伊予小松の八咫烏だんじり(後編) | 樂車道樂のお旅所巡礼/DanjiriDouraku

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(続き)

南川の集会所にだんじりが到着してすぐに
私も集会所の中に通された。
どうやら先刻のカツ入れの唄が
気に入ってくれたようで
青年団長の方からお昼の食事に招かれた。



中に入ると
たくさんの八咫烏の法被がずらりと座っていた。
老若男女入り混じって
とても盛り上がっていた。
私は青年団長さんの近くに呼ばれ、
屋台や祭りについての話題に花が咲く。
配られたお弁当もとても美味しい。

正面や隣に座っている若衆とも
いろいろと話しながら
楽しい時間が過ぎていった。

食事を終え、集会所の玄関に戻ると
ちょうど宮司さんの神事の最中だった。
宮司さんは足が悪いようで
車椅子で神事に臨んでいた。



半日通して延べ十数か所になるだろうか、
宮司さんは車椅子とタクシーを
相互に乗り分けながら
もう十月の後半だというのに
強い日の照りつける夏と同じ猛暑の中
幾度も立ったり座ったりして
淡々と過酷な神事を続けていった。

神職というのは かくも大変なものなのかと
今ごろになって頭が下がる思いだった。



お昼を過ぎて、
 神事が終わると だんじりが再度出発した。
止まらない汗でぬらついた額を何度も手で拭きながら
神輿のあとに続くだんじりを追いかける。
ふと気づくと いつのまにか
学校を終えたであろう若衆と
小若衆のチビッ子たちも屋台の周りに群れていた。

午前中は鳴っていなかった鉦の音も入っており
自然と唄われ出した伊勢音頭。
あとはこれで台車を外して
若衆の肩で担げば完璧なのだろうが、
若衆たちはまだ数が少なく
ちび若衆は数は多いがあまりにも若すぎた。

まあそれでも
午前の静かさと対照的に
南川のだんじりは
すっかり祭り屋台としての賑やかさを纏っていた。



だんじりの軽快な囃子に併せて、
揚々と歌い上げられる若衆の数々の祭り唄。

「 だんじりが生き返った 」

そう思いながら、
三日間続いてふらついた足を頼って
やがて来るであろう祭りの終わりまで
撮りきることにした。



途中、少し足を休めて座っていると
先刻の青年団長の方から
とても光栄なものを首にかけられた。
私は南川の若衆のひとりとなっていた。



その後も 何度目かの神事をくりかえして
神輿はようやく もとの神社に到着した。
長い急坂を上って、拝殿まで到着し
宮司さんが最後の神事をする。

御供の南川だんじりは
鳥居が小さいので上まであげることができない、
神域の下の鳥居の前に据えられて
若衆の戻りを待っていた。



やがて戻ってきた青年団の人たちとともに
祭りの記念に屋台の撮影をする。

失敗ができないのでプレッシャーが強かったが
なんとかきれいに撮影枠に全体を納めて
数枚シャッターを切る。
これは後日、プリントしたものを
青年団の皆さんに送ることになった。



こうして
すべての祭りの一部始終を追った旅の記録も
大きな怪我もなく終わりを迎え、
南川の青年団のかたがたに何度もお礼をして
今回の撮影の予定をすべて終了した。

これまでも何度かの撮影のたび
地元の方々の有形無形の暖かい心遣いに
 いつも深い感動と申し訳なさを覚えるも、
気づけばもう年齢も若くなく
今ではまともに屋台に追いつけない
ポンコツの身となった私にとっては
これが現在の祭りとの関わり方となっていた。

今回は
南川青年団の皆さんと過ごし
数時間だけども何日分にも相当した
密度の濃い時間を帰りの電車の中で反芻し

いつか
あのちび小若衆たちが
わが地元のだんじりを肩で舁き
差し上げられるようになれた日に
もう一度、撮りに来ようと思いながら

もう遠く過ぎ去った祭りの記録を
何度も眺めなおしては
ホテルに戻り帰路の支度をした。

「次はどこの祭りを撮ろうかな」、

そしてもうそんな事を考えつつも
長い白日夢のようだった今年の祭りを終え、
日常への帰路についた。


最後に、
南川青年団のすべての皆様に
あらためて感謝の意を表明して
今回の祭りの記録を
 締めくくることにした。


団長N氏はじめ南川青年団の皆様、
本当に有難うございました。