イエス様との対話 -9ページ目

かたくなな心

おはようございます。

中学生とのみ言葉クラス・・ローマ2:1-11の続きです。
**第五節**
あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、
あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、
自分の身に積んでいるのである。
***

わたしたちはみんな人間です。
怒ることもあります。
人を非難してしまうこともあります。
絶対に人を裁かないように・・ということを要求されても、そんなことは無理です。

しかし人を裁いたり、非難したり、腹を立てたりした時、
聖霊のささやきに対して心を開き、裁きを祈りに喜んで変えるのか、
あるいは、聖霊のささやきに対して心を頑なにしてしまうのか、
そこが重要です。

神の愛の御霊は忠実です。
たといわたしたちが完全に神の愛の霊から外れ、
自己正義の内に、「正当に」誰かを非難していたとしても、
主の御霊は、わたしたちの心の奥に「愛し」「許し」「理解し」・・・
また、たとい理解できなくても、主に信頼するようにささやきます。

主よ、そのささやきを心に感じるとき、
どうか、それに対して心を頑なにしませんように・・
あなたの御霊の愛のささやきによって、心をやわらかくさせてください。
イエス様のお名前で祈ります。
アーメン


慈愛と忍耐と寛容との富

慈愛と忍耐と寛容との富

おはようございます。

中学生とのみ言葉クラス・・ローマ2:1-11の続きです。
**第四節**
それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、
その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
***

主は、あわれみに富み、めぐみふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでです。
(詩篇103:8)

主は、主に心を委ねる者を悔い改めと成長に導いてくださいます。
だから、どうしてわたしたちは人をさばくことができるでしょうか?
主の慈愛と忍耐と寛容の富は計り知れません。
それは人知を遥かに超えたものです。
たとい、わたしたちの人間的な理解では、「さじを投げる」以外に何もできることはない・・
と思ったとしても・・・
また、たといすべての状況からして、誰が見てもそういう状況だったとしても・・
神には、不可能はありません。

ハレルヤ! 主の慈愛と忍耐と寛容の富の故に、主を褒め称えましょう!!


主は立たせることができる。

主は立たせることができる。

おはようございます。

中学生とのみ言葉クラス・・ローマ2:1-11の続きです。
**第三節**
ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。
あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。
***

悪魔は常に非難するものです。
それがどんなに正しかろうと、他の人への「非難」、あるいは自分自身を非難する声は、
神からのものではなく、敵である悪魔からのものです。(黙示録12:10)

主の御霊は、その叱責がどんなにきつくても、必ずその人を支え、立ち上がらせてくださいます。
聖書にこうあります。
***
ローマ14:4
他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。
彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。
しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。
***

アーメン。 
その人は、主のものです。
そしてわたしたちの目に、その人の過ちがどう映ろうと、主はその人を立たせてくださるでしょう。
また、わたしたち自身も主のものです。
自分の過ちや罪が、自分の目にどれほど悪いものであろうと、
主は、わたしたちを支え、立たせてくださいます。

ですから、主に信頼しましょう。
主を褒め称えます。
アーメン

聖霊の叱責VS悪魔の非難

聖霊の叱責VS悪魔の非難

おはようございます。

中学生とのみ言葉クラス・・ローマ2:1-11の続きです。
今朝は、第二節です。
***
わたしたちは、神のさばきが、
このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。
***

神は、わたしたちの悪を厳しく罰しようと待ち構えている方ではありません。
神がさばきを与えられるときには、必ず、それと共に希望を与え、励ましを与えてくださいます。
それが聖霊による叱責と悪魔による非難の違いです。

たといきつくても、神がその正しいさばきを与えられる時、
主は、そこから良いものを引き出され、成長につなげてくださいます。
しかし悪魔の非難は、わたしたちを絶望の淵に落とし込もうとします。

