「結婚」と「夫婦」は別物だね ~新刊「夫婦の断捨離」明日発売! | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

「結婚」と「夫婦」は別物だね ~新刊「夫婦の断捨離」明日発売!

ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。

引き続き、凄いデザインの表紙の写真から。
そうだね、このゴチャゴチャ感も、見慣れてくるとけっこう馴染んだりして。
http://ameblo.jp/danshariblog/entry-11751077020.html

あらら、タイヘン、慣れとは怖ろしいもので^^;
まあね、だからカオス部屋でも暮らしていけるのだろうけれど。



でね、またまた、つらつらと考えてみる私、
そう、今更ながら断捨離って何だろうかと。

言いだしっぺの私やましたひでこが、
あらためて答えを出してみると、やはりこうなる。

断捨離とはコミュニケーション!

だって、断捨離とはすべからく関係性に焦点を当てるものだから。

モノとの関係
モノをとおした自分との関係
モノを介在させた他者との関係

そうだ、私たちはモノをやり取りしながら、
他者とのコミュニケーションを築くことだってするし。

だから、こうやって夫婦の関係を断捨離をもって、
考察することができる。

そうしたら、こんな考えが浮かんできて。

「結婚すること」と「夫婦になる」こと、
実は、次元の違うことではないかと思えたりして。

実際、誰かと結婚することは、
その誰かと夫婦になることなのだけど、
これはあくまでも法律上でのこと。

でもね、心理的にと、感情的にと、
それらの観点で見ていけば随分と中身は違う。

どうにも同じものだとカテゴライズするのに無理がある。

結婚とは、通過点という点に過ぎず、
夫婦となるということは、その点から始まる線なのだから。

線とは、日々の営み。
線であるかぎり、その線上では、
いたるところで通過しなればならない点があるはず。

その点は、あるいは人生の扉、関門と言い換えてもいい。

それは、時に喜びあふれるものであったり、
時に辛く大変なものもあるだろう。

さあて、どうやって扉を開き、関門を通過していこうか。

溜め込んだモノと溜め込んだ気持ちで、
つまり、コミュニケーション不全の夫婦と、
モノも気持ちも手放して軽やかな気持ちで、
つまり、コミュニケーションが機能した夫婦とでは、
通過の負荷も、その結果も随分と違ってくるはず。

そうですよね。

この本のサブタイトル、
「モノも気持ちも溜めこまない」

たしかに、溜め込んでいいものなど、
ひとつもないのがこの世界。


そう思う。

溜まったら、手放す。
手放しても、また溜まる。
また溜まったら、また手放す。

そう、新陳代謝。

モノにも、夫婦の住む空間にも、
夫婦の気持ちにも、新陳代謝があること。

それが、ごきげんなコミュニケーションとなるのでしょうね。

モノも気持ちも溜め込まない! 夫婦の断捨離
やましたひでこ著/すばる舎


◆『モノの捨て方』 更に重版決定!

断捨離流 素敵な出逢いがやってくる モノの捨て方
やましたひでこ著/KADOKAWA


有難うございます。
あなたとの出逢いにいっぱいの愛を込めて。





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