昔も今も…『古事記』から変わらぬ夫婦問題、男女の神話 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

昔も今も…『古事記』から変わらぬ夫婦問題、男女の神話

おはようございます。

断捨離のやましたひでこです。

 

 

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君のためファイヤーボルトの百合ひとつ

 

 

 

 

 

 今、『古事記』を読んでいる。もちろん、現代語訳であることは言うまでもないが、とても面白く読んでいる。最初はコミック版で、次に易しく書かれたダイジェスト文庫本で、そしてようやく、徹底的に解説された分厚い一冊に辿り着いたといったところ。

 

 でも、何に往生するかと言えば、夥しく登場する神々の名前、しかも読むのも難しい漢字の羅列のそれ。そして、そうまでして『古事記』を読む理由は何かと言えば、自分の生まれ育った国の神話に触れてみるのも一興だと感じたからでもあるし、それ以上に、自身の民族の神話を学ぶ機会を、この年齢になるまでまったく持たなかったことを残念だと思ったからでもある。

 

 けれど、今日の記事は「古事記のすすめ」ではない。古事記に登場する神々の夫と妻の成り行きを読むにつけ、夫と妻とは、男と女とは、神代の時代から、なんら変わることなく現在に至るまで、諸々の不祥事があって続いているのだと可笑しく思えたから、また、以前にも増して増えている夫婦の問題の相談事と重なり合っていると思えたから、持ち出したまでのこと。

 

 「国生み」の役目を「天つ神」から示された伊奘諾(イザナギ)と伊弉冊(イザナミ)。「成り余れるところ」(体の一箇所が余って出っ張っているところ)と「成り合わざるところ」(体の一箇所が窪んでいるところ)をもって睦み合い、たくさんの「神生み」を果たした二柱(ふたはしら)の神も、最後は壮絶な夫婦喧嘩をして別離をしている。

 

 「国作り」を担った大国主(オオクニヌシ)は、多くの神々から求婚されていた八上比売(ヤガミヒメ)を妻として獲得していながら、須勢理毘売(スセリヒメ)と惹かれ合い結婚して、正妻として連れ帰っている。この恋多き神は、美しい沼河比売(ヌナカワヒメ)にも歌を詠んで求婚している。要するに、国を広げる最中、同時に各地の女性と交わり沢山の子作りにも励んでいた訳で。 当然、正妻の須勢理毘売は、悲しみもし、また嫉妬もする。それを大国主は、歌を詠んでおくりなだめすかしと、なかなかマメだったりもする。

 

 天照(アマテラス)の命を受けて天降だった邇々藝(ニニギ)は、見目麗しい木花之佐久夜比賣(コノハナサクヤビメ)に一目惚れしておきながら、木花之佐久夜比賣が懐妊すると、「たった一夜の交わりで妊娠するとは。きっと、それは自分の子でない」と疑う。その疑惑を晴らすための木花之佐久夜比賣の凄まじい出産劇。

 

 古代の神々も、夫と妻の関係は大変で、一筋縄ではいかなかった…

 

 ところで、過日、ある出版社の企画で、現在、夫と別居中の妻たちと座談会をする機会を持った。

 突然、夫が浮気をして家を出て行ってしまい10年以上別居生活を続け、今現在は離婚協議中の妻。夫のモラハラ・浮気が原因で3年前から別居中の妻。夫の酒癖と性格不一致で1年半前から別居している妻。

 

 三者三様の事情があっての別居。けれど、共通しているのはこれ。「夫はもう要らない!」。つまり、淡い期待で夫との修復を望んではおらず、きっぱりと見切っているのです。ただし、その心境に至るまでにどれほどの葛藤があったかは容易に想像できるというもの。

 

 それでも、離婚の捉え方が随分と様変わりしてきていることは確か。以前は、「夫を断捨離したい」という冗談とも本気ともつないレベルで、夫への不平や不満をならべ立てる相談者が多かったけれど、今は違う。確実に「見切っている」割合が増えている。

 

 そう、離婚をしたいと私に訴える妻には、「離婚を決意しているけれど、でも、どうしたらいいかわからない」という場合と、「離婚はしたいと思ってはいるけれど、本当は離婚を望んでいない」という場合の、実は二種類があるのです。ところが、当の本人が、自分がどちらのケースなのかわかっていないことがある。

 

 特に、後者はそれがほとんどで、結局は夫への愚痴を垂れ流すだけの自分に終始している。要するに、「したい」という願望と「する」という決意とでは、行って帰ってくるほどの人生の違いがあるのです。

 

 神話の時代、古代の時代から連綿と続く夫と妻の間に横たわる問題。ならば、どんな結婚をしようと、どんな夫婦であったとしても、避けては通れない問題が起きると心得ておいた方が賢明と言えないか。

 

 伊奘諾と伊弉冊のように、お互いが怒り狂って終止符を打つか、大国主と須勢理毘売のように、正妻は正妻としてのポジションをそれぞれが担保し合いながら睦まじい関係を築くか、あるいは、邇々藝と木花之佐久夜比賣のように、疑惑を意地で乗り越えて結婚生活を存続させるか。

 

 それぞれの夫と妻の有様が、それぞれの男と女の神話となるのですね。そのストーリーが語り継がれるかどうかはともかくとして。

 

 

<yahoo!ニュース JAPAN やましたひでこ>

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamashitahideko/

 

 

<追記>

 

文中の座談会の内容はこちらに収録してあります。

 

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