聖霊による叱責と悪魔からの非難の違いを識別することは大切です。

***

第二コリント7:10
神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、
この世の悲しみは死をきたらせる。

***

(祈り)
愛するイエス様

あなたが裁きを与えられる時、それは完璧です。
あなたが叱責を与えられるとき、徹底的にされます。
しかし、あなたはそれを訓練として与えられ、
必ず、わたしたちを包み、癒し、強め、希望と未来とを与えてくださいます。
ですから主よ、あなたの恵みの訓練を感謝します。

尊いイエス様のお名前で祈ります。 アーメン


人をさばくな

人をさばくな

おはようございます。
12月13日(日)の中学生とのみ言葉クラスをベースにしていくつかに分けて送信します。
中学生とのみ言葉クラスは、ちょっと前からローマ人への手紙を読んでいます。

この日はローマ2:1-11でしたが、まずは第一節を紹介しましょう。
***
だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。
あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。
さばくあなたも、同じことを行っているからである。
***

そして一人一人、最近のことで誰かのことを悪く思ったことがあるか考えてみました。
そして、自分にも同じことがあるかどうか・・・
そう、もちろんみんなありました。
こどもたちに言いました。
「だから裁けないよね・・むしろ祈りましょう」

***

(祈り)
愛するイエス様

わたしたちは人間です。
好き嫌いもあるし、とても耐えられないこともあります。
「裁く」こともあります。
まったく「裁く」ことをしないようになることは、きっと不可能でしょう。
しかし主よ、どうか、そんなときあなたの聖霊によって、
自分にも同じ過ちがあることを思い出させてください。
そして裁く気持ちを、その人のための祈りとすることができますように。
主よ、それにはあなたの恵みによってのみ可能です。
どうか、あなたの愛にあって、恵みにあって、
そうしてください。

主イエスキリストのお名前で祈ります。 アーメン

エンジンからの焦げた臭い!

おはようございます。

先日、家内と3人の子供たちとで、東京の母に会ってきました。
1月5日・・母の誕生日でした。

高速道路に上がってまもなく、ゴムのこげたようなにおいがしてきました。
S.Aで停車し、エンジンルームを見てみたら、チューブのいくつかが真っ黒くなっていました。
最初は、一度家にもどり、他の車に乗り換えることを考えました。
(他の車は娘がバイトに乗って行っており、ちょっとややっこしい状況でしたが、最初はそれしか方法がないように思いました。)
しかし家族で祈り、主にどうするべきか尋ねたところ、まず修理工場で見てもらうように導かれました。
高速から下りて国道沿いをしばらく走ったら、オートバックスを見つけました。 
始めは、オートバックスでは対応できないだろうと思い、通過しようと思いました。
しかし、近くの修理工場を教えてもらうだけでもいい・・と思い、そこに車を入れました。

結局、においの原因はエンジンルームについていたオイルだったことがわかりました。
しかしオイル漏れがあるわけではなく、ただオイルをふき取り、特に走行に問題はないことがわかりました。
(しかも、無料でした!!)
予定よりかなり道草をしてしまいましたが、「安全」を確認できたことには価値がありました。

日常生活でも、物事がギクシャクしていたり、何か不安を感じたり、
なんとなくスムーズではなかったり、自分か近くの誰かがイライラしていたり・・などありますよね?
それらは、ちょうど「ゴムのこげたにおい」のようなものです。
そういう時には、やっぱり一時停止して、祈り、主に尋ねるみるといいです。
「こげたにおい」は、大きな問題の兆候であることがあるからです。
でも今回の場合のように、ただ「オイルをふき取ったらOK」だけかもしれません。
たといそれだけでも、「安全」を確認し、心に平安を持って進むのと、
「何か変!」と思いながら、不安な状態でむやみに進み続けるのとでは、大きな違いがあります。

霊の内で「なんかおかしい!」と感じたら、立ち止まって祈ってみることは割りに合います。

またこの記事を書きながら、たった今、気がついたのですが・・
わたしの考えは2度も間違っていました。
「家に帰って車を変えよう」「オートバックスでは無理だろう」
しかし祈りと主に尋ねることにより、主が導いてくださり、わたしの間違った「考え」に拘わらず、
主は、正しく導いてくださいました。

やっぱり主に尋ねることは絶対に割りに合います・・・よ!

