幼稚園の職場でコロナか風邪のウイルスのようなものに感染し、クラスの7割の子供と先生と共に一週間ダウンしておりました。
さらに翌週はそれが原因で、治りかけの片頭痛が再発し、これまたダウン。
これで終わるかと思いきや、突然声が出なくなってしまいました![]()
3週間連続でダウンなんて、本当にもう勘弁してほしい!仕事もあるし、幼い子供も二人もいるのに、コミュニケーションできないなんて。。。
(↑この木、怪獣にみえませんか???)
この声が出ない風邪、甘く見ておりました。
ガラガラ声というんじゃないんです、「あ―」といっても空気しか出てこない。どうしても話さないといけないときは、ヒソヒソ?コソコソ声は出るんです。それが唯一の救い。
今回、声が出ないって、こんなに大変なことなんだと痛感したので、この思いを忘れないために今日、ここに書き記しておきたいと思います。
まず、他人に理解されない。
こっちが必至で話しているのに、
夫にこそこそ声で話したら、「なんでそんな話し声してるんだ?ふざけてるのか」と言われました。
幼稚園の子どもにも「なんでそんな話し方してるの?わざと?」と同じようなことを言われました。
そして、普段私たちはどれだけ視覚でなく、聴覚のみでコミュニケーションしているのかを思い知らされました。
職場の廊下ですれ違ったとき、“Hi!”って言われて、“Hi!”って言い返すときにはもうその人は後ろを向いています。普段声の出るときならそれでもOKなのですが、何せ声が出ないし、その声が届かないので、“Hi!”って口パクで言っても、こちらを見ていない相手にはそれは見えず、聞こえません。つまり私はその人を無視したことになります。そんなことが何回もあり、「こっちを見て!!!」とどれだけ叫びたくなったことか。でももちろん声は出ない。
またある同僚が「あれ、Aくんつなぎの服着てないけど、今日は何を着てるのかな」と質問したので、私は「雨具を着ていますよ」と言いたかったのですが、その同僚は私のことを見ていなかったので、結局それが伝わらず、その人は10M も先のA君のそばまで行って、その子の洋服を確認しに行きました。そのとき手をパンパン!とやって「こっち向いて!こっち聞いて!」と叫びたくなりました。でも手をパンパンとやるなんてそれもちょっとおかしい。
また7m先にいる子どもが泥水をスコップで飲んでいるのを見かけて、「汚いからのんじゃだめだよー!」と注意したかったのですが、声が届かず、これも直接近くに行って、スコップを取り上げるしかありませんでした。
上司に声が出ないことを説明しようと思ったのですが、声が出ないので、それもジェスチャーと口パクでしか説明できず、ジェスチャーと口パクだと多くても2~3文。それ以上細かく説明したくても、声が届かないし、ジェスチャーのしようがないし、結局途中で話をするのを諦めました。
とにかく幼稚園での仕事は、コミュニケーションだらけ。しかも声だけに頼ったコミュニケーションがこれだけ多いことに驚かされました。声が出ないのがこんなに不便で、気持ちが伝えられず、こんなに苦しいとは。
発達障害でごもったように話す子どもや、聴覚障害があり手話を使う子どももいますよね。そういう子たちの気持ちが痛いほどわかった一日でした。
伝えたい思いがあるのに伝えられない。
必死で伝えようとジェスチャーで手を広げて、こうして、こうして、こうしてね、と身振り手振りをしたり、無理やり声を出したり、もうそれだけでどっと疲れて、片頭痛が戻ってきてしまいました。
とてもいい経験になりました。ハンディを抱えるというのは、私たちの想像以上に苦しいものなんだ。それを私たちは全く理解できていないと思っていないといけないな、特別な配慮がいるなとつくづく感じた一日でした。




