愛着障害とわたし①~幼少期編~ | TSUKI NO URAGAWA~月の裏側~

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シンガソングライター/元小学校教員(歴12年)
ヒーラー養成スクール校長/四柱推命鑑定士

起業1か月で月商7桁、2年目で年商8桁達成
1000名以上のカウンセリング、20名のヒーラー養成

どん底から大逆転!夢を叶え続ける30代のリアルを発信

そもそものわたしの愛着障害の所以はなんなのか?

今日はそこを書いていきたいと思います。

愛着障害は家庭環境が大きく関わっていることは

ご存じかと思いますが、

じゃあその【家庭環境】っていうのも

千差万別。

 

 

 

 

 

こういうことを書くときに気を付けておきたいのは

【不幸自慢】にならないことだ。

一歩間違うと

【悲劇のヒロイン】や

【妖怪カワイソウ】になってしまい

【わたしなんて○○でした】的な

不幸の比べっこをする人が時々出てきてしまうゲッソリ

 

 

 

 

 

 

 

 

一つ大前提として伝えておきたいのは、

【幸せと不幸】ってのは

みんな平等にもっている

と、わたしは思っています。

(あくまでわたしはね照れ

 

 

 

 

 

 

 

だから

幸せと不幸は比べっこするものではないし、

(とは言っても、幸せそうな人を見ると未だに羨ましい~とか思ってる自分も時々いるけど(笑)

この人は幸せな人】で

【あの人は可哀想な人】ということは ない!

と思うのがわたしの考えです。

 

 

 

 

その前提でお話させてください。

自己開示ってリスクもあるけれど、

じゃあなんでするの?って言われたら

私自身が

 

「愛着障害ではない人から克服方法を聞く」

よりも

 

 

 

「愛着障害だった人から克服方法を聞きたい」

って思ったからです。

 

 

 

 

「だーにゃはそういう状況だったのね」キョロキョロ

「だったらわたしもがんばれそうだ」照れ

そんな風に思ってもらえたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長くなりましたが本題ニコ


わたしは千葉県の生まれです。

周りはまずまずの田舎町ですがそんな中でも

そこそこの住宅地で育ちました。

今は廃れてきつつありますが、当時は新興住宅地として

まずまず人気な場所でした。

 

 

 

 

 

 

 

周りは緑豊かというより

舗装された灰色のコンクリートの道が

神経質なくらいきれいに

家と家の間を区画整備していました。

 

 

 

 

 

だからなのかな、

小学生のころからお受験する子は多かったし

(自分はしなかったけれど)

今思えば、

“【子ども】という存在は、

【親のエゴ】で創られている“

なんかそんな感覚を子供ながらに感じていました。

 

 

 

そんな住宅街で

わたしは公務員の父と自営業の母のもとに育ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんかさ、ここまで書くと

【なーんだ、おまえ恵まれてんじゃん】

って思うだろうけど、

だからこそ

【誰にも気づかれないまんま大人になっちまった】

 

 

 

 

一見恵まれた家庭なんだろうけれど、

父親はいつも機嫌が悪く、

幼稚園の時から、楽しかったことを父に報告しようとして

話しかけたら

【うるせえ!!!!!】と、

怒鳴りつけられていた。

 

 

 

 

 

 

 

でも幼いころのわたしは、学習できなかったから

なにかいいことがあったときは

凝りもせず父親に話しかけては

怒鳴られ続けていた。

 

 

 

 

 

さすがに物心ついて、

【話しかけたら怒鳴られる】

って学習してから、父親と話すことはほとんどなくなった。

運よく機嫌のいい時に話ができたとしても

一言、二言目には機嫌を損ねて

怒鳴ったり大きな音を立てきて、

会話が成立することもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主には

暴言や

バカでかい音での恐怖

だったけれど、

それも立派な虐待だと思うし、

普通に殴られたり、物を投げつけられたときもあった。

わたしの成績は良いほうだったし、

絵や習字もよく入賞していたけれど

(幼いながらに親に認めてもらいたくって必死だった)

父親には一度も褒められたことはなかった。

それどころか、

人格を否定されるような言葉ばかり

幼い頃から投げつけられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一般的な家庭では

リラックスの場所としてのリビング

ワタシにとっては戦場であり、

恐怖の場所だった。

 

 

 

 

 

 

だから、家にいると

いつ父親がキレ始めるのかびくびくしていて

それがストレスで、

いつもイライラするようになっていた。

特に思春期の頃

小学6年~中学生くらいまで

いっつも気づくと

「死にたい死にたい」って呟いていた。

 

 

 

 

そこそこの人間関係は築けたし

それなりの友達はいたけれど

何かトラブルがあったときとか

カッなってしまったり

悪く受け止めすぎるクセがあって

いつも損な役回りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

辛くて

苦しくて

いっつも心の中がぐっしゃぐしゃで

友達といて笑っていても

心の中で真っ黒なわたしがいつもいて

 

 

 

 

 

 

 

どうして辛いのか

なんでこんなに苦しいのか

原因が分からなかったし

誰にもいえなかったし

誰にも気づいてもらえなかった

高校時代は進学校に通っていて

かなりギリギリで受かった学校だったから、

勉強についていくことに必死で

いつも勉強していた。

 

 

 

 

 

 

【勉強】って言えば怒られるリスクも少なかったし、

勉強していると無心になれて、その間だけは

胸のヒリヒリも薄れていたような気がする。

ある意味で精神安定剤だったのかな。

【いい大学に入れば、素敵な未来が待っている】

ってその頃は信じていたし、

 

 

 

 

ただひたすら未来を信じて

息と自分の心を殺して

必死で勉強していた。

ロボットみたいだったな。

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなが、

わたしの十代です。