イエス様との対話 -4ページ目

詩篇4:2

おはようございます。
今朝は詩篇4:2です。

人の子らよ、いつまでわたしの誉をはずかしめるのか。
いつまでむなしい言葉を愛し、偽りを慕い求めるのか。

[イエス様による解説]

昔のダビデが王としてわたしに選ばれたとき、ただわたしのしもべサムエルが彼に油を注ぎ、わたしの言葉を与えただけであった。
戴冠式もなく、この世の力ある者たちによって承認されたわけでもなかった。 
ダビデが王としてユダ、そしてイスラエルに受け入れられるまでには、それから何年もの歳月がかかった。 
その過程では、多くの紆余曲折があった。 
政治犯、亡命者として、イスラエルの敵国に逃れたことさえあった。 
多くの人は、ダビデに与えたわが言葉を信じることをせず、わたしが彼に与えたわが誉・・わが約束を軽視し、それを踏みにじった。 
しかしダビデへのわが契約はむなしくわたしに帰らず、わが言葉はその命じ送ったことを果たし、
ダビデの人生において、また来るべき世代において、その目的を成就した。(イザヤ55)


わたしにより頼むあなたたちにも言う。 
あなたたちにあるものは何か? 
わたしの愛の霊の油注ぎと、わが言葉の約束である。
人は言う、「それがどうした? ただの口先だけの言葉が、何の役に立つのか?」と。(イザヤ36:5)
人の言葉でさえ、この世では大きな影響力を持つ。
しかしわたしの口から出るわが言葉は、人の言葉より遥かに強力である。 
わたしの約束、わが契約は永遠に立ち、たとい天地が滅びでも、わたしの言葉は滅びることがない。(マタイ24:35)

それがわたしのあなたへの油注ぎであり、契約の言葉だ。 
人やあなた自身の感情が何をあなたに言っても、その約束の上に立ちなさい。 
「神はその一人子を賜ったほどに・・愛してくださった。」(ヨハネ3:16) 
この言葉を信じ、受け入れ、それに根ざし、それに立てられることによって、
あなたは確立され、あなたの道は堅固なものとなるからである。

***
ハレルヤ! アーメン。 イエス様、感謝します。


参院選に寄せて

詩篇 75:6 上げることは東からでなく、西からでなく、また荒野からでもない。
詩篇 75:7 それはさばきを行われる神であって、神はこれを下げ、かれを上げられる。

アーメン。
主のみ心が行われますように
主が、今の日本のためのリーダーを立ててくださいますように。
主の道は、わたしたち人間の道とは異なります。
だからたとい、わたしたちの目には「とんでもないリーダー」が立てられたとしても
それさえも主の計画の一部である事に信頼する信仰を与えてください。
イエス様の時代の世のリーダー達は、イエスを十字架に架けました。
正にとんでもないリーダー達でした。
しかしそれによって、わたしたちのための救いの業が成し遂げられました。
だから主よ。
わたしたち人間の理解に寄らず、
見掛け上の近視眼的な評価にも寄らず
あなたが、あなたの知っておられる計画に従って
今の日本のためのリーダー達を立ててください。
あなたのみ言葉の約束にあって
イエスの名前で祈ります。

アーメン

マルコ4:35~41

先日、朝のデボーションで子供たちにマルコ福音書から読みました。

イエスがガリラヤ湖の向こう岸に行くように弟子にいいます。
しかしその途中嵐に見舞われます。しかしイエス様は呑気に寝ています。
弟子達は、「わたしたちが嵐で遭難しても、なんとも思わないのですか?」と、パニック状態でいいます。
やっと起き上がったイエス様は、すぐに嵐を静めてしまいました。

主が導かれる方向に従っていても、荒波のさなかにいる事もあります。
「なんでこんな方向に導いたのですか? わたしたちがここで沈んでもなんとも思わないのですか?」
…そんなことさえ言いたい気持ちになる事もあるでしょう。
解決を祈っても、主が眠っておられるよう感じる事もあるかも知れません。
でも、主は共にいてくださいます。
だから大丈夫ですよ。


良い一日をおすごしください。


詩篇4:1 主による解説

詩篇4:1
わたしの義を助け守られる神よ、わたしが呼ばわる時、お答えください。
あなたはわたしが悩んでいた時、わたしをくつろがせてくださいました。
わたしをあわれみ、わたしの祈をお聞きください。

愛するイエス様
おはようございます。 
だいぶ間が空いてしまいましたが、詩篇解説の続きをお願いしていいでしょうか? 
よろしくお願いします。

<イエス様の解説>
そうだね。 だいぶ久しぶりだ。
この詩篇の最初の部分を話した後、その続きを話したくてしょうがなかった。
でも、こうしてまた聞きに来てくれてうれしいよ。

