慢性的な悩み VS お気楽思考
おはようございます。
断捨離のやましたひでこです。
相変わらず、細切れの睡眠が続く。
まあ、細切れでも眠れてはいるので。
そう、私、眠れなくても、
眠れないことで悩まないタチ。
これを、お気楽思考というのでしょうね。
さてさて、目が覚めて自分のブログにアクセス。
親切なアメブロさんが、一年前の過去記事をマイページにUPしてくれたので、コピー&ペースト。
よろしければ、どうぞ、おやすみ前に。
◇◇◇
モノを、
捨てるとか、
捨てないとか、
捨てたいとか、
捨てられないとか、
どうしたら捨てられるとか、
こうしたら捨てられるとか、
相変わらず、こんな「モノを中心」とした論議が花盛り。
もしも、これを断捨離だと思っているのならば、はっきりと言っておこう。
それは、断捨離もどきだと。
なぜなら、断捨離は、モノ軸思考ではなく、空間を起点とした、空間軸の発想であり、空間思考なのだから。
もしも、あなたが、慢性的に片づけられない悩みを抱えているとしたら。
あなたはの家は、今、住まいとは言えない。
あなたは、今、住まいに暮らしているとは言えない。
モノも、住まいも、元々は、
あなたの味方であり、
あなたを守り、
あなたを癒し、
あなたを元気づけてくれる、
そんな存在であり、あなたを悩ますものではないのだから。
けれど、今、あなたのモノも住まいも、
あなたの敵となり、
あなたを責め、
あなたを虐め、
あなたの元気を奪っている。
そんな存在に成り果ててしまっている。
あなたが、今、住み暮らしている空間は、
どんな有様なのだろう。
余計な雑多なモノたち。
余計な雑多なモノたちがひしめいている空間。
あなたの住まいは、
モノ置き場。
ゴミ・ガラクタの集積場。
それどころか、静かな戦いが繰り広げられている、
バトルフィールド、戦場になっている。
この事実に明快に気づいたならば、
この現状を明確に理解したならば、
「捨てる」議論も「捨てられない」考察も無用で無意味。
なぜなら、自分の大切な「砦という住空間」に、
余計な敵たちを、
留め置いて、
溜め込み続け、
まして、それら敵の居場所作り<=収納>をするなんて、
そんな無益なことに励む人など誰もいないはずだから。
<2017/09/25>
敵か、味方か、あなたの家は「住まい」とは言えない
https://ameblo.jp/danshariblog/entry-12313765134.html
我ながら、過激?な記事。
私やましたひでこは、こと断捨離に関しては、
のんびりとお気楽に構えてはいられない。
「慢性的に片づけられない悩み」
なぜなら、この悩みこそ、人生を無駄に消耗させてしまう元凶に違いないのだから。