デボーション【マルコ10:32-34】
おはようございます。
子ども達を学校に送り出す前に、朝ごはんを食べながら
短いデボーションをしています。
今朝はマルコ10:32-34でした。
10:32
さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、イエスが先頭に立って行かれたので、
彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐れた。
するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、
自分の身に起ろうとすることについて語りはじめられた、
10:33
「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、
人の子は祭司長、律法学者たちの手に引きわたされる。
そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引きわたすであろう。
10:34
また彼をあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺してしまう。
そして彼は三日の後によみがえるであろう」。
わたしは笑ってしまいました。
「え!? どうしてこの聖句を読んで笑えるのか???」
イエス様の励まし方が、とても変わっているからです。
驚き怪しみ、恐れていた弟子たちに、主がこう言われたようなものだからです。
「心配しないで大丈夫ですよ。
わたしはただ逮捕されて、死刑にされるだけですから・・
ま、ひと思いに殺されるだけではなく、
あざけられたり、つばきをかけられたり、鞭も打たれるけどね・・
でも、大丈夫!
三日後によみがえりますから・・・」
こんな励ましの仕方ってありますかぁ~~?
先日、英語スピーチに出場したさっちゃんに次のように話しました。
例えば・・スピーチの練習のために職員室で先生たちに聞いてもらうとしよう。
さっちゃんは、緊張し、心配し、恐れていたとしたら・・
もしパパが、こんな励まし方をしたらどう思う?
「心配しないで・・・
起こりえる最悪の事態が起こったとしても、ただ
先生たちにボロボロに酷評され、
さっちゃんの心が、ズタズタに引き裂かれるだけだよ。
でも、大丈夫!
それでもっと良い内容のスピーチが復活するから・・」
・・これってあまり「励まし」に聞こえませんよね?
だから、「おやまぁ~、変な励まし方だな~~」ということで、
思わず笑ってしまったわけです。
でも主は、ときどきそういう導き方をされます。
主の道は不思議です。
わたしたちには「最悪の出来事」に見える事が起こることを許されることがあります。
でも、主いつもこういわれます。
「わたしがあなたと共にいる。
この最悪の事態でさえも、あなたが想像もしないほどの大いなる勝利につながる。
だから恐れないで、わたしについて来なさい。」
と・・・。
それでは、弟子たちはイエスに最後までついて行ったのでしょうか?
その話しは、また明日・・・
子ども達を学校に送り出す前に、朝ごはんを食べながら
短いデボーションをしています。
今朝はマルコ10:32-34でした。
10:32
さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、イエスが先頭に立って行かれたので、
彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐れた。
するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、
自分の身に起ろうとすることについて語りはじめられた、
10:33
「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、
人の子は祭司長、律法学者たちの手に引きわたされる。
そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引きわたすであろう。
10:34
また彼をあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺してしまう。
そして彼は三日の後によみがえるであろう」。
わたしは笑ってしまいました。
「え!? どうしてこの聖句を読んで笑えるのか???」
イエス様の励まし方が、とても変わっているからです。
驚き怪しみ、恐れていた弟子たちに、主がこう言われたようなものだからです。
「心配しないで大丈夫ですよ。
わたしはただ逮捕されて、死刑にされるだけですから・・
ま、ひと思いに殺されるだけではなく、
あざけられたり、つばきをかけられたり、鞭も打たれるけどね・・
でも、大丈夫!
三日後によみがえりますから・・・」
こんな励ましの仕方ってありますかぁ~~?
先日、英語スピーチに出場したさっちゃんに次のように話しました。
例えば・・スピーチの練習のために職員室で先生たちに聞いてもらうとしよう。
さっちゃんは、緊張し、心配し、恐れていたとしたら・・
もしパパが、こんな励まし方をしたらどう思う?
「心配しないで・・・
起こりえる最悪の事態が起こったとしても、ただ
先生たちにボロボロに酷評され、
さっちゃんの心が、ズタズタに引き裂かれるだけだよ。
でも、大丈夫!
それでもっと良い内容のスピーチが復活するから・・」
・・これってあまり「励まし」に聞こえませんよね?
だから、「おやまぁ~、変な励まし方だな~~」ということで、
思わず笑ってしまったわけです。
でも主は、ときどきそういう導き方をされます。
主の道は不思議です。
わたしたちには「最悪の出来事」に見える事が起こることを許されることがあります。
でも、主いつもこういわれます。
「わたしがあなたと共にいる。
この最悪の事態でさえも、あなたが想像もしないほどの大いなる勝利につながる。
だから恐れないで、わたしについて来なさい。」
と・・・。
それでは、弟子たちはイエスに最後までついて行ったのでしょうか?
