山梨県・春日神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年7月9日 山梨県大月市七保町下和田の春日神社に参拝しました。

 

由緒

大同三年(808)七保町下和田百蔵山頂に「百蔵山春日大明神」と称し鎮座。徳治元年(1306)に山火事にて社殿炎上、その後文和二年(1353)山火事を恐れて神慮を伺い、東梨木戸の現在地に御遷座し、本殿は享保五年(1720)に改築されたものと社記に云う。現在の本殿は文化六年(1809)に新築、外壁彫刻は天保二年(1831)に施されたもので、文化財級の美事さで知られている。拝殿は昭和十四年(1939)に新築されたもの。

鳥居

 

拝殿

 

本殿と玉垣

 

本殿

 

右面の胴羽目:仙人の烏鷺  
樵夫が山中を迷っていると、2人の仙人が囲碁を打っているのを見つけた。木樵が対局を見ていると、仙人が「帰らんのか?」と声を掛けられ気づくと、悠久の時が経過していて、斧の柄が腐っていたという。

 

背面の胴羽目:桃園の誓い
劉備・張飛・関羽が酒場で意気投合したのち、張飛の自宅裏にある桃園で義兄弟の契りを結び、『我ら3人、生まれた日も時も違えどもここに兄弟の契りを結ぶ。心同じくして助け合い、困窮する者たちを救う。上は国家に報い、下は民の安らかな暮らしのため労を惜しまん事を誓う。生まれた日も時も違えども、死する日は同じ事をここに願うなり。』と言って、生死を共にする事を誓ったとされています。

 

左面の胴羽目:許由と巣父
聖帝尭が自分の天下を譲るという申し出を聞いた許由は、耳がけがれたといって川の水で耳を洗い、箕山に隠れたという。そして巣父は、そんな穢れた川の水を牛に飲ませられないと、牛を牽いて引き返したという。

 

 

 

右面の脇障子:寿老人 (西王母や寿老人は長寿を象徴する吉祥の画題として描かれる事からの推測)

寿老人は、長頭で杖と経巻を持ち白鹿を従え、人々に長寿を授けるという。

 

左面の脇障子:西王母
中国の西方にあるという崑崙山に住む仙女。仙女の世界の女王的存在る。不老不死の薬をもつ神仙といわれ、三千年に一度実る桃(蟠桃)の木を持っており、その実を食べると長寿を得るとされています。

 

右面の腰羽目:司馬温公の甕割り
温公は司馬光といい、北宋の政治家。「資治通鑑」を書いた学者としても知られています。子供の頃、大きな水瓶に落ちた友達を助けるために、石で瓶を割りました。大切な瓶を割ったので叱られることを覚悟していましたが、父親は温公をほめて、改めて命の大切さを教えたと言います。

 

背面の腰羽目:鯉

 

左面の腰羽目:唐子遊び--演奏

 

右面の木階:リスとブドウ

 

右面:李白観瀑  (左側に滝らしきものがある事からの推測)
李白は唐代を代表する詩人で、流浪の旅の途中で訪れた盧山の瀧を目の当たりに、自然のあるがままの様子に心打たれてただ立ち尽くしたという。

 

左面の木階:リスとブドウ

 

左面:菊慈童
周の穆王に仕えた慈童で、王の枕を跨いだ罪で辺境の深山に流された。しかし、少年に悪意のないことを知って憐れんだ王が、その枕に二句の偈(仏徳を讃えた詩)を書き添えて与えました。慈童がその句を菊の葉に写したところ、菊の葉に付いた露が不老不死の霊水となり、不老不死になったという。

 

正面の扉両脇に彫刻がある。

 

扉の左側:張果老 (頭の上に抱えた瓢箪から馬が出ています)
張果老は白い驢馬に乗って各地を廻り歩き、休むときは驢馬を瓢箪の中に収めていたという。

 

扉の右側:蝦蟇仙人の劉海蟾 (頭の上に蝦蟇を乗せていると思われる)
中国の列仙伝中の一仙人で、蝦蟇を使って妖術を行ったという。後足が一本しかないという三足蝦蟇を引き連れており、蝦蟇仙人の名称で知られる。絵画には鉄拐仙人と対幅に描かることが多い。

 

中備:龍

 

コメント:素晴らしい彫刻でした。