二年目の浪人生活は図書館に通って、ひたすら参考書とにらめっこをする。

さっぱりわからない。

だが時間はたっぷりある。

一日で一行を読み解いていく。

一日といっても図書館の業務時間内の話だ。

せいぜい8時間だ。

ひたすら席に座る。

席を立ってうろうろしないことがマイルールだ。

少しずつ理解していく。

一行一行読み解いていくうちに新しい法則を知ることができる。

地球を図る方法。

太陽を図る方法。

僕の鼓動を鎮める方法はいまいちつかめなかったが。

その鼓動を速めるたんぱく質の形がハートであること。

その濃度を想像する方法。

法則を知るうちに、本を読み解くと方法という法則をつかむことができた。

そうすると視界が少し広がった。

だが、それは、完全に社会的な時間を共有していな時間によって得た法則だった。

誰とも時間を共にしていないのである。

ひたすら、図書館の机にうっぷして時間を過ごす。

友達は皆大学生。

完全に取り残された、自分だけの時間だ。

二年で終わろうと考えるも、法則をまだ知りえることがあると思うだけであっさり3年目を決意する。

完全に社会的な目線を失っていたのだろう。

当時はフリーターという言葉があったが、実際、フリーターはごくわずかだった。

社会的な身分の名前が与えられていない人なんていなかった。

3年浪人するなどは実際考えられない。

20年浪人してましたとまではいかないまでも、

浪人の法則から、当時は確実に逸脱した数字だった。

しかし、その数字から逸脱しなければならない、ぼんやりした、直感という法則によって、

あっさり3年目も相変わらず図書館に通っていた。

いや、だが、厳密にいえば、完全に一人というわけでもなかったかもしれない。

二年目に顔見知りだった年上の、色の白い女の子が食事の休憩スペースで不思議そうに僕の顔を見ることがあった。

どうも、調子が狂う。

僕はそういうことからも取り残されたかったのだから。

でもどうしてだろう、なぜか時間が、流れる時間の速度が一緒なのだ。

どちらかが話しかける時間の定点を予測できるほどには、

僕は法則を知りえていたのだが。