旅のお供は、美味しい本
断捨離のやましたひでこです。
大阪から札幌へ移動の日。
気前のいいホテルのフロントさんがUPグレードしてくれた、
やたらと広いスイートルームに別れを告げて、早朝、大阪伊丹空港へ。
なんとも混みあった空港だこと。
そして、到着した新千歳空港も、これまた人がわんさか状態。
そうか、北海道は観光のトップシーズンということか。
ところで、私の旅のお供は、「睡眠」か「読書」のどちらか。
で、今回は、「読書」の方!
はい、いつものように、爆睡している時間はないようで。
私とっての「本」は、まったく「お料理」と一緒。
そう、口にあえば、一気に平らげる、いえ、読みあげてしまうし、
読み始めてはみたものの、残念ながら口にあわなければ、
中途で残すこととなるわけで。
そうですね、「本」も「お料理」も、自分軸。
今の私にとって、「美味しいか」「美味しくないか」で、
読破となるか、完食となるか、なんですね。
だからね、「本」も「お料理」も、
そのものが批評や評価の対象となることはなくて。
だって、たとえ私が美味しく感じても、
美味しいと感じない人も場合もあるだろうし、
その逆、たとえ私が美味しくないと感じても、
美味しいと感じる人も場合もあるだろうから。
でね、このところ、とっても美味しくて、一気に食べつくし、
また、繰り返し味わっているのが、この方の著作の数々。
はい、どんな味かって?
この文章を読めばね、やましたが、なぜ嵌るのか、
自ずとわかるというものです。
-----------------------------------------
死と生の象徴が意味するように、聖なるリズムの節目には
古い自身を捨てることが自然の法則にかなっているからだ。
古い思い、古い観念、執着心、うまくいかなくなった物事、
マンネリ化したと感じられる対象や物、滞ってしまった心や体の状態、
それらをいさぎよく捨てることを、あなた方の魂はこれらの時期に望むのだ。
それらを捨てれば捨てるほど、魂はその節目に新しきを得る。
あなた方の中でも、目を見張るような進歩をする人がいれば、
その人を観察してみるがよい。
彼らは例外なくこれを無意識に実行しているはずだ。
千賀一生「ガイアの法則Ⅰ」より
---------------------------------------------
いかがですか、
味わってみたくなりませんでしたか?