その話しは、また明日・・・
天国が成長する。Weddingメッセージ
おはようございます。
久しぶりに、イエス様からのWeddingメッセージを送ります。
いつものことですが、主が与えてくださった結婚式のためのメッセージは、
結婚に限らず、日常生活にも適用することができる内容です。
主の祝福がありますように。
***
おめでとう、愛する人たちよ。 あなたたちの結婚は祝福されている。
朝、小鳥たちが一日の始まりを喜ぶように、
あなたたちの新しい人生の門出にあって、
天国では大いなる喜びの声が上がっている。
人が、愛の一歩を踏み出す時、天国ではいつも大いなる喜びがある。
愛が成長することで、天国が成長するからだ。
天国とはどこか遙かかなたにあるのではなく、
また、この世界からかけ離れた想像の世界でもない。
天国は、たった今、あなたたちのただ中にある。
あなたたちの愛が成長するに従って、
あなたたちの天国も成長し、心と思いと生活の中で満ち溢れ、
ほほえみや喜び、目の輝きとして、あなたたちから流れ出るようになる。
この世界には、あまりにも多くの問題がある。
その多くは、人の愛が冷えてしまったために引き起こされたものだ。
しかし互いに愛し合うのなら、心に平安を持ち、天国を持つことができる。
そしてあなたたちは、どんな問題をも克服する力を持つようになる。
その力は、天国的なものだ。
それは、あなたたちのためだけではなく、日々接する周りの人たちのための、癒しの香油として、あなたたちの人生から流れ出るようになる。
だから、愛し合いなさい。互いの愛を強く保ち、それを成長させなさい。
そして天国が、あなたたちの人生に流れ込み、満ち溢れるのを見なさい。
このことを知り、毎朝、一日の始まりに、
小鳥たちのさえずりと共に、二人の愛を喜びなさい。
***
ハレルヤ!
小鳥たちのさえずりと共に・・・
今日の、新しい一日を、喜びをもって始めましょうね。
久しぶりに、イエス様からのWeddingメッセージを送ります。
いつものことですが、主が与えてくださった結婚式のためのメッセージは、
結婚に限らず、日常生活にも適用することができる内容です。
主の祝福がありますように。
***
おめでとう、愛する人たちよ。 あなたたちの結婚は祝福されている。
朝、小鳥たちが一日の始まりを喜ぶように、
あなたたちの新しい人生の門出にあって、
天国では大いなる喜びの声が上がっている。
人が、愛の一歩を踏み出す時、天国ではいつも大いなる喜びがある。
愛が成長することで、天国が成長するからだ。
天国とはどこか遙かかなたにあるのではなく、
また、この世界からかけ離れた想像の世界でもない。
天国は、たった今、あなたたちのただ中にある。
あなたたちの愛が成長するに従って、
あなたたちの天国も成長し、心と思いと生活の中で満ち溢れ、
ほほえみや喜び、目の輝きとして、あなたたちから流れ出るようになる。
この世界には、あまりにも多くの問題がある。
その多くは、人の愛が冷えてしまったために引き起こされたものだ。
しかし互いに愛し合うのなら、心に平安を持ち、天国を持つことができる。
そしてあなたたちは、どんな問題をも克服する力を持つようになる。
その力は、天国的なものだ。
それは、あなたたちのためだけではなく、日々接する周りの人たちのための、癒しの香油として、あなたたちの人生から流れ出るようになる。
だから、愛し合いなさい。互いの愛を強く保ち、それを成長させなさい。
そして天国が、あなたたちの人生に流れ込み、満ち溢れるのを見なさい。
このことを知り、毎朝、一日の始まりに、
小鳥たちのさえずりと共に、二人の愛を喜びなさい。
***
ハレルヤ!
小鳥たちのさえずりと共に・・・
今日の、新しい一日を、喜びをもって始めましょうね。
ヨハネ15 出張礼拝2
おはようございます。
昨日、中国人留学生宅にて第二回目の「出張礼拝」を行いました。
その留学生自身は、卒業論文のため出席できませんでしたが、
その方のご両親と奥さんと共にしました。
Amazing Grace を日本語と中国語、英語で歌い、
ヨハネ15章を共に読みました。
15:1
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
15:2
わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、
父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、
手入れしてこれをきれいになさるのである。
この御言葉を学んでいるあいだ、隣の部屋では、
あたかもこの御言葉を象徴するような事が起こっていました。
この留学生夫婦の2歳の娘さんを、
中三の娘(さっちゃん)と小1の息子(きーくん)が世話をしていたのですが、
その子は、よくいう「恐ろしい二歳児」の時期で、
物を投げたり、人を叩いたり、ダダをこねたり・・なかなか手ごわい相手だったのです。
先週も、さっちゃんはかなり苦労しましたが、
今回は前もって、そのお母さんに、
娘さんが泣いても、さっちゃんに任せておいてくれるようにお話ししておきました。
さっちゃんがその子をしつけようとしていても、
もしお母さんが「救出に来てくれる」とその子が思っているのなら、
さっちゃんは、その子を助けることができなくなってしまうからです。
その子の成長のためにも、「早まって助けにいかない」ように・・とお願いしました。
そのお母さんは、要点をとてもよく理解してくれました。
礼拝の終わりの方では、隣の部屋では、その子がかなり激しく泣いていました。
さっちゃんが、「ちゃんとごめんなさいって言わないと、これをあげません。」
とその子に言っているのが聞こえて来ました。
何とか礼拝を終わらしてから、わたしがふすまを開けようとしたとき、
そのお母さんが、わたしを止めました。
しっかりとさっちゃんと支持してくれていることがよくわかりました。
やっとそこ子も要点を飲み込み、「ごめんなさい。」といって、
きーくんとさっちゃんががハグをしてあげました。
ふすまを開けると、まず、お母さんのところに飛んで行きましたが、
