バカラでアフタヌーンティーを”空間で懐疑的に夢を語る。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

バカラでアフタヌーンティーを”空間で懐疑的に夢を語る。

ごきげんさまです。

断捨離のやましたひでこです。

 

 

 

 

 

 バカラホテルのティールーム待合で。

 

 

 

マンハッタン、最終日。

 

その昔、オードリー・ヘップバーンの映画に、「ティファニーで朝食を」という名作があったけれどね。

 

桜子さんと私は、初日のセントラルパークでの野点、三昧琴、遊びにつづき、

https://ameblo.jp/danshariblog/entry-12380163000.html

「バカラでアフタヌーンティーを』と洒落てみる。

 

 

なかなかの贅沢空間、かなりの贅沢時間。

 

まあ、夢の時空間といでもいったらいいのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼間から、ロゼのスパークリングを飲んでとってもhappyな桜子&ひでこ。

 

接客担当のステファニー嬢がとてもキュートでチャーミング、しかも、丁寧、親切、それもいい気分の素。

 

 

そのせいなのか、おしゃべりは自然に夢談義へと。

 

とはいえ、「夢を語る」ことが性に合わず、「夢という言葉」に懐疑的なアタクシは、以前に書いた記事を思い出しまして。

 

 

◇◇◇

 

夢を持つ

夢を語る

夢を追いかける

 

「夢」とは魅惑的に響く言葉。もしかして、今、このモノ余りと情報過多の世にあって、一番の売れ筋商品は、この「夢」なのかもしれない。しかも、この商品、尽きることなく売り続けることが可能。つまり、夢が夢である所以は、それが叶っていないからであり、夢という言葉に心惹かれる者は、叶わぬ夢が叶うと聞かされれば、いとも簡単に攻略されてしまうものだから。

 

夢を持たない者は、夢を持っていると思しき人に憧れる。おそらくそれは、夢を持たない者は、自分自身をつまらないと思っているから。

 

夢を語れない者は、夢を語っているように見える人を羨む。おそらくそれは、夢を語れない者は、自分自身を面白くないと思っているから。

 

夢を追いかけられない者は、夢を追いかけているような姿の人を妬む。おそらくそれは、夢を追いかけていない者は、自分自身をあきらめているから。

 

つまらなくて、面白くなくて、あきらめている。

 

このように自己肯定感が低い人たちに「夢」という商品を売るのは簡単なこと。少しばかり自己重要感を刺激する言葉をキャッチコピーにすればいいだけのこと。

 

たとえば、こんなふうに。

 

あなたは、あなたのままでいい。

あなたは、あなたにしかできないことがある。

あなたは、無限の可能性がある。

 

 

一方、「夢」という商品を売る側はどうだろう。

 

ただ、夢を持っていると言い、夢を熱く語り、夢を追いかけているフリをするだけで商品構成は完了する。別に夢が叶っていなくても商品を準備することはできる。なぜなら、夢は叶っていないからこそ夢なのだから。

 

そうやって、「夢」の市場は成り立っている。

 

要は、お金持ちを夢みる人に、実際、金持ちでもない者が、その夢を共有することも、熱く語ることも、手にする仕方を云々することも可能。また、素敵なパートナーが現れることを夢見る人に、実際、NGなパートナーしか持っていない者が、その夢を共有し、熱く語り、引き寄せ方を伝授することも許される。

 

こうやって、夢市場ははびこる。

 

たとえば、占い業界、セラピー業界、コーチング業界に。そして、はたまた、スピリチュアル系、自己啓発系の業界の一隅に食い込み、ヒタヒタとその勢力を広げ、結果、「夢を叶える」をうたい文句にした書籍やセミナーが氾濫するのです。

 

 

さてさて、私たちの周囲を見回せば、実際、夢を叶えているように見える人はいくらでもいるだろう。

 

けれど、そのような人たちは、夢を夢として語ることはなかったはず。彼らは、夢を、自分の求めるもの、自分のやりたいこととして明確にしたはず。つまり、プランとし、予定とし、実行し、実現しているのです。

 

実際、憧れの地に行きたければ、企画を立て、予定を決め、そのための資金を貯めて出かけていくのです。実際、羨ましく思うものを手にしたければ、その情報を集め手段を講じて獲得していくのです。実際、妬ましく感じる存在がいれば、いかにその存在に近づけるか全エネルギーを集中して考え学んでいくのです。

 

そう、夢を夢として語っている間は、決して夢は実現することはなく

 

ましてや、夢を叶えてもらおうとする依存的な自分に気づきもせず、「夢を叶える」を標榜するセミナーを渡り歩いているとしたらなおのこと。

 

それにしても、思うことはこれに尽きる。

 

夢を語っている時の心地よさ、気持ちよさ。そうですね、私たちは、その気分のよさにずっと浸っていたいばかりに、夢を夢として置いておきたがるのかも知れないと。

 

 

◆夢市場の売り手と買い手。そして「叶える」人と「語るだけ」の人

<yahoo!ニュース やましたひでこ 2015/09/05>

 

 

おお、我ながら、意地悪な三年前の記事。

 

でもね、今もって、こう思っていることには変わりなく。

 

いけないかしらね、私。