さて、先日話したことを覚えているかな?
あなたの自身の義は何もなく、ただわたしの愛に信頼することが唯一の義だ。
そしてその信頼することも、わたしが守ると話した。
そのようなわたしの愛への全面的な信頼にあって、
あなたが呼ばわるとき、あなたの祈りはわたしの耳に達することをあなたは知る。
そしてそれを知るとき、あなたはどんな悩みの中にあったとしても、
わたしにあってくつろぐことができる。

人が、わたしから遠く離れていることを自ら知っているとき、
そんなときは、わたしがその人の祈りを聞くことを信じることは難しい。
人が、わたしの言葉とわが声に対して心を頑なにしているとき、
自分の祈りが神に達することを信じることはできない。
「困ったときの神頼み」のように感じるからである。

確かにそういう場合もある。
しかし、わたしの愛は永遠の無条件の愛だ。
あなたへのわたしの愛は、わが肉体を十字架で捧げてもまだ余りあるほどの愛だ。
この愛は、あなたが何をしようと、どこへ行こうと、
決してあなたから取り去られることはない。

わたしから遠く離れて歩んでいると思うか?
そのことに正直であり、それを祈りのうちにわたしの前に持ってきなさい。
わたしの言葉とわが声に対して心を頑なにしているだろうか?
それを正直に認め、あなたの頑なさにも関わらずあなたを愛する我が愛の故に、
賛美の声を上げなさい。

そしてわが大いなる愛に信頼しなさい。
あなた自身にも関わらず、わたしの愛に信頼するその瞬間、
あなたはわたしにあって「義」と認められる。
わたしは、その「義」をあなたのために守る。

そしてあなたの祈りは、我が耳に達していることを知りなさい。
その答えが、わたしの王座からすでに発せられたことを信じなさい。
まだ答えを見ることがなかったとしても、答えの故に、喜びと感謝の声を上げなさい。
そうするとき、あなたは「人知では計り知れない神の平安」で守られる。
そのとき、あなたは真に「くつろぐ」ことができる。
そして、あなたは「答え」がそこのあることを知る。
そしてあなたはわたしを褒め称えるだろう。

愛している。 
わが愛に信頼して、わたしを呼び求めなさい。
そしてあなたの祈りがわたしに達していることを信じ、
そのことのゆえに、勝利と感謝の声を上げなさい。

***

ハレルヤ! イエス様、本当にあなたの恵みは素晴らしいです。
感謝します。

良い一日が皆さんにありますように。
主の愛と恵みとが共にありますように。

「答えよ答えよヨブ」

おはようございます。
今朝は、水野源三さんの詩をお送りします。

水野源三さんは、長野県坂城町の人でした。
昭和21年、小学校4年生のときに赤痢を患い、脳性小児麻痺になってしまい、
手足を動かせなくなり、また、言葉も話せなくなってしまいました。
唯一のコミュニケーションの手段は、瞬きによる合図でした。
想像を絶するほどの絶望状態の中、昭和26年ごろ、キリストに出会いました。
源三さんに福音を携えた牧師もまた、深刻な足の病を患っていた人でした。
主を知った源三さんは、家族の助けによって詩を書くようになりました。
50音を一づつ、源三さんの瞬きの合図で家族が書きとめることで作られた詩です。
源三さんは、1984年、47歳で天国に召されました。


<答えよ答えよヨブ>

主なる御神がそそぎたもう
その大きな愛と信頼の眼差しに
答えよ答えよヨブ
息子らと家畜
すべて失っても

主なる御神がそそぎたもう
その大きな愛と信頼の眼差しに
答えよ答えよヨブ
ひるも夜も病に
悩み苦しむ時も

主なる御神がそそぎたもう
その大きな愛と信頼の眼差しに
答えよ答えよヨブ
親しい妻や友の
愛がない言葉にも

「わが恵み汝に足れり」水野源三 第一詩集より
アシュテイ・センター出版

楽しいこと

箴言 22:17 あなたの耳を傾けて知恵ある者の言葉を聞き、かつ、わたしの知識にあなたの心を用いよ。
箴言 22:18 これをあなたのうちに保ち、ことごとく、あなたのくちびるに備えておくなら、楽しいことである。