何度も紹介している聖句ですが、またもや、この聖句がいかに真実であるか学ばされました。

箴言3:5,6
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

***

アーメン! イエス様、感謝します。


信仰の「あそび」・・再編集版

ヤフーブログ「イエス様との対話」2006/4/18(火)に投稿した記事を元にして、すこし書き換えました。
元の記事「信仰のあそび」はこちらです。
http://blogs.yahoo.co.jp/fim_inoue/2884050.html

おはようございます。

すべてのものには、「あそび」という微妙な隙間がなければうまく動きません。
車のハンドルにあそびが少しもなければ、
ちょっとハンドルを動かしただけで車はジグザグ走行をしてしまい、とても快適なドライブなど期待できません。
しかし、あそびが多すぎても困ります。 
ほんちょっと方向を変えるのに、ハンドルを2回も3回もぐるぐる回しなければならないのなら、
とても安全な運転は期待できません。

ちょうどよい「あそび」って大切です。
主にある「信仰」の生活でも、それは大変大切な要素です。

聖書には、
「すべて祈り求めることは、かなえられたと信じなさい。そうすれば、その通りになるであろう。」とあります。

主に、祈るとき、具体的に明確に祈ることは重要です。 
そして明確に具体的に祈ったあと、その祈りを主がすでに聞いてくださったということを、
信仰によって認め、主に感謝をするのです。

しかしここで「あそび」が重要になります。
主が、祈りに答えられる主の力と愛を決して疑わないという心の態度の隅に、
「自分が期待していた方法とは、違った方法で主は祈りに答えられるかもしれない」という
心の余裕、あるいは「あそび」を持つのです。

天におられる主が、わたしたちの知らないことを知っておられる、
そのため、祈り求めた核心の必要に対して完璧に答えてくださるものの、
わたしたちの期待とは異なる形でその答えが与えられることもある・・・
という信仰を持つことです。

しかし、この「あそび」がぜんぜんなかったとしたらどうなるでしょうか?
「神は、わたしが期待した方法で答えてくださらなければならない」と主張するようなものです。
それは、「自分は、神様よりもよく知っている」という高慢の表れといえるでしょう。 
決して全面的に主の愛に信頼する信仰とはいえません。

逆に、信仰の「あそび」が大きすぎたらどうでしょうか?
それは、具体性や明確性に欠ける祈りのようなものです。
「どっちにころんでもいいような祈り」をするようなものです。
それは、神への信頼の欠如の表れといえます。

ちょうどよい「あそび」のある信仰とは・・・
明確に具体的な祈りを主にささげ、それがかなえられたものとみなして心から主に感謝し、
主の明確な答えが到着するのを、期待と興奮を覚えつつ待ち望むことです。
そしてそれと同時に、全知全能であり、天におられる主の知恵と愛と恵みに全面的な信頼をよせるがゆえに、
祈りの答えが違った形で与えられるかもしれないという心の余裕を持つことです。

そして祈りの答えが与えられたとき、それが自分の期待した「形」とは異なっていたとしても、
神の知っておられる最高で最善の方法で神が答えてくださったことで、
さらに大きな感謝と賛美の声を上げるのです。


マイケル・ジャクソンからのメッセージ

(マイケル・ジャクソンについてメッセージの続きです。)

