「桶狭間の戦い」
4万といわれる大軍を引き連れた今川義元を、織田信長が10分の1程とも言われる軍勢で本陣を強襲し、今川義元を討ち取って今川軍を潰走させた。
勝利した織田信長が天下統一に向かう大きな契機となった。
「桶狭間の戦い」は、日本の戦国歴史上、最もインパクトのある、非常に有名な戦いです。
今回は、その戦いに関する2冊を紹介します。
1冊目は、「桶狭間の戦い」の本当の史実とは何かを問う内容です。
2冊目は、「桶狭間の戦い」を舞台にした、歴史ミステリー小説です。
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【信長の戦い1】桶狭間・信長の「奇襲神話」は嘘だった (新書y)/藤本 正行

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「桶狭間の戦いは、正面突破である」
信長はどのようにして今川義元の大軍を破ったのか?
これについては、長い間、信長が豪雨の中、迂回路を通って義元の本陣に密かに接近し、奇襲をかけたものとされてきた。
しかし、この話は史実ではなく、後世の人間による創作であったのだ。
信長は正面突破で義元の軍を破ったのである。
■歴史はロジカル
著者が「正面突破説」を26年前に提唱して、
「迂回奇襲でなかった」ということはほぼ定説になっている。
「人数の劣る信長が義元の大軍を正面攻撃で破れるはずがない」
相変わらず出てくる数々の新説に対して、本書は、自説の論拠を示している。
一級史料に基づいて、綿密な推理小説にように一つひとつ解いている。
まさしく、ロジカルシンキングで真実を追究している。
■史料の裏付け
その論述の典拠として「信長公記」と提示している。
「信長公記」は、信長の家臣で、戦いの当時34歳であった大田牛一が著した信長の伝記である。
その史料価値の高さには定評があり、懐疑的な文献史家にさえも、著者の説が注目されたのはこうした史料的な裏付けがあったためである。
■「奇襲神話」の影響
桶狭間を迂回奇襲するという話は、江戸時代に創作されて普及し、明治以降も史実として引き継がれた。
劣勢な側が迂回して急襲をかけ、優勢な側を破るという図式が、日本人の常識になった。
それを昭和の戦争で使い、日本軍は終始、迂回・奇襲に固執した。
桶狭間神話を創作と知らず、これを史実と信じて実際に戦い、斃れた人間が数え切れぬほどいたことを思えば、歴史研究に携わる者は等しく自らの戒めとして、歴史家の責任と考えるべきだろう。
■結果論への警鐘
裏付けのない説がこれほど広まったのは、なによりも結果を知っている後世の人間が、結果にあわせてわかりやすい筋書きを書いたからである。
こうした結果論ほど納得しやすく、大衆に受け入れられやすいものはない。
本書はそうした現状への警鐘でもある。
■目次
第1部 桶狭間の死闘は正面攻撃だった!
(『信長公記』が伝える戦いの実相信長・義元の戦いを総括する)
第2部 戦国合戦の「定説」を疑う
(戦国大名の戦いのパターン今川義元は天下を目指したのか? ほか)
第3部 桶狭間をめぐる「新説」の登場
(『甲陽軍鑑』を典拠とした「乱取状態急襲説」織田軍別働隊による「迂回奇襲説」 ほか)
第4部 「迂回奇襲神話」の誕生と参謀本部
(誤った「教訓」を生み出した『日本戦史・桶狭間役』)
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空白の桶狭間/加藤 廣

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桶狭間の戦いは、信長が降参すると見せかけ、秀吉と配下の蜂須賀小六を中心にした“影の人々”が今川軍団を壊滅した。
桶狭間の勝利は、秀吉の密略であるとする内容である。
この奇跡の勝利を手にした後、策略による勝利を隠すために、
信長が「桶狭間神話」を捏造したとしている。
秀吉の才覚が光る、山岡荘八の「豊臣秀吉」を彷彿とさせる内容である。
豊臣秀吉〈1〉 (山岡荘八歴史文庫)/山岡 荘八

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