そうか。
これが、楽しいことなんだ!
もっと楽しみたいな~♪

みなさんに良い一日がありますように


詩篇4:1「わたしの義を守られる神」

おはようございます。
久しぶりの、主のよる詩篇解説です。

詩篇4:1(部分)
「わたしの義を助け守られる神よ」

(イエス様の解説)
わが愛する者よ。
あなたの義はわたしのうちに隠されているを知ってほしい。

すべてこの世の住むものには、正しいものはいない。
義人はいない。 ひとりもいない。 (ローマ3:10)
それでもわたしはあなたを愛し、あなたの過ちを十字架で担った。
あなたに存在を与え、日々の糧を与え、あなたの命を支えている。
あなたはわたしの目に尊い者。
わたしの命を十字架で捧げるに値するほど大切な人だ。
あなたの義は、あなたへのわたしの愛にあって隠されている。

あなた自身の義はない。 まったくない。
だから自分自身の義を立てようとしなくてもいい。
ただわたしがあなたに対して抱いている愛に信頼しなさい。
自分自身の義の故にではなく、愛されていることを知りなさい。
さらにはあなたの過ちや弱さ、罪にも関わらず、わたしはあなたを愛している。
その愛に信頼すること、それがあなたの「義」である。


「でも、あなたの愛に信頼することもときどき困難です。
 あなたが愛してくださっていることを信じることができません。」
・・と感じることがあるだろうか?

この詩篇の言葉を覚えていてほしい。
「わたしの義を守られる神」

あなたにある唯一の義は、わたしの愛に信頼していることだとわたしは語った。
そしてその「義」を守るのもわたしである。
わたしの愛への信頼・・それを守るのは、あなた自身ではない。
あなたは人間であり、限られた時と範囲の中に生き、
あなたの周りで起こるすべてのことの背後にある
大いなる愛と計画のすべてを知り、それを理解することはできない。
だから人は「わたしの愛に信頼する」ことさえも自分の力ですることができない。
人を創造したこのわたしがそれを一番よく知っている。
あなたはそのようには作られていないのだ。


だから「わたしの愛に信頼する」ことを、
あたかも自分の力でしなければならないように事と思う必要はない。
あなたの義を守るのは、わたしである。 あなた自身ではない。
あなたのわたしへの信頼を守るのも、わたしである。
だからそれについても心配する必要はない。

あなたの義・・それはわたしの愛にあって隠されている。
そしてその義・・つまり、あなたの「わが愛への信頼」を守るのも、わたしである。
愛しているよ。
この世のいかなるものも、何ものも、わたしの愛からあなたを引き離すことはできない。
あなた自身の過ちや罪さえも、わたしの愛を消すことはできない。(ローマ8:38,39)
あなたが、たといわたしの愛に信頼することに困難を感じたとしても、
あなたへのわが愛は変わらない。
あなたの義を守るのは、わたしであって、あなた自身ではないからである。

***

ハレルヤ! イエス様、感謝します。



「正直者は損?」

おはようございます。 久しぶりです。

よく言いますね。 「正直者は損をする」って・・・
でも本当にそうでしょうか? 神のみ言葉を見てましょう。

「おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。」(詩篇37:7b)

巧妙に自分の得になるように物事をする人たちは確かにます。
彼らは、ずいぶん「得」をしているようであり、
「正直者」や「単純なもの」は、それら「賢い」人々にいいように利用され、とても損をするようなことが、
この世にはあります。

しかし神の言葉は、そのことで「心を悩ますな」と教えています。
なぜなら・・・
「彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。」(詩篇37:2)
むしろ
「主に信頼して善を行え。」(詩篇37:3)とあります。

この世界で正直であるには「主に信頼する」ことが必要です。
ただ単に「善を行う」ことだけでは、この世界のすべての不公平さの中で欲求不満になり、
さらには「正しからぬ連中」に対して批判的にもなってしまうでしょう。
だから「主に信頼している」・・ことが、とても大切な要素になるわけです。
そのとき、わたしたちは平安で守られます。

「主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
 あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。」
(詩篇37:4~6)

だから、「主に信頼して、善を行い」ましょう。
そして「善を行えない」時にも、「主に信頼しましょう」。
主は、「善を行いたい」と思いつつも間違いをしてしまうわたしたちの弱さを理解してくださるからです。
そして愛してくださっています。・・その愛に、信頼していましょう。