すぐにさっちゃんやきーくんのところに、自分でジュースを持って行きました。
その後は、ご両親(プロの料理人)の手作りの夕食をいただきました。
きーくんは、動けなくなるほど餃子を沢山たべていました。
恵みのひと時でした。
その子も、ぐっと成長したように見えました。
ヨハネ15:11
わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、
また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
アーメン。
主よ、わたしたちはあなたのなさっていることが理解できず、
しばしば、この二歳児のように駄々をこねたり、泣き声をあげたり、
あなたに対して、あたかも物を投げたり、叩いたりしているような
気持ちになってしまうことがあります。
そして、「どうして、この問題、この状況からすぐに救い出してくれないのですか?」
と主に対して不平を並べてしまうことがあります。
しかし主よ、あなたはわたしたちを愛しておられ、
わたしたちの益のために、成長のために、
時々、わたしたちが辛い経験によって「きれいにされる」ようにします。
それによって、わたしたちがよりよい実を結ぶにいたるためです。
それはあなたがわたしたちを愛しておられ、
あなたの喜びがわたしたちに宿り、
その喜びが、満ち溢れるようになることを、あなたが望んでおられるからです。
だから主よ、感謝します。
愛するイエス様のお名前で祈ります。 アーメン
昨日、中国人留学生宅にて第二回目の「出張礼拝」を行いました。
その留学生自身は、卒業論文のため出席できませんでしたが、
その方のご両親と奥さんと共にしました。
Amazing Grace を日本語と中国語、英語で歌い、
ヨハネ15章を共に読みました。
15:1
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
15:2
わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、
父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、
手入れしてこれをきれいになさるのである。
この御言葉を学んでいるあいだ、隣の部屋では、
あたかもこの御言葉を象徴するような事が起こっていました。
この留学生夫婦の2歳の娘さんを、
中三の娘(さっちゃん)と小1の息子(きーくん)が世話をしていたのですが、
その子は、よくいう「恐ろしい二歳児」の時期で、
物を投げたり、人を叩いたり、ダダをこねたり・・なかなか手ごわい相手だったのです。
先週も、さっちゃんはかなり苦労しましたが、
今回は前もって、そのお母さんに、
娘さんが泣いても、さっちゃんに任せておいてくれるようにお話ししておきました。
さっちゃんがその子をしつけようとしていても、
もしお母さんが「救出に来てくれる」とその子が思っているのなら、
さっちゃんは、その子を助けることができなくなってしまうからです。
その子の成長のためにも、「早まって助けにいかない」ように・・とお願いしました。
そのお母さんは、要点をとてもよく理解してくれました。
礼拝の終わりの方では、隣の部屋では、その子がかなり激しく泣いていました。
さっちゃんが、「ちゃんとごめんなさいって言わないと、これをあげません。」
とその子に言っているのが聞こえて来ました。
何とか礼拝を終わらしてから、わたしがふすまを開けようとしたとき、
そのお母さんが、わたしを止めました。
しっかりとさっちゃんと支持してくれていることがよくわかりました。
やっとそこ子も要点を飲み込み、「ごめんなさい。」といって、
きーくんとさっちゃんががハグをしてあげました。
ふすまを開けると、まず、お母さんのところに飛んで行きましたが、
すぐにさっちゃんやきーくんのところに、自分でジュースを持って行きました。
その後は、ご両親(プロの料理人)の手作りの夕食をいただきました。
きーくんは、動けなくなるほど餃子を沢山たべていました。
恵みのひと時でした。
その子も、ぐっと成長したように見えました。
ヨハネ15:11
わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、
また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
アーメン。
主よ、わたしたちはあなたのなさっていることが理解できず、
しばしば、この二歳児のように駄々をこねたり、泣き声をあげたり、
あなたに対して、あたかも物を投げたり、叩いたりしているような
気持ちになってしまうことがあります。
そして、「どうして、この問題、この状況からすぐに救い出してくれないのですか?」
と主に対して不平を並べてしまうことがあります。
しかし主よ、あなたはわたしたちを愛しておられ、
わたしたちの益のために、成長のために、
時々、わたしたちが辛い経験によって「きれいにされる」ようにします。
それによって、わたしたちがよりよい実を結ぶにいたるためです。
それはあなたがわたしたちを愛しておられ、
あなたの喜びがわたしたちに宿り、
その喜びが、満ち溢れるようになることを、あなたが望んでおられるからです。
だから主よ、感謝します。
愛するイエス様のお名前で祈ります。 アーメン
英語スピーチ地区大会
おはようございます。
昨日、中三の娘が中学生英語スピーチ地区大会に参加しました。
娘は、作文は大の苦手! 多くの人の前でのスピーチもしたことがありません。
スピーチの草稿を用意していたときは、何度もあきらめそうになりました。
「とてもできない!!」と泣きながら、布団にもぐったりもしました。
それでも、何とか草稿を書き上げ、先生の指導で何度か校正し、原稿が完成しました。
その後の練習も大変でしたが、原稿つくりほどではなかったようです。
そして昨日、この地区のたくさんの中学校から集まった参加者の中から、一位に選ばれました。
次は県大会に出場します。