**マイケル・ジャクソンからのメッセージ**
(2009・12・17)

ヘイ! みんな! 
オレのことで泣くなよ。
オレは、やっと幸福になったんだからさ。
それに、オレのことをあんまり崇拝しないでくれ。
そっちにいたときは言えなかったが・・・本当のところ言うと、
オレは、あんな生活にはうんざりしていたんだ。
本当に惨めだったさ。
でも、そんなこと言えなかった。
みんな、オレが大スターであることを期待していたからな。
だからどうしても、本当は、どんなに惨めだったかいえなかったんだ。
でも、今は言える。

おい! そこの若いの!!
オレみたいになったらかっこいいと思っているのか?
オレみたいに有名になったらクールだと??
おまえ、まったく何にもしっちゃ~いね~~よ。
あの世界が、どんなに腐ったものか!!
蛆虫どもがうようよする世界のことなんか、うらやましがるなよ。
それはそこにどっぷりつかった人間にしかわかんね~~のさ。
その世界の人間は、外には、キラキラ光るような派手な様子を見せるのがうまいからさ。
というか、それがやつらのすべてなんだ。
外見だけさ。虚栄さ。
中身がないだけ、外見だけかっこよく見せようとするんだ。
おい! だまされるなよ!
オレみたいに惨めになるぞ!
なに? だまされてもいいから、惨めでもいいから、オレみたいになりたいだと!
おまえ、自分が何を言っているのかも、何を求めているのかもわかってね~~~んだよ!
目をあけろ! 周りを見てみろ。
おまえの周りには、おまえが助けることのできるたくさんに人がいるんだ。
オレみたいに、蜃気楼をおっかけてはだめだ!
ただ人生を無駄にするだけだぞ!

現実の世界に目をひらけ!
ちゃらちゃらした世界、キラキラした世界に惑わされてはだめだ。
おい!
おまえだって、いつかこっちに来るんだ。
明日かもしれない。
よく考えてみろ。
おまえが、オレのようになりたいと妄想を描いている間、
おまえのすぐそばには、年寄りや小さな子どもやさびしい人々がいるんだ。
彼らの励ましにおまえもなることができる。
それは大スターよりも、もっと素晴らしいことなんだ。

そうさ。 おれもそれを知らなかった。 こっちに来るまではな。
でも、こっちに来て、痛いほどそれを知った。
そして自分の人生を無駄にしたことを、ボスの前で悔いたさ。
そう、イエスさまだよ。 オレのボスだ。

でもイエスは、オレを許してくれた。
そしてしっかりと抱きしめてくれた。
そして、地上では失敗してしまったが、今からでも、天国から
若者たちを助ける仕事を与えてくれたんだ。

イエスはクールだぜ! へい! 本当にクールになりたいか?
イエスこそ大スターだ。
教会じゃないさ。 あんなつまらない教会やキリスト教なんかじゃない。
イエスは、君たちを愛しているんだ。
こんなオレも愛せたんだからな。 
君たちのことも愛しているさ。

じゃ~~。 天国で会おう。
地上では見たこともないようなショーを用意して待っているからな。
天国でのマイケル・ジャクソン ショーさ。
イエスは、みんなが来た時にみんなのためにオレがショーをできるように手配してくれた。
クールじゃないかい?
題して「This is Heaven!」だ。
見たいかな? それじゃ、今日、前売りチケットを手に入れてくれよ。
大丈夫、売り切れはぜったいないから。
天国でのマイケル・ジャクソン・ショーの前売りチケットと、
天国への入場券はペアーになっているんだ。
両方を一緒に手に入れるようになっているんだよ。

そしてそれは無料だ。
イエスが、十字架でもう支払ってくれたからな。
こう祈って、イエスを心に受け入れたらいいんだ。
そうしたら天国への入場券と、
天国でのマイケル・ジャクソン・ショー「This IS HEAVEN」の前売り券の
両方が手にはいるぜ。

