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発売日:2008年7月10日
☆☆☆☆☆
日本人にも興味のある人物はいるが、しかしなんと稀であることか!
ゴンチャーロフ
幕末の1953年7月、ペリーが浦賀に来航しました。ロシアでは前年その情報を入手し、海軍中将プチャーチン提督が遣日使節に任命され、1952年10月長崎に来航。
目的は日本との通商交渉と、サハリンでの国境制定であり、これが「北方領土」の最初の交渉でした。
プチャーチンの秘書官として来航した、小説家ゴンチャーロフ。
この本は、彼が、実際の見た日本との交渉の過程と、表現者の目で観察された日本、日本人、日本の風景について詳細に書かれている幕末模様です。
その当時、ロシアはクリミア戦争中であり、場合によっては来航した船も戦闘に向かわなければならない。できるだけ速やかに交渉を進めていかなければなりませんでした。
しかし、ロシア使節団に対して日本側がとった態度は、ひたすら延引策。
長崎での交渉は、日露両文化の衝突の場でもあり、お互いに誤解が誤認、根拠のないうぬぼれの心理が働いている、その交渉の模様が詳細に書かれています。
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日本人の描写
日本検使のロシア船来訪(P107)
大部分の者が眠そうにものうげに眺めている。日本人はもはや何事にも感動せず、この群集には、思索する人々の群れにあるべき不断の理想も目的もなく、ただ食って寝て、それ以上何ひとつせず、こうした生活に慣れきってしまって、それを好んでいるのがわかる。
生きているのか死んでいるのか(P155)
眉一つ動かさず、視線一つ流さなかった。これらの人影は、呼吸しているのか、瞬きしているのか、つまるところ彼らが生きているのか、人声もせず、はっきりしなかった。・・・・
何たる顔つき、何たる表情!一人として私たちの方を見ようとせずに、あくなき好奇心を見せて私たちを目で追うものもいない。彼らには四十年来こんなことは皆無であったろうに、それに自分たちと同類の仲間以外の人間を見たものはほとんどなかったであろうに。ところが、彼らはみな壁か床に目を据えて、誰がいっそうあほ面になれるか賭けをしたように見えた。
日本人の奇妙な表情の分析(P164)
彼らは、習慣として上司の前ではできるだけ馬鹿に見せかけることになっているらしい。だかれ、敬意を表してあほ面を装っている者が、そこにはたくさんいたのである。
日本人の奇妙な挨拶(P296)
私は、日本人がまっすぐな姿勢で歩いたり、あるいは立っていたりするのを見かける機会がなかった。必ず身体を半ば前に屈めて、両手はたえず膝の上に保ち、まるで誰にお辞儀をしたらよろしいでしょうかと方々を見回すのである。
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ロシア人が見た、日本人の平面的な東洋人の特徴の顔つきが、無表情に見える影響もあるのでしょうか?日本人の「無気力さ」には、がっかりします。
上司に向かっての「あほ面」も、見るに耐えないレベルのものであったのかも知れません。
役人たちに対しても痛烈に批判をしています。
「旧弊を固守する頑迷な下僕そっくりで、どうにも叩きなおすすべもない」
遅々として進まない交渉の苛立ちも日本人の評価を低めている要因の一つでしょう。
わずかとはいえ、評価している日本の高官がいます。
べた褒めしています。
「いかなるヨーロッパの社交界に出ても、その俊敏で健全な知性と巧みな弁論術のゆえに傑出した人物たりえるだろう」
でも、結局は、西洋の先進国としての高みから、長い鎖国状態で国内が停滞していた日本を、眺め下ろしている、軽蔑の視線が感じられました。
先日、「幕末史」という本の書評を書きました。
ペリーの来航の様子も書かれていました。
日本国内から見ると、幕末は、勇敢な、勇ましい人が多いように思えます。
でも、多くの一般人はそうではなかったのかもしれません。
「眠そうな」日本と日本人
幕末の日本、きっと、開国が必要だったのでしょう。
目次
第1章 小笠原諸島
第2章 1853年末と1854年初頭の日本におけるロシア人(その1)
(長崎港に入る日本人の初訪問 ほか)
第3章 1853年末と1854年初頭の日本におけるロシア人(その2)
(相互の贈物新しい顔ぶれ ほか)
第4章 琉球諸島
(海岸の景色泊津 ほか)
幕末史/半藤 一利

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