イエス様との対話 -5ページ目

究極の許し

おはようございます。

昨日、主にある尊い兄弟姉妹のご長男の告別式に出席しました。
交通事故でお亡くなりになりました。

式の挨拶でお父様が、加害者のご夫婦との会話について話してくださいました。
その方がおっしゃったそうです。
「一生、罪を背負って生きていきます」と。

お父様はその方にいいました。
「そんなことはなさらないでください。 
 むしろあなたの二人のお子さんを大切に育ててください。」

許しと愛と恵みの告別式でした。

平安と慰めがありますように。 
アーメン。

***
父なる神の御子イエスは、
わたしたちの過ちのために、十字架にかかられました。
父の御心は、わたしたちが自分の罪の内にこの人生を送ることではありません。
むしろ、父がキリストにあってわたしたちを愛し、許してくださったように、
わたしたちも愛し合い、許しあうことを、
天の父は望んでおられます。
ハレルヤ!



祝福を取り込む

おはようございます。

今朝、中学生程度の子どもたちとのみ言葉の学習で話したことです。

神様の祝福は、ちょうど空気のようにいつもわたしたちを取り囲んでいます。
そしてちょうど息をすることで酸素を体に取り込むことができるように、
わたしたちは神への従順において、その祝福を人生に取り込むのです。

そこで「神への従順」について考えて見ました。
それは、「神がわたしたちに求めておられるその御心に従うことです。」
そして聖書には、「喜ぶこと」「祈ること」「感謝すること」の三つが、
「神があなたがたに求めておられることである。」(第一テサロニケ5:16-18)
とあります。
「神への従順」=「神がもとめておられることを行うこと」
「神がもとめておられること」=「喜び、祈り、感謝」
従って、以下の等式が成り立ちます。
「主にあって喜び、祈り、感謝の声を絶えず主に捧げること」=「神への従順」

さて体は、たとい周りを空気に取り囲まれていたとしても息をしなければ酸欠で死んでしまいます。
わたしたちも、神の祝福に取り囲まれています。
しかし「喜び、祈り、感謝する」という息をしなければその祝福を取り込むことができなくなってしまいます。

体は息さえしていれば、自律神経系のコントロールにより自動的に酸素を取り込みエネルギーを発生させ体を生かします。
それと同じように、わたしたちも賛美を声をあげそれを続けていさえするのなら、残りのすべては自動的に行われます。
神の祝福が人生に流れ込み、エネルギーを発生させ豊かな実を実らせるのです。

だから、たとい周りで何が起っていようと・・・
喜び
祈り
感謝しましょう!!!

それ以外のすべては主に委ね、主にお任せしましょう!!
主は、豊かに祝福を注ぎ込まれるでしょう!!

ハレルヤ


「生きている。 それだけでいい。」

おはようございます。

子育て勉強会の資料の準備のために、ある本を読んでいます。
お父さんの子育てへのかかわりがどんなに大切か
・・という主題ですが、その中で、特に注意を引いたのは・・・
子どもが、あるがままを親に認められ、受け入れられていることが大切・・ということでした。
「生きていれば、それでいい」・・それが大切だと。

昔は、医療もお粗末であり、栄養も貧弱だったため、大人になるまで成長する子どもたちの割合は
現在よりもかなり少なかったため、「生きていてくれる。 それだけでいい。」と思いが今よりもあったとのことです。
しかし今は、「生きている」のは当然で、それプラスの「付加価値」を通して子どもたちは「評価」されます。
ただ「生きていれば、それでいい」というのは、どこかに忘れられてしまっている。

先日の子育て勉強会に、そのことを話しましたら、
参加者のご夫婦のご主人が言いました。
「我が家は今、その真っ只中です。」
お子さんは、大変な未熟児で生まれたそうです。
しかし生き延び、今は元気に育っています。
「生きてくれてよかった!!」 
ご両親は、そんな思いで育ててきました。
しかし幼稚園に行き始めてから、
「あれもできるようにならないと、これもしないと、
そうでないとみんなに追いついていけなくなくかも・・・」
という心配が増え、「生きてくれてよかった!!!」がどこかに忘れられそうになっていたという
お話しでした。