泣きながら、挫折しそうになりながら、進み続けたこの経験で、
娘がひと回りもふた回りも成長したように思います。
親ばかかもしれませんがね・・・(笑)
でもきっとイエス様もわたしたちをそのように見てくださっているのだとおもいます。
わたしたちが、いろいろな試練で泣きながらも、何度も挫折しそうになりながらも・・
しかも、実際に何度も挫折したとしても、
這いつくばるようであっても、それでも前進を続ける姿を、
主と天使たちは、見守り、応援をしてくださっています。
イエス様、感謝です。
ヘブル人への手紙 10章 35節
だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。
その確信には大きな報いが伴っているのである。
ヘブル人への手紙 12章 1節
こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、
いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、
わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
昨日、中三の娘が中学生英語スピーチ地区大会に参加しました。
娘は、作文は大の苦手! 多くの人の前でのスピーチもしたことがありません。
スピーチの草稿を用意していたときは、何度もあきらめそうになりました。
「とてもできない!!」と泣きながら、布団にもぐったりもしました。
それでも、何とか草稿を書き上げ、先生の指導で何度か校正し、原稿が完成しました。
その後の練習も大変でしたが、原稿つくりほどではなかったようです。
そして昨日、この地区のたくさんの中学校から集まった参加者の中から、一位に選ばれました。
次は県大会に出場します。
泣きながら、挫折しそうになりながら、進み続けたこの経験で、
娘がひと回りもふた回りも成長したように思います。
親ばかかもしれませんがね・・・(笑)
でもきっとイエス様もわたしたちをそのように見てくださっているのだとおもいます。
わたしたちが、いろいろな試練で泣きながらも、何度も挫折しそうになりながらも・・
しかも、実際に何度も挫折したとしても、
這いつくばるようであっても、それでも前進を続ける姿を、
主と天使たちは、見守り、応援をしてくださっています。
イエス様、感謝です。
ヘブル人への手紙 10章 35節
だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。
その確信には大きな報いが伴っているのである。
ヘブル人への手紙 12章 1節
こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、
いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、
わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
詩篇4:4 主による解説「セラ」
おはようございます。
今朝は、詩篇4:4について主にお尋ねしました。
詩篇 4:4
あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。
床の上で静かに自分の心に語りなさい。
〔セラ
(イエス様からのメッセージ)
怒ることがあるのは、人には普通のことだ
わたしは「怒ってはならない」とは言わない。
それは人にはできないことだからだ。
しかし、怒っても罪を犯さないことはできる。
「罪」とは、祈りによってわたしの元にその怒りの原因を差し出すのではなく、
その感情のままに、その怒りを吐き出してしまうことだ。
その結果、周りの人が傷つき、あなた自身も傷ついてしまう。
だからわたしは言う。
「床の上で静かに自分の心に語りなさい。」
一歩立ち止まり、わたしの顔を呼び求めなさい。
「セラ」
詩篇は、元々メロディーと共に歌われた歌だった。
そして「セラ」は、現代の音楽用語では、
フェルマーター又は休止符のようなものだ。
つまり「ポーズ」・・一時停止・・だ。
何のためか知っているかい?
活動や考えを一時停止し、一息付き
その状況についてじっくり考え、また祈るためだ。
そのまま読み進むのではなく、あるいは、歌い続けるのではなく、
ちょっと間をおいて、その詩篇の部分について深く考えてみるべきところに
「セラ」と記されている。
怒り心頭に達するとき・・・それをそのまま爆発させるのではなく、
立ち止まり、祈りと静けさのうちに天国へ送りなさい。
そしてあなたの平安を取り戻しなさい。
セラ
****
う~~ん。
これは、わたしにとってキツイと同時に、とても必要なメッセージでした。
わたしを個人的に知っている人ならみんなそう証言できるでしょう。
どちらかというと・・活火山タイプなので・・・・
怒りをぶちまけると「セイセイ」するけど、
主は、「セラセラ」することを望んでおられるようです。(笑)
よい一日が、皆さんにありますように。
今朝は、詩篇4:4について主にお尋ねしました。
詩篇 4:4
あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。
床の上で静かに自分の心に語りなさい。
〔セラ
(イエス様からのメッセージ)
怒ることがあるのは、人には普通のことだ
わたしは「怒ってはならない」とは言わない。
それは人にはできないことだからだ。
しかし、怒っても罪を犯さないことはできる。
「罪」とは、祈りによってわたしの元にその怒りの原因を差し出すのではなく、
その感情のままに、その怒りを吐き出してしまうことだ。
その結果、周りの人が傷つき、あなた自身も傷ついてしまう。
だからわたしは言う。
「床の上で静かに自分の心に語りなさい。」
一歩立ち止まり、わたしの顔を呼び求めなさい。
「セラ」
詩篇は、元々メロディーと共に歌われた歌だった。
そして「セラ」は、現代の音楽用語では、
フェルマーター又は休止符のようなものだ。
つまり「ポーズ」・・一時停止・・だ。
何のためか知っているかい?