「愛するイエス様

オレ、悪かった。本当に。
許してくれるかい? そう? ありがとう。
オレの心に入ってくれるかい。 ありがとう。
一緒にいてくれるかい? ありがとう。

イエス様の名前で祈ります。 アーメン」

****

ハレルヤ!
イエス様、感謝します。
マイケルさん、ありがとう。

天国で会いましょう。

マイケル・ジャクソンについての、イエス様からのメッセージ

おはようございます。

これから発送するメッセージは、
マイケル・ジャクソンの死に関してだいぶ前に受け取ったメッセージです。
正確には「受け取り始めた」メッセージです。

途中で、わたし自身の思いによって中断させてしまいました。
それは、世界的な大スターについて、わたしごとき者がどうしてメッセージを受け取ることができるのか
・・と思ったからです。
また、わたしは芸能界やエンターテイメントの世界のことは全く興味がなく、ほとんど何も知りません。
しかしこのわたしでさえさすがに、マイケル・ジャクソンの名前は知っていました。
顔はちょっと見たことあります。 曲は、一曲も知りません。

聖書には、わたしたちの「知るところは一部であり、預言も一部にすぎない」
(第一コリント13:9)とあります。
つまりある程度、経路となる人の「知るところ」に従って、主も語ってくださるのです。
また、「預言するものは、その信仰の程度に応じて預言する」ともあります。
ですからマイケル・ジャクソンについてほとんど何も知らないわたしにとって、
そのための主のメッセージを受け取るという信仰をもつ事が困難でした。

しかし主は、心の中に語ろうとしつづけられました。
ですからとうとう主に「降参」して、主のメッセージを受け取ることにしました。

<マイケル・ジャクソンについての、イエス様からのメッセージ>
(2009・12・17)

わたしの可愛い、いとしいマイケル。
あなたの地上での人生を思い、わたしの心は張り裂ける。
わがいとしのマイケル。
今、天国であなたと共にいることで、わたしの心は喜びで溢れる。

あなたはとても可愛い子だった。
尊く、素晴らしい、素直な子だった。
わたしはあなたが幼いときに、わたしを求めたことをいつも覚えている。
あなたの幼いとき、あなたは心からわたしを求め、
小さな心からの悩みや痛みをわたしの前に注ぎだした。
その時の涙は、いつもわたしの前にある。
そしてわたしはあなたを支えた。

しかしあなたが成長したとき、あなたはわたしから離れて行った。
あなたは類のないほど美しい雄鶏のようであった。
そのゴージャスな羽と色、あなたのできる芸や歌声は多くの人を魅了した。
あなたは多くの品評会で金賞や最優秀賞を勝ち取った。

はげたかとハイエナたちは、それを見た。
彼らは、あなたが金儲けの手段となることを知った。
そして彼らはあなたを罠にかけた。
あなたは契約という檻に入れられ、名声と人気という鎖につながれた。

あなたははじめは、その名声と人気、富とに酔いしれた。
だが年が経つにつれ、あなたの心はあなたの中で弱り始めた。
それでもあなたの体は、操り人形のように、
はげたかとハイエナたちに要求された大スターの役を演じ続けなければならなかった。
契約の故に、また、あなた自身の自尊心によって囚われたあなたは、その役を演じ続けた。

しかしあなたの心は泣いていた。
あなたの心は惨めなほど貧弱になっていった。
あなたの心の痛みを知るものは、ほんのわずかだった。
ほんの少数の非常に近い友人だけが、あなたの悲しみを知っていた。
他の大多数の者たちは、大スターとしてのあなたをうらやみ、崇拝さえした。
しかし本当のあなたは、どうしようもないほど惨めで、貧弱だった。

あなたは、幼い時わたしを呼び求めたことをしばしば思い出した。
わたしの聖霊は、その時のことをあなたに思い起こさせた。
しかしその度に、あなたの高慢さは、あなたの心を抑えつけた。

やがてあなたの心は、あなたの中で死んでしまった。
もう何も感じなくなってしまった。
あなたはたましいの抜けた抜け殻のように、
はげたかとハイエナたちの手によって、いいように操られた。