「生きていること」
それって本当に素晴らしいことです。
神は、そのために、御子イエスを送ってくださり、
わたしたちが永遠に主のもとで生きるように、十字架にかかってくださいました。

「生きている・・・それだけでいい。」

子どもに対しても、自分に対しても・・・忘れたくないことです。




救いは主のもの・・主による解説、詩篇3:8

おはようございます。
[詩篇3:8]
救は主のものです。
どうかあなたの祝福があなたの民の上にありますように。
[イエス様による解説]
ヨナの話を覚えているだろうか?
ヨナは、彼のためのわたしの最高で最善の計画から遠く逃げていった。
しかしそのために嵐に見舞われ、海に投げ込まれ、大いなる魚に飲み込まれてしまった。
大いなる魚の腹の中で、三日三晩過ごしたヨナはとうとう自分の道をわたしに委ねる決意をした。
彼は言った。
「わたしは感謝の声をもって、あなたに犠牲をささげ、わたしの誓いをはたす。救は主にある」。
(ヨナ書2:9)
その時、彼は救い出され、彼の人生を進む力を与えられた。
わたしの救いの力は、どんな状況にも制限されない。
その力は常にそこにある。
人が、自分自身を救おうとする試みをやめ、
自分の道に固執することを止めるとき。
そしてわたしの愛と恵みの道に帰り、わたしの愛に信頼し、
「救いは主にある」と感謝の声をもって宣言するとき、
わが救いの力は、その人に対して解き放たれる。
それを解き放つのは、人の委ねる心であり、信頼であり、感謝である。
そして唯一、わが救いの力を制限するものもそれである。
人が、わが永遠の無条件の愛に心から委ねることをしないとき、
わが救いの力は、その人に対して制限されてしまう。
だからヨナのように、あなたの目を天に向けなさい。
ダビデ王のように、たといどんなことが起こっていようと、「救いは主にある」ことを認め
賛美と感謝の声を上げなさい。
それがあなたのための救いとなるからである。
愛している。 わたしを呼び求め、わが愛に委ねなさい。
***
ハレルヤ! 
イエス様、感謝します。
救いは主よ、あなたにあります。
アーメン

主が共におられるゆえ・・ヨシュア1:9

おはようございます。
***
強く、また雄々しくあれ。
あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。
ヨシュア1:9
***
どうしたら「強く、また雄々しく」あることができるでのでしょう?
自分自身を見たら欠点や弱点ばかり・・
「強くあれ」などと言われても、「そんこと無理!」と思ってしまうのではないでしょうか?
周りを見ても問題だらけ・・
職場での人間関係、夫婦関係、子育ての悩み、
健康、経済・・・
「生きる」ということは本当に大変なことです。
そんな中で、どうしたら前向きに、明るくいられるのでしょうか?
自分自身の弱さにも係わらず、進んでいくための「強さ」はどこで得たらいいのでしょうか?
「あなたの神、主が共におられる」ことを知ることによってです。
それを知るとき、「恐れ」は消え去ります。
では、一緒に今日のために祈りましょうか?
***
愛するイエス様
また新しい一日が始まります。
今日も、いろいろなことが起るでしょう。
自分自身の弱さや他の人の問題などでまた悩むでしょう。
しかし主よ、そのすべてをあなたに委ねます。
あなたが共におられ、支えてくださるからです。
ですから、わたしは恐れることはありません。
あなたに信頼し、あなたに支えられて、
今日、歩むべき道を歩みます。
イエス様、愛してます。
尊いイエス様のお名前で祈ります。
アーメン
***

主はよみがえられた。

おはようございます。

マタイ28:7
「イエスは死人の中からよみがられた。」

この聖句は、マタイの福音書の最後の部分、
イエスの十字架から復活にかけて・・
ユダの裏切り、ペテロの否定、
ヘロデや兵卒の嘲笑、祭司たちの策略、
世論に負けたピラト、悪党バラバの釈放、
墓の封印など・・がありました。
それらは、「救い」の計画に対してありとあらゆる障害がありました。
しかし、神はそれらにも関わらず・・否・・
それらのすべてを使って、「救い」のわざを完結されました。

