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「文章」を書くということは、「わたし」がなにかを感じたり、思ったりして、そのことを直接に、紙の上に、文字として連ねてみる、ということではありません。
「わたし」の中に、存在している、希薄な「わたし」に助けてもらって、この世界がどんな風になっているのかをより深く知ることなのです。
本書は、大学教授、作家である著者の、明治学院大学での実際に行われた13日間の講義内容を記したものです。
生徒に課題作文を交え、フランクな生徒とのやりとりを通して講義を進めています。
カフカ『変身』、日本国憲法前文、オバマの演説などの「名文」の例を使って、「文章」に対する考え方を説いています。
「名文」を書くノウハウを教えてはいません。
「ことば」に向かう気持ちを説いています。
こんな授業受けてみたいと思います。
惹きこまれる、必読本です。
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自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。
自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は考えないこと。・・・・・・
少なくとも1日1回は、もし自分が、旅券をもたず、冷蔵庫と電話のある住居をもたないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。
――スーザン・ソンダク
人間は、放っておくと、自分のことしか考えません。
考えられないのかもしれません。
自分のことを考えるのは簡単で、容易だと思っているからでしょう。
でも、自分のことに熱中すると、狭い自分だけの世界に閉じ込められてしまいます。
なにかを考えるということは「ことば」を使ってなされています。
なにかを表現することは「ことば」を使っておこないます。
せっかく「ことば」という、遠くまで、無限に旅することができる道具を持っているのに、その道具をすぐ手の届く、自分のことだけにしか使わないのは、もったいないのです。
自分のことばかり考えてはだめなのです。
自分以外の誰か、もしくは、なにか、になってみる、想像してみるということが必要なのです。
「ことば」による考えを広げると、「自分の考え」も広がります。
「自分の考え」が広がると、「文章」も広がります。
おとなは、子どもにおもちゃの使い方を懇切丁寧に教えるべきではありません。
彼らにそれが使える場所を提供し、後は、放っておけばいい。
それは、おもちゃで遊ぶことであろうと、文章を用いてなにか大切なことを書く場合であろうと、まったく同じことなのです。
まず、触ってみることです。それから振り回すのです。
著者は以前、小学校5年生に「文章」を教えたことがあるそうです。
そのときは教える必要がまったくなかったそうです。
驚異的な「名文」のオンパレードだったのです。
どころが、そんな「名文」を書くことができた子どもたちも、おとなになるに従って、書く文章が下手くそになってしまうのです。
自分のことばかり、自分の目に付くものばかりに思考が集中してしまって、当たりさわりのない、つまらない「文章」になってしまうのです。
自分の中にもともと存在している能力があるのです。
それを押し込めてしまっているから、「ことば」が出てこなくなっているのです。
自分と同じで、自分の文章には欠陥も美点もあります。
大事なのは「ことば」に向かう純粋な気持ちなのです。
「名文」は自分の中に潜んでいるのです。
「文章」の中には、あなたたちがいます。
あなたたちの「声」があります。
上手くいかなかった場合でも、そうなのです。
ならば、それで十分なのかも知れません。
目次
・「名文」を書けるようになるための準備、それから「卑劣な男は叱りつけてやりなさい」というような素敵な文章を読んだ後は、とりあえず窓の外を眺めてみる、ということ
・「自分らしい文章」を書く、ということ、それから、「感想文」は5点でもかまわない、ということ
・まず「私」について書いてみること、でも、「私」についていろいろ考えてみることの方が「文章」を書くより、実は、大切なことなのだ、ということ
・「私」はこの世にたったひとりだけど、でも、実はたったひとりではない、ともいえる、ということ
・最初の課題は「自己紹介」、それから渋谷で、1本の、観客がほとんど入っていない映画を見た後で、「文章」というものについて考えてみる、ということ
・「文章」には絶対引用できない特徴というものがあるということ、「人生」の長さと「文章」の長さについて、一度は真剣に考えてみるべきだ、ということ
・「文章」というものは、いったいどこで書かれるべきなのか、世界の「外」なのか、世界の「中」なのか、それとも…
・「自己紹介」は、自分を紹介するための「文章」なのに、自分を紹介しない方がずっといい、ということについて
・「自己紹介」の「文章」にとって、「情報」は少なければ少ないほどいいのかもしれない、それがAV嬢の「履歴書」の場合でも、ということ
・「ラヴレター」を書く、その前に、まず、ストリップで性器を前にした時には、社会にかけさせられたサングラスをはずして「見る」必要がある、ということ〔ほか〕