とのこと。
「生まれて一度も生家を離れたことがない。ほかの町で生活することは考えられない」
「(高齢のため)避難所に行ったら足手まといになる。放っておいてほしい」
など当然の心境だと思います。
生業を頻繁に変え、自宅の住所や電話番号をようやく憶えるたび次の引越しとなったり、夜中に目が覚めると自分はどこの国で暮らしているのか一瞬考えてしまう私自身としては被災者の方々の心情は推し量るしかないのですが。
一般的に言って日本の場合、新興住宅地や流出入の激しい都市部は別として、人と人の繋がりは主にその地域で生まれ育った経歴を背景としているので、その地域を離れることは、社会的繋がりを絶たれてしまうことになります。
阪神淡路大震災でもこうしたことが見られましたし、また、今回の震災で住む家を失った人、放射能の影響のため退避を余儀なくされた人はまさにこうした事態に直面しています。
各自治体が現在のところ、災害対策基本法の柔軟な運用(罰則を適用しない、食料援助を続けるなど)をしていることが唯一の救いです。
こうした地域社会の存在が日本の多種多様な伝統的文化(地域毎の言語や農林漁業、芸能、工芸、冠婚葬祭、土木建築などの様式)を守ってきたことも見逃せません。
日本を日本たらしめている重要なことなので何か良い解決策はないものでしょうか?
その一方で守るべき文化(母国の文化は別として)のほとんどない(先住民をひたすら排除し続けた)いわゆる移民国家は引越しについて合理的な仕組みができあがっています。
単に働き口があるから、というだけで日本人の感覚でいえば那覇から札幌に引っ越すようなことを何のためらいもなくします。
家具などはほとんど作りつけですし、電化製品、食器、衣服などの生活用品も思い入れのあるもの以外はチャンスとばかりに古道具屋やガレージセールで売り払ってしまうので、引越し荷物は非常にコンパクトです。
中古のものが車にしろ生活用品にしろ値段が経年と共に急激に下落するということがないので損失はほとんどありません。
家も日曜大工で手を入れたものは逆に高く売れます。
引越し先ではあっという間に逆の手順で住環境を整えてしまいます。
引越し先で必要となる人と人の繋がりも、どこの町にもある自分の趣味のクラブ(ゴルフ・テニス・ボーリング・スカッシュ・水泳・自動車・文芸・園芸・歴史・ペットなど)や同国人の互助組織、信仰する宗教の教会・礼拝所(特にカトリックやイスラム教は強力な互助組織になっています)が提供してくれますので、そこにコンタクトをとるだけで地域の生活情報などがたやすく手に入るとともにその過程を通じて友人もすぐにできます。
彼らはfriendということに年齢は気にしませんので定年退職者と小学生が友人などということもあります。
子供を持つお母さん同士で固まるということもありません。
毎回大量の荷物を送り込んでくる日本人駐在員とその家族を見て思っていたことです(^_^;)