主は、生きておられます。
わたしたちが何をしようと、
人々や社会や世界が何をしようと。
主は、その大いなる愛のわざを、わたしたちの人生に完結してくださいます。

主は、生きておられます。
生きておられる主が、今日、一日を見守ってくださっていますように。
アーメン

ずっとずっと一緒

六歳のきーくんがよく言います。
「ずっとずっとパパと一緒にいたい。」
「そうだよ。ずっと一緒だよ。
いつかパパは死んで天国に行くけど
その時だって、パパの霊はきーくん達といつも一緒にいるよ。
だからずっとずっと一緒だよ。」


この子もやがて、親より友達との時間を楽しむようになるのでしょう。
中学や高校になると、親が「ウザイ」と言うかもしれません。
大人になり自分の人生を進み、親の人生の領域から遥かに遠くまで行くでしょう。
会う事も難しくなるかもしれません。


でもわたしの心は、
この子達と一緒でしょう。
ずっとずっと


イエス様
あなたは、いつも一緒にしてくださいます。
わたしたちと、
子供たちと…
どこでも、いつでも
何が起こっても…
あなたは一緒です。

ずっと、ずっと
ずっと、ず~っと

アーメン


主よお立ちください。・・詩編3:7

おはようございます。
また・・ぼちぼち・・無理をせずにやっていきます。

今朝は、詩編3:7です。
主に解説を求めましたが、主は祈りへと導いてくださいました。
ともにお祈りください。
****
詩編3:7
主よ、お立ちください。
わが神よ、わたしをお救いください。
あなたはわたしのすべての敵のほおを打ち、
悪しきものの歯をおられるのです。
****
(祈り)
イエス様、感謝します。
今のわたしには、この当時のダビデのように、
わたしの命を求めてせまってくる敵はいません。
その敵のほおを打ち、歯を折るようにと祈る必要がないことを感謝します。

母の病や、こどもたちの成長、事故、友人たちのこと、経済的な困難、これからのことなど
いろいろな事が毎日せまってはきますが、
主よ、あなたがおられることを知り、
これらの荷を自分で背負わなくてもよいことを知ることは、
なんと素晴らしい祝福でしょう。

そして困難が訪れる時、
またそんな経験の最中にある友人たちのために、
主よ、あなたの御言葉を祈ることができる祝福を感謝します。

主よ、お立ちください。
わが神よ、どうかあなたを愛し、
あなたのみ顔を訪ねもとめ、
あなたにより頼む民をお救いください。

イエスさまのお名前で祈ります。
アーメン

大雪

大雪でした!

先日、叔父の告別式に行って来ました。
母の兄で、84才でした。
昨日の朝帰って来ましたが、その日、息子(交通事故の)の手術がありました。
手術は無事終わり、今週中には退院です。
姪が結婚する事になりました。
4月には息子が二人運転免許を取ります。
また、20才の娘と18才の息子が通信制の大学(放送大学)を始めます。
末っ子は小学生になります。
告別式で久し振りに会った叔父(母の一番下の弟)と、わたしが小さかった頃よく遊んでくれた思い出を話し合いました。


大雪でした。
命はまた巡って行きます。

主よ。
そちら側に渡ったいった人の霊に平安を与えてください。
こちらに残っている人達を慰めてください。
年老いた人達を支え勇気を与えてください。
若者達、子供たちの道を見守り、お導きください。

イエス様の名前で祈ります。
アーメン

交通事故

おはようございます。

先週、16才の息子が交通事故に会いました。
視界の悪い交差点での出会い頭でした。
自転車はグシャグシャになりましたが、本人は右鎖骨の骨折で済みました。
一週間の入院ももうすぐ終わりますが、経過は順調です。
あの状況では、もっと深刻な怪我をしていたかも知れません。
神様の保護と恵みに感謝します。

主の約束、「全てが益となる」(ローマ8:28)ことは、主を愛する者には、どんな事が起ころうと確実であり、確固とした岩の土台です。
この事故からも、多くの良い実が結ばれるでしょう。

だから主を褒めたたえます。

みなさんの一日が、主の恵みによって、守られますように

イエス様の名前で祈ります。
アーメン。