活動や考えを一時停止し、一息付き
その状況についてじっくり考え、また祈るためだ。
そのまま読み進むのではなく、あるいは、歌い続けるのではなく、
ちょっと間をおいて、その詩篇の部分について深く考えてみるべきところに
「セラ」と記されている。
怒り心頭に達するとき・・・それをそのまま爆発させるのではなく、
立ち止まり、祈りと静けさのうちに天国へ送りなさい。
そしてあなたの平安を取り戻しなさい。
セラ
****
う~~ん。
これは、わたしにとってキツイと同時に、とても必要なメッセージでした。
わたしを個人的に知っている人ならみんなそう証言できるでしょう。
どちらかというと・・活火山タイプなので・・・・
怒りをぶちまけると「セイセイ」するけど、
主は、「セラセラ」することを望んでおられるようです。(笑)
よい一日が、皆さんにありますように。
出張礼拝 ヘブル11章
おはようございます。
昨日は、大学病院の中国人留学生宅にて、出張礼拝を行いました。
中国のご両親(クリスチャン)と奥様がちょうど訪問していたためです。
内容を要約します。
主題は、ヘブル11章を中心に「信仰」について話しました。
ヘブル11:1
「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」
ローマ10:17
「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉からである。」
中国へ帰るためのチケットをご両親は持っており、
いつ、どの飛行機に乗るのかを知っています。
なぜなら、そのチケットにそう書いてあるからです。
ご両親は、そのことをただ「信じている」のではなく、確実に「知っています。」
神への信仰もそれと同じです。
わたしたちはいったい何が起こっていようと、
神が愛してくださっており、
すべてが益となることを「知っています。」
なぜなら、神の御言葉にそう書いてあるからだす。
(第一ヨハネ四章、ローマ8:28など)
ただ単に、そうであったらいいのに・・と、漠然と「信じている」のではなく、
また、「そう信じなければ・・」と努力しているのでもありません。
「信仰」とは、神の言葉にそうあるから、それを確実に「知っている」ことです。
そしてそれは決して不思議なことでも、なんでもありません。
事実、神様を知らない人も日常生活の中で、
ごく普通にこの「信仰の原理」にあって社会生活を営んでいます。
つまり航空券を信じているから、いつどの飛行機に乗るようになるの確実に知っている・・
「まだ見ていない事実」を航空券の「言葉」によって「確認」しているのです。
それが信仰の原理です。
そしてその「信仰」に応じた「行動」をします。
つまり重い荷物を引きながら、遠路はるばる国際空港まで行くのです。
聖書には、「信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」(ヤコブ2:17)
とあります。
この御言葉を読んで、「信仰があるなら、行いにあらわさなければいけない」と
一生懸命になっているクリスチャンもときどきいます。
しかしその御言葉は、
「チケットを持っていても、空港に行かなければ、飛行機に乗れませんよ。」
ということとまったく同じ意味なのです。
神様への信仰、そしてその信仰に伴う行いもこれとまったく変わりません。
それほどシンプルなことなのです。
ハレルヤ! イエス様、感謝します。
昨日は、大学病院の中国人留学生宅にて、出張礼拝を行いました。
中国のご両親(クリスチャン)と奥様がちょうど訪問していたためです。
内容を要約します。
主題は、ヘブル11章を中心に「信仰」について話しました。
ヘブル11:1
「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」
ローマ10:17
「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉からである。」
中国へ帰るためのチケットをご両親は持っており、
いつ、どの飛行機に乗るのかを知っています。
なぜなら、そのチケットにそう書いてあるからです。
ご両親は、そのことをただ「信じている」のではなく、確実に「知っています。」
神への信仰もそれと同じです。
わたしたちはいったい何が起こっていようと、
神が愛してくださっており、
すべてが益となることを「知っています。」
なぜなら、神の御言葉にそう書いてあるからだす。
(第一ヨハネ四章、ローマ8:28など)
ただ単に、そうであったらいいのに・・と、漠然と「信じている」のではなく、
また、「そう信じなければ・・」と努力しているのでもありません。
「信仰」とは、神の言葉にそうあるから、それを確実に「知っている」ことです。
そしてそれは決して不思議なことでも、なんでもありません。
事実、神様を知らない人も日常生活の中で、
ごく普通にこの「信仰の原理」にあって社会生活を営んでいます。
つまり航空券を信じているから、いつどの飛行機に乗るようになるの確実に知っている・・
「まだ見ていない事実」を航空券の「言葉」によって「確認」しているのです。
それが信仰の原理です。
そしてその「信仰」に応じた「行動」をします。
つまり重い荷物を引きながら、遠路はるばる国際空港まで行くのです。
聖書には、「信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」(ヤコブ2:17)
とあります。
この御言葉を読んで、「信仰があるなら、行いにあらわさなければいけない」と
一生懸命になっているクリスチャンもときどきいます。
しかしその御言葉は、
「チケットを持っていても、空港に行かなければ、飛行機に乗れませんよ。」
ということとまったく同じ意味なのです。
神様への信仰、そしてその信仰に伴う行いもこれとまったく変わりません。
それほどシンプルなことなのです。
ハレルヤ! イエス様、感謝します。
マルコ9:37・・子ども達との朝のデボーション
【マルコ9:37】
だれでも、このような幼な子のひとりを、
わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、
わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
【娘のクラスメート】
中学3年の娘が、よくあるクラスメートの話をしてくれます。
その子はやせていて、色白で、いつも疲れています。
暑い日でも、「寒い」といって長袖を着ています。
給食もほとんどたべません。
娘は、その子が少しでも食べるように、それとなく励ましているようです。
先日は、「サラダをちゃんとたべなくっちゃ。」と言ったら、
その子はわりと素直に、「はい」といって、サラダだけは全部食べたとのことでした。
最近の朝のデボーションでは、マルコ福音書を少しずつ読んでいるのですが、
この聖書の言葉が、ちょうどぴったりでした。
この言葉に支えられて、その日のための祈りと、
そのクラスメートのための祈りによって、子ども達を学校に送り出しました。
【祈り】
一緒に今日のために祈りましょう。
主よ、わたしたちのまわりにいる幼いものたち、弱い人たちを感謝します。
その人たちのうちにおられるあなたを見ることができますように。
また、自分の弱さの中にも、あなたを認めることができますように。
今日、一日をお守りください。
イエス様のお名前で祈ります。 アーメン
だれでも、このような幼な子のひとりを、
わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、
わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
【娘のクラスメート】
中学3年の娘が、よくあるクラスメートの話をしてくれます。
その子はやせていて、色白で、いつも疲れています。
暑い日でも、「寒い」といって長袖を着ています。
給食もほとんどたべません。
娘は、その子が少しでも食べるように、それとなく励ましているようです。
先日は、「サラダをちゃんとたべなくっちゃ。」と言ったら、
その子はわりと素直に、「はい」といって、サラダだけは全部食べたとのことでした。
最近の朝のデボーションでは、マルコ福音書を少しずつ読んでいるのですが、
この聖書の言葉が、ちょうどぴったりでした。
この言葉に支えられて、その日のための祈りと、
そのクラスメートのための祈りによって、子ども達を学校に送り出しました。
【祈り】
一緒に今日のために祈りましょう。
主よ、わたしたちのまわりにいる幼いものたち、弱い人たちを感謝します。
その人たちのうちにおられるあなたを見ることができますように。
また、自分の弱さの中にも、あなたを認めることができますように。
今日、一日をお守りください。
イエス様のお名前で祈ります。 アーメン
マルコ9:37・・子ども達との朝のデボーション
【マルコ9:37】
だれでも、このような幼な子のひとりを、
わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、
わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
【娘のクラスメート】
中学3年の娘が、よくあるクラスメートの話をしてくれます。
その子はやせていて、色白で、いつも疲れています。
暑い日でも、「寒い」といって長袖を着ています。
給食もほとんどたべません。
娘は、その子が少しでも食べるように、それとなく励ましているようです。
先日は、「サラダをちゃんとたべなくっちゃ。」と言ったら、
その子はわりと素直に、「はい」といって、サラダだけは全部食べたとのことでした。
最近の朝のデボーションでは、マルコ福音書を少しずつ読んでいるのですが、
この聖書の言葉が、ちょうどぴったりでした。
この言葉に支えられて、その日のための祈りと、
そのクラスメートのための祈りによって、子ども達を学校に送り出しました。
【祈り】
一緒に今日のために祈りましょう。
主よ、わたしたちのまわりにいる幼いものたち、弱い人たちを感謝します。
その人たちのうちにおられるあなたを見ることができますように。
また、自分の弱さの中にも、あなたを認めることができますように。
今日、一日をお守りください。
イエス様のお名前で祈ります。 アーメン
だれでも、このような幼な子のひとりを、
わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、
わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
【娘のクラスメート】
中学3年の娘が、よくあるクラスメートの話をしてくれます。
その子はやせていて、色白で、いつも疲れています。
暑い日でも、「寒い」といって長袖を着ています。
給食もほとんどたべません。
娘は、その子が少しでも食べるように、それとなく励ましているようです。
先日は、「サラダをちゃんとたべなくっちゃ。」と言ったら、
その子はわりと素直に、「はい」といって、サラダだけは全部食べたとのことでした。
最近の朝のデボーションでは、マルコ福音書を少しずつ読んでいるのですが、
この聖書の言葉が、ちょうどぴったりでした。
この言葉に支えられて、その日のための祈りと、
そのクラスメートのための祈りによって、子ども達を学校に送り出しました。
【祈り】
一緒に今日のために祈りましょう。
主よ、わたしたちのまわりにいる幼いものたち、弱い人たちを感謝します。
その人たちのうちにおられるあなたを見ることができますように。
また、自分の弱さの中にも、あなたを認めることができますように。
今日、一日をお守りください。
イエス様のお名前で祈ります。 アーメン
「神を敬う」詩篇4:3。主による解説の続き。
【詩篇4:3】(続き)
しかしあなたがたは知るがよい、主は神を敬う人をご自分のために聖別されたことを。
主はわたしが呼ばわる時におききくださる。
【祈り】
愛するイエス様。
「神を敬う人」について、また後で説明してくださると言われました。
主よ、どうぞお語りください。
イエス様のお名前で祈ります。
【イエス様からのメッセージ】
おはよう。
誰かを敬うとき、その人をどのように扱うだろうか?
その人のそばに来たら、挨拶をするだろう。
その人の話に耳を傾けるだろう。
そしてその内容について深く考えてみることをしないだろうか?
