2022年7月9日 山梨県甲州市大和町初鹿野の諏訪神社に参拝しました。
由緒
鶴瀬、宮本、水野田、丸林区の土産の神であって、境内には本殿、拝殿、随身門と神木の朴の木、甲州街道の三本杉の一つに数えられていた巨木の切り株がある。本殿は、延享元年(1744)、南巨摩群下山村の棟梁、土橋文蔵により再建されたもので、県指定文化財となっている。
鳥居と随身門
随身
拝殿
覆屋
本殿
胴羽目3面で、竹林の七賢
中国 晋の時代(三世紀後半)は世が乱れて、役人達の生活態度は政治権力に盲従して、いわゆる汚職がはびこり、上役にはへつらい従って、形式的な上下関係や礼儀作法など、腐敗しきっていました。七賢人はこれを嘆いて竹林に集まり、役人達のあるべき道徳性を説いて、世論の中心的存在となったという。
右面の胴羽目:七賢人の内、2人
背面の胴羽目:七賢人の内、3人
左面の胴羽目:七賢人の内、2人
右面の脇障子の上に龍がいる
右面の脇障子:鐘馗
唐の玄宗皇帝がマラリアにかかり、夢で悪鬼に苦しめられるが、恐ろしい形相の大男が現れ、悪鬼を退治する。大男は「鍾馗」と名乗り、玄宗に跪いて「科挙の試験に落第したことで自殺したにもかかわらず、帝に手厚く葬っていただいた。その恩に報いるため参りました。」と話した。玄宗が夢から覚めると、病気が治っていました。この話は国中に広がり、鍾馗は道教の神や疫病除けとして祭られるようになったという。また、戦国時代には『鐘馗(しょうき)=勝機』の音が同じで縁起が良いとされ、旗印や陣羽織に鐘馗様を描いてげんを担いだ本多忠勝や前田利家などの武将もいました。
右面の脇障子の裏側
左面の脇障子:不明 鬼 (教育委員会の本殿の説明より)
左面の脇障子の裏側
右面の腰羽目:猿 木鼻:鹿
背面の腰羽目:馬
左面の腰羽目:牛
唐破風下:中国二十四孝 楊香? 中備:獅子 [2023.5.5修正]
ある日のこと、楊香は父と一緒に山へ薪を取りにいきました。すると、虎が出てきて父を食べようとしました。それを見た楊香は自分の身の危険もかえりみず、急いで虎の首に両手で飛びかかりました。虎は楊香の捨て身にの行動に驚いて逃去り、父は虎に食われることなく、助かったという。
正面の扉脇の壁:竹林と鶴