よい一日がありますように。

帰郷についての主のメッセージ

おはようございます。
Gさんのお母様に差し上げた、Gさんの天国への帰郷についての主のメッセージです。

***イエス様からのメッセージ***
多くの思い、多くの愛、そして多くの戸惑い・・しかし人には計り知れない愛がそこにある。 
人には、ただ見るところによらず、理解するところによらない信仰にあってのみ、その壮大な愛は啓示される。
 
彼の命は、今始まった。人の思いと、天国の思いは異なり、人の道と、天国の道とは異なる。 
天が地から高いように、わが道は人の道より高く、わが思いは、人の思いより高い。
だからわたしに信頼しなさい。この尊いたましいは、わたしの元に帰郷し、わたしの元にあって幸福である。

人にはそれぞれ「時」がある。わが名を知る民には、その「時」は永遠に続く。
しかしその「時」の始まりは、一人一人異なる。 ある人の「時」は幼少のころから始まり、ある人は年老いてから始まる。 
そしてこの愛する者の「時」は、今、始まった。
彼もまた、他の多くの若者たちやこちら側に迎えられたわが民と共に、天国での新しい「時」の中に入った。
そこでは彼に与えられたすべての賜物が、最大に有益に用いられるようになる。

この地上にあってわが名を携える者たちよ。 
彼の愛と夢とは、あなたたちの人生にあって成就することを知りなさい。 
彼は、天国からあなたたちを見守っている。 
そして彼がこの世においてなすことができなかった夢が、あなたたちの人生の中で、実現されることを願い、また祈っている。

行きなさい。 彼が行きたかったけれど、行けなかったところまで進んで行きなさい。
生きなさい。 彼が生きたかった人生を、彼のために、またわたしのために、そしてあなたたち自身のために生きなさい。 
あなたたちが行くことで、彼も行き、あなたたちが生きることで、彼も生きるからだ。 
そして彼とあなたたちの中で、わたしが共に行き、共に生きるだろう。
そして天国での大いなる喜びの再会の時に至るまで、地上のあなたたちの命と天国での彼の命にあって、
大いなる実を結ばせるようになる。

だからこれらの言葉によって互いに慰め合いなさい。 
見よ。 わたしは世の終わりまで、そしてそのさらに先まで、彼とともにおり、あなたたちと共にいる。 
そしてわたしにあるあなたたちの労苦は、一つでも無駄になることは決してないことを知りなさい。 

わたしの愛・・そうわたしの「愛」は、天からの雨粒のようにこの地に降りた。 
そしてそれが天に戻るとき、それは決してむなしく帰ることはない。 
「愛」は、その送られた目的を果たし、そしてわが胸元へと帰ってきた。

わが愛する花嫁よ。 あなたはこれからその実を見ることになる。 
それは永遠の愛の実であり、天国と地上において、わたしにあって記念となるだろう。
いとすぎは、いばらに代って生え、ミルトスの木は、おどろに代って生える。 
あなたがたは、彼が天国において喜びをもって迎えられていることを知りなさい。 
彼は、わたしの元に安らかに導かれている。 
山と丘もまた、彼とあなたの前に声を放って喜び歌い、野にある木はみな手を打っている。

天国の「愛」は、わたしの愛と共に、あなたとともにいるからである。
***
(後記)
驚いたことに、このメッセージの主要なポイントは、告別式での牧師のメッセージととても似ていました。
告別式の前に、牧師もわたしも互いに話したことはなく、お互いにどのようなメッセージになるのかは全く知りませんでした。
主はこのように「語っておられるかたが主であること」の証しをなさることがよくあります。
ハレルヤ! 主に感謝です。


帰郷の間際の奇跡

先日の告別式でのお母様のお話でした・・

ご長男(Gさん=30歳)は、頭を強く打ち意識不明でした。
脳死状態で、医師によるとその状態では2,3日がやっとだということだったそうです。
しかしお母様は、主に奇跡を祈り求め続けました。
そしてGさんは、11日頑張りました。
彼が天国へ帰郷する間際、彼はお母様の手を強くぐっと握りました。
脳死状態では、不可能な行動でした。
お母様は、主が祈りに答え、奇跡を行ってくださった・・と涙ながら話しました。
「お母さん、ありがとう。 ぼくは、もうイエス様のところにいくね。」
そんな言葉がお母様の心に語りかけてきた・・そう話されていました。

***

Gさんは障害を持ちながら30年、この地上で一生懸命行きました。
今は、天国で完全に癒され、主と共に幸福です。
そして主は、遺族の方々にもその恵みにより平安と慰めを与えてくださいました。
主に感謝です。

わたしたちもいつか天国へ帰ります。
そのときGさんを始め、すでに向こう側へと帰っていった愛する人たちに再会できるでしょう。

***

第一コリント
15:51 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。(中略)
15:53 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
15:54 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。
15:55 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
15:56 死のとげは罪である。罪の力は律法である。
15:57 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。

***