その人がそばにいないときでも、
その人の言葉や生き方に対して自分の生き方を吟味する。
誰かを敬う・・とは、そういうことだ。
「神を敬う」ということもそれとあまり変わらない。
わたしはいつもあなたのそばにいる。
わたしを敬う人は、わたしの存在を意識し、挨拶してくれる。
「すべての道で主を認めよ」とある通りだ。
わたしを敬うのなら、わたしの話しに耳を傾ける。
そしてわたしの言葉や生き方を見本とする。
「神を敬う」とは、決して宗教的な、儀式的なことではない。
ちょうど夫婦の関係が、キリストとその教会を象徴するものであるように、
日常生活におけるさまざまな人間関係も、わたしと人との関係を表していることがよくある。
しかし多くの人は、わたしとの関係が、とても特異なもの、
日常生活とはかけ離れたものと考えている。
それでわたしとの関係を深めるには、
とても「敬虔な信者」にならなければならないと思っている人もいる。
あぁ、わが愛する人よ。
わたしはここにいる。
わたしの言葉はここに、あなたと共にあり、
わが心は、あなたの心と共にある。
だから日々、わたしと語り合ってほしい。
わたしがすぐそばにいることを知って、わたしと言葉を交わしてほしい。
朝の「おはよう」の一言から始まって、夜の「お休み」まで、
一日中、わたしが近くにいることを意識し、わたしのささやきに耳を傾け、
わたしにも語りかけてほしい。
「神を敬う」とは、そんなにも簡単なことなんだ。
要は、「わたしと共にいる」ことなのだ。
小さな子どもが、その親のそばにいることで安心しているように、
わたしがそばにいることを信仰によって知り、
わが愛にあって安心していること。
それが、わたしを敬っていることなのだ。
周りでどんなことが起こっていても、
また、自分自身には力が無く、そのことで恐れたり、混乱していたとしても、
それでもなお、わたしがそばにいることを認め、わたしにあって安心することは、
わたしへの信頼を示すことになるからだ。
その信頼こそが「神を敬う」ことなのだ。
そしてそのようにして、あなたがわたしを敬うとき、
あなたは、わたしの性質にあずかり「聖別」されたものとなる。
そのとき、あなたのすべての祈りがわたしの元に届いていることを、
あなたは少しの疑いもなく信じることができる。
あなたがたはこの世では多くの悩みがある。
しかし、その祈りが神に届いていることを知る人はさいわいである。
その人は、嵐の中、闇の中、火の中、あるいは死の影の谷を通っても、
大いなる平安で守られるからである。
わたしはその人のために、嵐を静め、闇を照らすだろう。
わたしは火の勢いを消し、その人は煙のにおいもつけないでその試練の炉から出てくる。
そして彼は、死の影の谷においても恐れることはない。
わたしが共にいることを知っているからだ。
わたしは大いなる栄光を彼に与えるだろう。
愛している。
【感謝】
イエス様、感謝します。
いつも近くにいてくださることを、いつも意識することが、
あなたを敬うことなんですね。
主よ、とてもシンプルな説明を感謝します。
しかしあなたがたは知るがよい、主は神を敬う人をご自分のために聖別されたことを。
主はわたしが呼ばわる時におききくださる。
【祈り】
愛するイエス様。
「神を敬う人」について、また後で説明してくださると言われました。
主よ、どうぞお語りください。
イエス様のお名前で祈ります。
【イエス様からのメッセージ】
おはよう。
誰かを敬うとき、その人をどのように扱うだろうか?
その人のそばに来たら、挨拶をするだろう。
その人の話に耳を傾けるだろう。
そしてその内容について深く考えてみることをしないだろうか?
その人がそばにいないときでも、
その人の言葉や生き方に対して自分の生き方を吟味する。
誰かを敬う・・とは、そういうことだ。
「神を敬う」ということもそれとあまり変わらない。
わたしはいつもあなたのそばにいる。
わたしを敬う人は、わたしの存在を意識し、挨拶してくれる。
「すべての道で主を認めよ」とある通りだ。
わたしを敬うのなら、わたしの話しに耳を傾ける。
そしてわたしの言葉や生き方を見本とする。
「神を敬う」とは、決して宗教的な、儀式的なことではない。
ちょうど夫婦の関係が、キリストとその教会を象徴するものであるように、
日常生活におけるさまざまな人間関係も、わたしと人との関係を表していることがよくある。
しかし多くの人は、わたしとの関係が、とても特異なもの、
日常生活とはかけ離れたものと考えている。
それでわたしとの関係を深めるには、
とても「敬虔な信者」にならなければならないと思っている人もいる。
あぁ、わが愛する人よ。
わたしはここにいる。
わたしの言葉はここに、あなたと共にあり、
わが心は、あなたの心と共にある。
だから日々、わたしと語り合ってほしい。
わたしがすぐそばにいることを知って、わたしと言葉を交わしてほしい。
朝の「おはよう」の一言から始まって、夜の「お休み」まで、
一日中、わたしが近くにいることを意識し、わたしのささやきに耳を傾け、
わたしにも語りかけてほしい。
「神を敬う」とは、そんなにも簡単なことなんだ。
要は、「わたしと共にいる」ことなのだ。
小さな子どもが、その親のそばにいることで安心しているように、
わたしがそばにいることを信仰によって知り、
わが愛にあって安心していること。
それが、わたしを敬っていることなのだ。
周りでどんなことが起こっていても、
また、自分自身には力が無く、そのことで恐れたり、混乱していたとしても、
それでもなお、わたしがそばにいることを認め、わたしにあって安心することは、
わたしへの信頼を示すことになるからだ。
その信頼こそが「神を敬う」ことなのだ。
そしてそのようにして、あなたがわたしを敬うとき、
あなたは、わたしの性質にあずかり「聖別」されたものとなる。
そのとき、あなたのすべての祈りがわたしの元に届いていることを、
あなたは少しの疑いもなく信じることができる。
あなたがたはこの世では多くの悩みがある。
しかし、その祈りが神に届いていることを知る人はさいわいである。
その人は、嵐の中、闇の中、火の中、あるいは死の影の谷を通っても、
大いなる平安で守られるからである。
わたしはその人のために、嵐を静め、闇を照らすだろう。
わたしは火の勢いを消し、その人は煙のにおいもつけないでその試練の炉から出てくる。
そして彼は、死の影の谷においても恐れることはない。
わたしが共にいることを知っているからだ。
わたしは大いなる栄光を彼に与えるだろう。
愛している。
【感謝】
イエス様、感謝します。
いつも近くにいてくださることを、いつも意識することが、
あなたを敬うことなんですね。
主よ、とてもシンプルな説明を感謝します。
詩篇4:3 主による解説
大変ご無沙汰しています。
久しぶりに、主に詩篇解説の続きをお尋ねしました。
詩篇4:3
しかしあなたがたは知るがよい、主は神を敬う人をご自分のために聖別されたことを。
主はわたしが呼ばわる時におききくださる。
(イエス様による解説)
「神を敬う人」はどんな祝福を得るのだろうか?
