗じて慧遠法師は思わず、虎渓を越えてしまいました。虎の吠える声を聞いて、それに気づき、三人とも大笑いをしたとのことです。
儒、仏、道の三賢者でも夢中になって、我を忘れることがあるという故事。

 

左面の胴羽目:司馬温公の甕割り
温公は司馬光といい、北宋の政治家。「資治通鑑」を書いた学者としても知られています。子供の頃、大きな水瓶に落ちた友達を助けるために、石で瓶を割りました。大切な瓶を割ったので叱られることを覚悟していましたが、父親は温公をほめて、改めて命の大切さを教えたと言います。

 

右面の脇障子:陳楠
人々が干ばつで苦しんでいると、陳楠は鉄鉢から龍を出し、雨を降らせ困っている人々を助けた。また、洪水で舟が進めなくても、陳楠は浮かせた笠に乗り渡る事ができた。

 

脇障子の上に龍が飛び出ている。

 

左面の脇障子:張果老(瓢箪から駒)
張果老は白い驢馬に乗って各地を廻り歩き、休むときは驢馬を瓢箪の中に収めていたという。

 

脇障子の上に駒(馬)が飛び出ている。

 

正面扉:高砂
九州阿蘇神社の神主友成は播磨国(兵庫県)の名所高砂の浦に立ち寄ります。そこに老夫婦が現れ、松の木陰を掃き清めました。友成は老夫婦に、高砂の松と住吉の松とは場所が離れているのになぜ相生の松と呼ばれるのかと尋ねました。老人はたとえ山川万里を隔ていても夫婦の愛は通い合うもので、樹齢千年を保つ常緑の松なら尚更であると答えます。そして、住吉と高砂の明神が夫婦であることを語り、自分たちが相生の松の精だと告げると、住吉で待つと言い残し、小船に乗り沖へと姿を消して行きました。友成が摂津国の住吉へ行くと、住吉明神が月下に降臨し、世の平安を言祝ぐ舞を神々しく舞うのでした。

 

中備:龍

 

龍の海老虹梁(右面)

 

龍の海老虹梁(左面)

 

コメント:素晴らしい彫刻でした。