そしてあなたの肉も死を迎えた。
はげたかは嘆いた。「金儲けの手段がなくなってしまった。」
ハイエナは言った。「いやいや、本当の金儲けはこれからだ!」
そして彼らは、あなたの死体を見世物のようにし、
また、あなたのイメージによる映画を作った。
それはちょうど、金賞を取った雄鶏、死んだ雄鶏を剥製にし、
博物館に飾り、さらにそれによって金儲けをするようなものだ。
剥製を作るために取り出した鶏肉は、高価な値で売買され、
その骨さえも、磨かれ、彫刻が施され、非常な高価な値段で売られるようなものだ。
 
もし、彼らがそれをすることが許されたとしたら、
彼らは実際に、マイケルを剥製にしただろう。
そこまではできないことを彼らも知っていた。
だから、彼らはハイテクを使いバーチャルな「剥製」を作った。
「This is IT!」=「これこそ!」マイケルの剥製である。

あぁ。 かわいそうなマイケル
この世の悲しみとむなしさから解放された今も、
彼の体とイメージとは、はげたかとハイエナたちの餌食とされつづけている。

しかしこのことを思って慰めを得なさい。
マイケルは、今はわたしの元にいて幸福である。
彼は、天国に来たとき驚いた。
天国に来れるとは彼自身期待していなかったからである。
彼は、自分が悪(BAD)であり、そうであることを自慢していたからだ。
しかし、わたしは彼の幼い時の祈りを決して忘れはしない。
人が、その人生で一度でも、わたしの愛を求めるのなら、
それは永遠にわたしの前で覚えられている。

わたしはマイケルに、わが傷のある手を差し出して言った。
「いとしいマイケル。 お帰り。」
マイケルは少し驚いた。 しかし、すぐにわが永遠の愛、無条件の愛を知った。
そして今、彼はわたしと共にいる。
彼は、わが天使たちの一人のように、この世の若者たちのために祈っている。

ここでマイケル自身に語ってもらおう。

(マイケル・ジャクソンからのメッセージに続きます。)

「愛を与えることに貪欲になる」:Weddingメッセージ

おはようございます。
イエス様からのWeddingカップルのためのメッセージです。
主の祝福をお祈りします。

***イエス様からのWeddingメッセージ***

「あぁ、甘味な愛よ
わたしはついにあなたを見つけた
全世界の人々が慕い求めるのは、愛であり、ただ愛だけである」

おめでとう。 愛する人たちよ。

あなたたちの愛には、報いが伴っており、また将来があり、幸福が約束されている. 
(ヘブル10:35、エレミヤ29:11)

愛にあって成長するとき、あなたたちは成長する。
愛にあって成長するとき、あなたたちは本当の幸福を手にする。
愛にあって成長するとき、すべての事は美しくなる。
愛にあっては、すべてが素晴らしく、尊いからである。

愛を追い求めなさい。          (第一コリント14:1)

そうだ。 愛を追いかけ、それを求めるのだ。 愛を与えられるのを待っていてはいけない。 
愛は、与えるとき、得ることができるからである。 「愛を追い求める」ことは、自分への愛を追い求めることではない。 
「愛すること」を追い求めることだ。 
「貪欲」という言葉はふさわしくないが、愛を与えることにおいては、「貪欲」と表現しても良いほど積極的でありなさい。

愛を与えることにおいて「貪欲」であるのなら、知らず知らずの内に、多くの愛を刈り取るようになる。 
愛を得ようとする必要さえない。 与えなさい。 与えなさい。 与え続けなさい。 
そしてしまっておく場所もないほどの多くの愛を、受け取りなさい。

愛しなさい。 そうすれば、決して失敗はない。
与えなさい。 そうすれば、あなたにも与えられるであろう。
(第一コリント13:8、ルカ福音書6:38)

そして最高に幸せな夫婦になりなさい。