正義は時として変わる! 「幕末史」 | フォトリーディング読書感想文

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幕末史/半藤 一利

¥1,890
Amazon.co.jp
発売日:2008年12月20日
☆☆☆☆

「幕末ぎりぎりの段階での薩長というのはほとんど暴力であった」

『ノモンハンの夏』で山本七平賞、『昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した著書が、2008年3月から7月まで12回にわたって、慶應丸の内キャンパスで行った特別講座の内容をまとめたものです。

黒船来航、江戸開城、維新、西南戦争が終わるまで、目まぐるしく変わる日本が語られています。
断片的に認識していた歴史が俯瞰出来ます。


■反薩長史観
薩長は決して正義ではないとする「反薩長史観」の目線で書かれています。
幕末のから明治ヒトケタにかけて政争のなかで、薩長は徳川にかわって天下に号令をかけている、としきりに言われていました。
薩長と徳川との戦いが、天皇と徳川との戦いにすりかえられ、徳川の東軍は逆賊扱いをされていたのです。

明治維新は薩長の暴力革命なのである。
薩長は自分の戦略の都合で、正義と不正義を区分けしたに過ぎないのです。


■勝海舟の存在感と人間力
坂本竜馬、西郷隆盛など幕末の志士の中で、勝海舟は群を抜いている。

下級武士からの出世、その行動。
目を付けられて謹慎、切腹かと思いきや再登用、その繰り返しにも腐らない精神力。
そして、敵陣に平然と乗り込む大胆さ。
交渉の上手さ。
自らの置かれた立場での的確な対応。
どれをとっても傑出して、バランスがとれている。
そして、誰より、真の日本を強く思っている。

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長崎海軍伝習所の二百人(p62)
・勝さんもそのつもりで、幕府のため、なになに藩のためといった考えを超越して、我が日本国のために海軍を作ろうとひたすら励んだのです。

咸臨丸が太平洋に乗り出す(p95)
・各藩の青年たちのとって、何々藩という意識から離れ、日本国という一つの国としての一体感を描くチャンスとなったこと。
・西洋の合理主義的な考え方、つまり軍艦や操縦や大砲を撃つには、数学や物理学の基礎知識がないとだめであることを知りました。
・それまで守ってきた封建的な身分制度に関係なく、いわゆる能力による人材登用の機運がはっきり現われた。


将軍江戸に逃げ帰る(p287)
・これから自分がやろうとしていることは徳川のためではない。いわんや薩摩、長州のためでもない。我が日本国のための大事業なんだという気持ちがあったに違いないと思います。幕末にはずいぶんいろいろな人が出てきますが、自分の藩がどうのといった意識や利害損得を超越して、日本国ということを大局的に見据えてきちんと事にあたったのは勝一人だったと私は思っています。

勝海舟と西郷と竜馬(p177)
・最初は「このやろう」と頭から叩いてへこましてやるつもりで会いに行ったところ、論破するなんてとても無理で頭を下げた。佐久間象山など問題にはならない。はるかにできた人物である。政治的危機などに直面したときには勝先生しかいない・・・・それぐらい西郷さんは勝さんにほれたわけです。

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多くの人がが入り乱れ、日本が大転換を遂げた二十五年間の歴史です。

「政府とか政権というものは、相対的で、いくら大義名分を振りかざしてみても、時として変わってしまう」

激変の幕末を眺めるとよくわかります。


目次
「御瓦解」と「御一新」
幕末のいちばん長い日-嘉永六年(一八五三)ペリー艦隊の来航
攘夷派・開国派・一橋派・紀伊派-安政五年(一八五八)安政の大獄
和宮降嫁と公武合体論-文久二年(一八六二)寺田屋事件
テロに震撼する京の町-文久三年(一八六三)攘夷決行命令
すさまじき権力闘争-元治元年(一八六四)蛤御門の変
皇国の御為に砕身尽力-慶応二年(一八六六)薩長連合成る
将軍死す、天皇も死す-慶応二年(一八六六)慶喜将軍となる
徳川慶喜、ついに朝敵となる-慶応四年(一八六八)鳥羽伏見の戦い
勝海舟と西郷隆盛-慶応四年(一八六八)江戸城の無血開城
戊辰戦争の戦死者たち-明治元年(一八六八)会津若松城開城
新政府の海図なしの船出-明治四年(一八七一)廃藩置県の詔書
国民皆兵と不平士族-明治六年(一八七三)征韓論に揺れる
西郷どん、城山に死す-明治十年(一八七七)西南戦争の勝者
だれもいなくなった後-明治十一年(一八七八)参謀本部創設