「聖別され」、「呼ばわるときに聞かれる」ことだ。
「聖別される」とは罪のない、完全に正しい状態にされることではない。
聖別とは、聖なるものとして別にされることだ。
聖なるものとは、王との関係における耳と口の状態だ。
あなたの側では、王の王であるわたしの口の言葉に耳を傾けること、
それが聖なることだ。
王であるわたしの側では、あなたの口からでる祈りの言葉を聞くことだ。
そしてわたしは常に聖なるものである。
あなたの口の言葉に、いつも耳を傾けている。
あなたが祈っていないときでさえ、あなたの言葉を聞いている。
あなたが言葉を発していないときでも、あなたの心の声を聞いている。
そしてわたしは、あなたの内にまだ存在していない心の声でさえ聞き、それを理解している。
わたしは、あなたが呼ばないさきに、あなたの声に答え、
あなたがなお語っているときに、わたしは聞いているからである。(イザヤ65:24)
それゆえに、わたしは聖にして聖なるものなのである。
そしてもしあなたがわたしの口の言葉に耳を傾けるのなら、
あなたもまた、わたしの聖に預かる者となる。
わが言葉にあって、あなたはわたしの性質を受け継ぐからである。(第一ペテロ1:4)
そしてあなたがわが性質に預かるとき、
あなたが呼ばわるすべての叫びは、わたしの前に達し、それは聞かれる。
すなわち、あなたの求めることは、あなたの思いをはるかに超えて
完全に聞かれ、答えられるということだ。(エペソ3:20)
わたしはどんなときにも、あなたの声に耳を傾けている。
しかしあなたの求めに対して、最善の答えを与えることができるためには、
信じようと、信じまいと、わたしにはあなたの協力が必要だ。
それはつまり、あなたが王なるわたしの口の言葉に耳を傾けることによって、
聖別されることだ。
そのとき、わたしはあなたの呼ばわる声に対する最善の答えを与えることができる。
次回は、「神を敬う人」について説明してあげよう。
しかしそのためにも、あなたが一日のどこかで充分立ち止まり、
王なるわたしの口の言葉に耳を傾ける事で、聖なる時間を取る必要がある。
***
ハレルヤ! イエス様、感謝します。
以下は、主が上記の預言の中で引用された聖句です。
イザヤ65:24
彼らが呼ばないさきに、わたしは答え、彼らがなお語っているときに、わたしは聞く。
第二ペテロ1:4
また、それらのもの(御言葉)によって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。
それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、
神の性質にあずかる者となるためである。
エペソ3:20
わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、
はるかに越えてかなえて下さることができるかた
久しぶりに、主に詩篇解説の続きをお尋ねしました。
詩篇4:3
しかしあなたがたは知るがよい、主は神を敬う人をご自分のために聖別されたことを。
主はわたしが呼ばわる時におききくださる。
(イエス様による解説)
「神を敬う人」はどんな祝福を得るのだろうか?
「聖別され」、「呼ばわるときに聞かれる」ことだ。
「聖別される」とは罪のない、完全に正しい状態にされることではない。
聖別とは、聖なるものとして別にされることだ。
聖なるものとは、王との関係における耳と口の状態だ。
あなたの側では、王の王であるわたしの口の言葉に耳を傾けること、
それが聖なることだ。
王であるわたしの側では、あなたの口からでる祈りの言葉を聞くことだ。
そしてわたしは常に聖なるものである。
あなたの口の言葉に、いつも耳を傾けている。
あなたが祈っていないときでさえ、あなたの言葉を聞いている。
あなたが言葉を発していないときでも、あなたの心の声を聞いている。
そしてわたしは、あなたの内にまだ存在していない心の声でさえ聞き、それを理解している。
わたしは、あなたが呼ばないさきに、あなたの声に答え、
あなたがなお語っているときに、わたしは聞いているからである。(イザヤ65:24)
それゆえに、わたしは聖にして聖なるものなのである。
そしてもしあなたがわたしの口の言葉に耳を傾けるのなら、
あなたもまた、わたしの聖に預かる者となる。
わが言葉にあって、あなたはわたしの性質を受け継ぐからである。(第一ペテロ1:4)
そしてあなたがわが性質に預かるとき、
あなたが呼ばわるすべての叫びは、わたしの前に達し、それは聞かれる。
すなわち、あなたの求めることは、あなたの思いをはるかに超えて
完全に聞かれ、答えられるということだ。(エペソ3:20)
わたしはどんなときにも、あなたの声に耳を傾けている。
しかしあなたの求めに対して、最善の答えを与えることができるためには、
信じようと、信じまいと、わたしにはあなたの協力が必要だ。
それはつまり、あなたが王なるわたしの口の言葉に耳を傾けることによって、
聖別されることだ。
そのとき、わたしはあなたの呼ばわる声に対する最善の答えを与えることができる。
次回は、「神を敬う人」について説明してあげよう。
しかしそのためにも、あなたが一日のどこかで充分立ち止まり、
王なるわたしの口の言葉に耳を傾ける事で、聖なる時間を取る必要がある。
***
ハレルヤ! イエス様、感謝します。
以下は、主が上記の預言の中で引用された聖句です。
イザヤ65:24
彼らが呼ばないさきに、わたしは答え、彼らがなお語っているときに、わたしは聞く。
第二ペテロ1:4
また、それらのもの(御言葉)によって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。
それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、
神の性質にあずかる者となるためである。
エペソ3:20
わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、
はるかに越えてかなえて下さることができるかた